君を夏の日にたとえようか 第8回
第三章 ホルモン療法
9.ご褒美を兼ねて静岡へ旅行

食卓にウツギを活ける。
5月2日から2泊3日で静岡に恭子と旅行に出かける。「静岡国際」と呼ばれる陸上の国際試合に出場する次男の応援を兼ねて、恭子の1次化学療法での頑張りをねぎらうための旅行だ。
出発の日、「旅行が楽しみだね、2人でのんびりしたいね」と恭子がいう。次男にも「頑張れー!」とエールを送っている。化学療法による副作用の苦しみのいまだに続いている恭子ではあったが、治療によって完全寛解を勝ち取ることができたことで、私たちの気持ちは前向きになり、希望の光は確かに見えていたのだ。こころは晴れやかだった。
静岡県に足を踏み入れるのは、恭子も私も初めての経験だ。試合会場にほど近い焼津にホテルをとった。太平洋を望む崖っぷちにへばりつくようなロケーションにあるホテル。夕食のバイキングを精力的に食べた恭子。
恭子がほかの人たちと一緒のお風呂には入りたくないというので、たまたまオプションで付いていたプライベートバスを予約しておいた。太平洋を眺めながらの1人だけのお風呂を満喫して、「ああー、気持ちよかった」と恭子が喜んでくれる。
3日の日の朝食は、太平洋と富士山を望む雄大な眺めのなかでとなった。やはり、バイキング。恭子はまたしても「調子に乗って食べ過ぎた」と、嬉し気な反省を口にしている。
食後、富士山を眺める絶好の展望台がホテルの一角にあると聞いて訪れた。ほかの客は誰もいなかったから、2人だけで絶景を満喫しながら、富士山をバックに記念写真を撮った。富士は遠すぎて、ちょっと小さいのが残念だった。肉眼では絶景だが、写真にしてしまうと富士山は小さな遠景だ。それでも恭子は「展望台からの眺めは二重丸だったよ」と喜んでくれた。
次男の試合会場へ。小さな田舎街に大きな会場があった。次男の成績はあまり振るわなかったが、生の大きな試合はやっぱりいいね、おもしろいねと、2人で感動。ここに私たちを導いてくれた次男に感謝せねば。
夕間暮れ、ホテルの一角にあるせせらぎを有する森で森林浴をする。大きなソファにゆったりと寝転んで、紅茶を飲みながら、穏やかでからだが自然と伸びをする2人だけの至福の時間が過ぎて行く。冬が去って、夏の厳しい暑さを予感させる陽ざしの午後もあるこの頃の、夕暮れどきの涼やかさは癒されるような喜びがある。このままずっとこの場で2人だけで、永遠に座り込んでいることができればいいのにと思った。
4日には三保の松原に足を延ばした。雨天で冴えなかった。富士山も見えない。松林は立派だったが、砂に足をとられて松原近くの波打ち際に近寄るのでさえ一苦労だった。
それでも、2人で初めての地に旅することができた幸せを私たちは感じていた。恭子の1次化学療法に翻弄されてきた私たちは、言わば非日常を生きてきたのだ。やっと人並みに、夫婦でのんびりと旅することができたのは本当にありがたいことだ。
くたびれた恭子は新幹線のなかでぐっすりと眠っていた。うちに辿り着いて、「家に帰るとホッと���るね」と恭子。楽しい旅ができたことに感謝と安堵。
この時間が長く続きますように
食卓にジャスミンを活ける。
私たちはよく森に出かけた。車で山道を小1時間ほど走ると、渓流沿いにそれぞれに趣向を凝らしたコーヒーの店や食事のできる店が点在している。
その森にドライブに出かけた。風は香しく、和かな若葉の山々は優しい。渓流のせせらぎは陽の光をキラキラと散乱させ、木漏れ日は風にそよぎながら眩しい。
2人のお気に入りの店は、アーリーアメリカン風のややくたびれた白い木の壁の小さな店。大きなコッペパンの形をしたバターブレッドが人気だ。地元で採れた葉物野菜が沢山安価で売られているのも嬉しい。
この頃、私たちは葉物野菜を中心にしたサラダにはまっていた。丼ほどもある大きな私用の緑と恭子用のピンクのサラダボール一杯に、レタスやサニーレタスやチシャやサラダ菜やパセリやブロッコリー、スナップエンドウ、トマトなどを盛りつけて、ムシャムシャと食べた。いろいろなドレッシングを試すのも楽しかった。
立派な家庭菜園で熱心に野菜を作っている恭子の親友のさっちゃんが、この季節に採れる野菜を沢山くれて、私たちのサラダはますます充実したものになった。
その店のなかのやや油っぽい空気と人混みを避けて、私たちは店の外にある木製のデッキでの食事を好んだ。たいていほかの客はいなくて、私たちはその気持ちのよいデッキを独り占めできた。木立のなかにあるデッキは風が爽やかに頬をなぶり、渓流のせせらぎの音、木々の葉の擦れ合う音を心地よく聞きながら、贅沢な自然のなかでのランチを満喫できた。
自然と伸びをしたくなるような森の癒し。私たちは確かに生きていて、幸福という言葉以外では言い表しようがなかった。人生の豊かな幸福を私たちは自然から戴いていた。
お腹のいっぱいになった幸せを感じながら、恭子は帰りの車の助手席で深い眠りに落ちていった、口を半開きにして。この時間がずっと長く続きますようにと、祈らずにはいられなかった。
前途には希望だけが広がっていた

食卓のジャスミンにラベンダーも加える。
想いはアメリカ、ニューヨーク州の北部、米国で最も古い国定公園であるアディロンダックの山岳地帯の森に飛んでいた。私と恭子が新婚生活を始めた27年前の湖沼地帯の豊かな森に……。
レークプラシッドは2度の冬季オリンピックが開催されたニューヨーク州北部の街で、ニューヨーカーの金持ちの別荘やゴルフ場もあって、夏の気候の爽やかな避暑地だった。夏の冷涼な気候ゆえに、そこでは車にはクーラーが付いていなかった。小高い丘からは、湖の周りに点在するおもちゃのように綺麗な家並みが一望できた。遠くまで続く山並み。広い空。そう、私は渡米するまでこんなにも頻繁に空を眺めたことはなかった。山岳地帯で、遮るものがないのだから、視野の先にはいつも空があった。
燃えるような真っ赤な紅葉。アパートメントの窓からは庭を訪れる愛らしいリスが見える。鏡のように澄んだ湖。湖は無数にあって、冬は凍りついた。トボガンと呼ばれる滑り台をソリで滑り降りて、凍りついた湖面を疾走する。子どもたちの歓声。燃える暖炉の炎。私と恭子は時に暖炉に火を入れて、飽かず眺めた。
奥手の2人のぎごちないセックス。それでも、2人は徐々にその喜びを覚えていった。セックスに耽る喜び。生の喜び。青春を謳歌する若い夫婦の前途には希望ばかりが広がっていた。(つづく)