君を夏の日にたとえようか 第7回
長男の学校の「卒展」に

新幹線で長男の「卒展」を観に行く。木彫刻を専攻している長男は、昨年は精神的に不安定で思うように作品作りに集中できなくて不甲斐ない出来だったのでと、今回は頑張っていた。渾身の作品は、「再生命のテーマ」。伸びやかなバレリーナの少女を彫っていた。生きる喜びを全身で表現するバレリーナ、跳ね上げた片足、頑丈そうな太ももが力強かった。
恭子も嬉しそうだった。2人でペチャクチャおしゃべりしていた。うちの子どもたちは本当によく恭子とおしゃべりしてくれる。有難い。恭子には、何よりの励ましになる。
日帰りした夜、「最近、原発の乳房が少し張って、大きくなってきたような気がする。タキソテールは効いていないのかな」と言って心配している。私が触ってみる。「全然大丈夫! 柔らかくなったままだよ。ちっとも変っていないから、心配いらないよ。リンパ節だって触れないままだもの」
明日はいよいよ、4クール目のタキソテール。1次化学療法が一区切りとなるか。この時期、やはり浮腫が一番心配なようだ。体重と尿の量をしきりに気にしている。利尿薬の服用量と服用期間を恭子なりにいろいろ考えて決めたそうだ。浮腫には運動も大切というので、どこかで調べて、トランポリンがいいというので買ってあげたけれど、倦怠感や疲れやすさからなかなか定期的には跳べないようだ。
「手足の先が痛み、とくに爪が赤紫色に変色してブヨブヨした感じがする」という。それと、「やっぱり、左乳房が張ったり大きくなったりするような気がする」と繰り返す。
「明日、閉経後にも乳腺症で張ったりすることがあるのか、山崎先生に聞いてみよう」
今回の副作用が、今までで一番キツイ
2月27日、白血球は5,800(/μL)。予定通り4クール目のタキソテールを投与することとなる。浮腫の話も左側乳房が大きくなったり張ったりする感じがあるという話も、軽くいなされただけだったらしい。
3月18日にPETとMRI検査をして、「結果が良ければホルモン療法に切り替えましょう」と山崎先生が言われたらしい。やっとここまで漕ぎつけた感じだ。
腎機能が少し低下していると言われたらしくて、その日も尿がなかなか出ないことをしきりに気にしながら、午後2時から4時くらいまでタキソテールの点滴。朝出てから尿がなかなか出ないと気にしていたが、夕方からは普通に出るようになったらしい。浮腫も、PET、MRIの結果も心配している。長男と次男から励ましのメールをもらい、「嬉しい‼ 子どもと親友はほんとうに有難い」と喜んでいる。
恭子はタキソテールの副作用を本当に気にしている。「FEC療法は数日は死んだようになってもあとはまあスッキリしているけれど、タキソテールはジワジワと副作用が続いて真綿で首を絞められるような嫌なダメージがある」と。
治療が終わって1カ月くらいから本格的に浮腫が出たという人もあるらしいとネットで調べている。爪が剥がれるのは2カ月後とか。足の爪が痛くて心配で、ラッピングを始める。全く味がわからなくて、何を食べても不味い。食欲も体重も落ちる、料理に困ると嘆いている。顔のシミが酷くなった。腰が痛くてだるい、とも。
「今回の副作用が、今までで一番キツイ!」と言っている。浮腫で顔が酷くむくんだり、足の爪が剥がれたりしたら、女性としては本当に心配なことなのだ。ネットでいろいろ調べて、要らぬ情報が入ってくるから精神的にもきついのだろう。ここが胸突き八丁、恭子、頑張れ!
3月7日の土曜の夜、歯科医院の開業記念日の食事会。恭子は胃薬を飲んで備えて出席。完食できたと言って喜んでいる。「美味しくって、嬉しかった」と言ってくれている。よかったよかった。「初つけまつげ! で臨んだのよ。自分でもびっくりよ」、とおどけている。
恭子が「手足の指がしびれて痛い、不吉だ」と言っている。「温めるのが良いらしい」とも。浮腫で太ももが腫れて正座ができないらしい。運動が浮腫に良いというのでトランポリンも頑張って断続的に続けている。
14日の土曜日に、運転免許の筆記試験を受けに長男が帰ってくる。長男の住民票はこちらにあるからだ。久しぶりに長男の布団を干したらしい。副作用で苦しみながらも、日常の家事をきちんとこなしてくれている。
「足が張って、疲れやすい。浮腫は怖い! タキソテールは嫌いだ‼」(恭子の闘病記録)
第二章 1次化学療法
7.1次化学療法の治療効果判定

私が、恭子にしてあげられることの1つ。我が家の庭仕事は私の役割だ。と言ってもだんだんルーズになってきて、最近は庭の自然な成り行きに任せっぱなしだけれど。恭子は鬱蒼(うっそう)としているのは鬱陶(うっとう)しくてあまり好きではないらしいが、私は草花や木が繁茂(はんも)して森みたくなっているのが好きだ。その庭に咲いてくる花を恭子が1日の大半を過ごす居間に活けてあげよう。
早速、淡いピンク色の白梅を切ってきて食卓の上に飾る。恭子が「いい香りだね」
2015年、3月18日。運命の日。1次化学療法の治療効果判定を谷本先生の施設で受ける。PET-CTおよび造影MRI検査。
朝から恭子は、浮腫がどんどんひどくなって怖い、スリッパで上手く歩けず、ものをよく落としてしまうと悲観的で元気がない。
谷本先生から検査結果の説明を2人で伺う。結果が出るまで、ホテルのロビーのような待合室で外の木々を眺めながら待機していた時間の長かったこと。緑を見ても何も感じられない。硬い表情の2人。
PET-CTの結果。代謝活性消失! 左乳腺内の原発巣の代謝活性は消失している。左腋窩(えきか)鎖骨上および胸骨傍(きょうこつぼう)領域にリンパ節転移を疑う集積像は認められない。肺、肝、骨に転移を疑う集積像は認められない。初回に認めたC5椎体(ついたい)転移への集積は消失したまま。
造影MRIの結果。効果判定CR(完全奏功)!左乳腺にびまん性に認めた病変の造影効果は消失した。撮影範囲に有意なリンパ節腫大は認められない。骨破壊を止めるビスホスホネート薬も良く効いていて、骨に転移していたがんが溶かしていた骨に置き換わって新たな骨が増生されている。
つまり、現在の画像診断で捉えられる範囲で、がんは完全に消失したということだ!
息をのみながら食い入るように、心地よい達成感を感じながら、谷本先生の説明に耳を傾けていた。タキサン系は効いていないのではないかと心配していた恭子もホッとしたような表情で説明に聞き入っている。
こみ上げてくる安堵感と喜びを、2人して噛みしめていた。先が見えてきた。これでつらい1次化学療法は一区切りとなって、ホルモン療法への切り替えが行われるだろう。点滴治療を終えることができる。それが何より恭子の負担を軽くしてくれる。
「これからは、3~6カ月ごとに画像診断でチェックしましょう。念のために次回の検査のときに脳の造影MRI検査をしていいか、山崎先生に確認しておいてください」と、谷本先生が言われる。
晴れやかな気持ちで何度もお礼を言って、谷本先生の施設を後にした。
「パパ、ありがとう‼」と恭子が言ってくれる。子どもたち、両親、高嶋先生、川田先生、アメリカでの上司など事情を知る人たちに早速吉報を送る。みんな喜んでくれる。
気持ちの面では、2人ともとてもホッとしている。1次化学療法が完璧に効いたのだから。だが、国立がん研究センター中央病院の藤田先生が言われたように、がんが現在の医学的検査の範囲では認められなくなったということで、腫瘍幹細胞や抗がん薬抵抗性の腫瘍細胞は恭子の体に潜んでいるのだろう。それでも、1次化学療法が完璧に効いたということは、がん細胞数が激減したということで、幸運なロングタームとして生き延びるための1つの条件をクリアしたことに間違いはないのだから、とても大切なことだ。喜ばしいことなのだ。
しかし、それと恭子がタキソテールの副作用で苦しんでいるということは別の話だ。18日の谷本先生の検査から1週間ばかりの間に、2人で久しぶりに四国に帰省したり、自治会の総会に出席したりしたが、恭子はずっと浮腫に苦しんでいた。尿の出を気にして、利尿薬の量を加減したり服用のタイミングを工夫したりした。足がパンパンに腫れていると嘆いたり。疲れやすかったり、手足のしびれが出たり……。(つづく)