君を夏の日にたとえようか 第13回
左後頭葉に新たな転移巣が
11月27日。音大の宮田先生のレッスン。「自分のヘタさを実感したけど、歌うことは楽しい。帰りにデパートに寄る元気もあったのよ」と恭子。そして「明日からTS-1がまたスタート。ヤレヤレ」だって。
恭子は長い間便秘がちだから、サプリメントと病院からの緩下剤を調整しながら飲んでいる。独特の塩梅。気になっている足指の爪を見せてはくれても、私に決して触らせようとはしない。痛くされたり、乱暴にされるのが嫌なのだ。それだけ気にしている。
「本山さんちに練習に行く。その間は楽しいが、帰ってくると疲れる。気分もへこむ。楽しいことをするには勇気がいる。あとのへこみに耐えるだけの気力と体力が必要!」
「寒くなる。むかむかはある。地味なんだけどずっとあるのは滅入る。でも、食べる!」(恭子の闘病記録)
久しぶりに行った中国整体の中川先生から「お元気そうですね」と言われ、「嬉しくて、ホッとして楽になった」と恭子が話してくれる。
恭子は自分から何かを買ってくれということのほとんどない人だけれど、1階の和室にテレビを買って欲しいというので選びに出掛けた。小さめのホットカーペットとファンヒータも揃えて……。この和室を、自分が寝ついたときの療養部屋にする予感でももっているのではないかと不安になった。が、「居間を占拠して寝転んでテレビを見たり、昼寝をするのが気が引ける」と、恭子はさほど深い意味はないようなことをいう。
のちに振り返って考えてみれば、現在は廃部になっている大学のグリークラブの創部55周年記念演奏会に、私が12月になって急に参加することを思い立ったのは、単なる偶然でも気まぐれでもなく天の与えてくれた必然であったのだ。演奏会までは1カ月もない。仕事の合間をぬっての猛練習が始まった。
12月7日。谷本先生の施設で脳の造影MRI検査を受ける。私も説明を聞きに合流する。10月5日の検査と比較して小脳の2つの病変が拡大しているとの説明。先生は脳浮腫のような加療後の変化の可能性が高いが様子をみて、1月18日に再検査の予定になる。
それから、左後頭葉に新たな転移巣が見つかる。5つ目。これに対してすぐに治療という話にはならなかった。なぜだろう? また、小脳機能の簡単な理学的な検査があるので調べてやってみてくださいと言われる。ロンベルグ試験とか……。なぜ? 何のために?
新しい病変について先生が何も言わなかったことが引っ掛かった。こちらから切り出せるような雰囲気ではなかった。
「足がずっとふらついていたのは小脳病変のせいかな」と恭子。それが、がんであれ、脳浮腫であれ……、そこまで恭子が考えて言っているのかはわからない。
その日、私は考えがまとまらなかった。小脳の脳浮腫であっても、先生が追加治療を慎重に考えたり、小脳機能の検査をしておくようにと言われたことは矛盾しないが……。
恭子の肉体はまさに満身創痍!
和室に恭子所望のテレビ、電気カーペット、ファンヒータが届く。
「むかむか少し。午後、電気アンテナの工事。和室を改装? して、テレビを置く。和室は私の昼間の寝室? になる」
「最近足の指が腫れて痛い。きのうから3日間抗菌剤をのむ。モールに行く。和室ができて昼間過ごす。快適! 小脳のは浮腫や壊死かも?」(恭子の闘病記録)
恭子のむかつきや足元のふらつきが、TS-1の副作用なのか小脳の何らかの病変――つまり浮腫かがんか――のせいなのかはわからない。これがもどかしい。どちらかはっきりできればいいのに……。胃の辺りを押さえてむかつくようなら薬による消化器由来の吐き気かもと言う医者がいて、参考にする。
それと、小脳の機能を評価する理学検査を家で始める。①指鼻試験②指差し試験③ロンベルグ試験④平衡機能試験⑤眼振をチェックする。勿論、すべて問題ない。こんな検査で引っ掛かるようなら小脳は相当ダメージを受けているだろう。
乳房の皮膚の病変は枯れてきて、大きさもひと回り小さくなってきた。脳以外のからだにあるがんには薬がとてもよく効いてくれるのに……。
「今日から薬なし。うれしい。足の指はテーピングからガーゼと包帯に代える。そのほうがいい気がする」(恭子の闘病記録)
恭子の手足の爪は、抗がん薬の副作用で紫色になり変形して反り返り痛々しい。からだ中のがんを叩くために、自分のからだの細胞もすべて大きなダメージを受けている。自分の身を犠牲にしてがんを殺しているのだ。恭子の肉体はまさに満身創痍! からだの中で抗がん薬の毒を免れているのは皮肉にも転移巣を有する脳だけなのだ。それに恭子の肉体はぼろぼろでも、恭子の精神、こころは健全な朗らかさを保っている。それが傍にいて唯一の救いだ。(つづく)