君を夏の日にたとえようか 第14回

編集●「がんサポート」編集部
発行:2021年2月
更新:2021年3月


心配するあまりの「うるささ」だったのだが

つまらない諍(いさか)いで私が恭子の信頼を裏切るような言動をしたり、想いを汲んであげられなかったようなときに、恭子は深い絶望を覚えたと記している。恭子はがんのために泣いたり、自暴自棄になったり、絶望したりはしなかった。全ては私のせいなのだ。私との夫婦としての信頼に軋(きし)みを感じたようなとき、恭子は孤独を感じ、泣いて絶望感に苛まれたのだ。

私にしてみれば、全ては恭子のことを心配するあまりの〝うるささ〟だったのだが……。私はどうしてよいかわからず浮足立って、恭子にさまざまな心配事をぶつけていたのだろうか。恭子にはそれが本当に負担だったのだ。

そうして、恭子のこの失望は重大な尾を引くことになった。結論から言おう。恭子は1月27日、長男の誕生日を祝うことばを最後に闘病記録の筆を一旦折っている。もしも、その後に恭子が闘病記録を再開できていなかったらと思うと、私は背筋の凍るような慙愧(ざんき)に堪えない。

恭子は不死鳥のように息を吹き返し、闘病記録を再開し、私との仲を修復し、純粋な存在に昇華しながら、素晴らしい笑顔を私たちに見せてくれるのだ‼

恭子は自らの気持ちのなかに私に対する失望や不満や怒りや諦念を抱え込んだまま、しかし、私たちの非日常はゆっくりとこれまでと表面上は何も変わっていないかのように過ぎて行った。

1月6日。2人でウィッグの店を訪れて新しいほうのサイズ調整をしてもらった。「頭がすっきりした感じ」と恭子。店の方は私たち夫婦に微笑ましそうな視線を投げかけてくれる。その足でデパートに寄って、恭子のリュックサックと夜の惣菜を買って帰った。

1月10日。グリークラブ創設55周年記念演奏会当日。素晴らしい出来だった。気持ちの入ったレベルの高い演奏ができたと思う。聴衆も大入り満員。恭子は友人と2人で聴きに来てくれた。「友だちから花やたくさんの贈り物をもらって感謝!」という恭子に、見せてあげることができてよかった。演奏会のあとの打ち上げ兼55周年記念の祝賀会には出席する気持ちになれず、私はそそくさと演奏会場を辞した。

わかろうとしなかった

「今日は1日下痢。便が出て、少しホッとする。腹が立つことばかり、パパもうるさい」(恭子の闘病記録)

私は恭子の体調に過敏になっている。それが恭子にも伝わって、恭子のもやもやに拍車をかけて、2人の距離はなかなか埋まらない。

整体の中川先生の施術を受けて、「気も体も軽くなった」と恭子。

小脳の理学的機能検査は異常なし。左乳房の病変もますます小さくなり枯れてきている。グッドコントロールだ、ここは……。

「夜布団に入るのが遅くなり、朝ごろごろ寝るという悪いパターン定着。なんとかしないと……。さっちゃんと話をする。少し気が晴れる。パパにはつかれる」(恭子の闘病記録)

「夜布団に入るのが遅くなる」というのは、2階の寝室に私と一緒には上がらず、私が寝ついたころを見計らって上がってくるからだろう。私のピリピリした緊張感やあれこれ心配することが、恭子には本当に鬱陶(うっとう)しいのだ。2人は空回りしてばかりいる。

「家に持ち帰ったキットで、便潜血の検査をしろとパパがうるさい。そんな気分でないこともわからない。いつも自分の思いだけぶつけてくる」(恭子の闘��記録)

2人は、バランスを崩したまま迷走している。今となっては、そのとき私が何を思って便潜血の検査を恭子に迫ったのかすらわからない。

「やっと夕方便が出る。ホッ! さつまいもと酸化マグネシウムがよい。久しぶりにいい便だった。夜、パパと十割蕎麦のお店に夕食を食べに行く。おいしい‼」(恭子の闘病記録)

そのときの2人の雰囲気がどうのということよりも、恭子が食べるものを美味しいといって喜んでくれるだけでいい。

合唱団の練習に2人で参加。喧嘩していようが、2人の気持ちにすれ違いがあろうが、私たちは2人して生き延びなくてはならない。だから、歌うのだ。練習は、12時から5時までのハードスケジュール。帰りの助手席で、「くたびれるけど、やっぱり歌うのは楽しい」と言いながら、恭子は倒れ込むように眠りに落ちていく。

1月18日。谷本先生の施設で脳の造影MRI検査を受け、2人で結果を聞く。最近見つかった転移巣は、1カ月半経っても大きさに変化が見られない。放射線治療は見送りとなり、2カ月後に再検査の予定となる。私には、相変わらず谷本先生の口が重くてややそっけないように思われて仕方がない。

「ホッとした。よかったけど、まぐれだけかもね」と、恭子が醒めた調子でいう。

「パパの医院のスタッフの誕生会を兼ねた月に1度のミーティングにお茶とケーキを持って参加する。気分も晴れるが、どうしてこんなにつかれるのだろう? 便が久しぶりにしっかり出る。むかむか」(恭子の闘病記録)

恭子のむかつき、倦怠感、フラつきは尋常ではない。のちに思えば、症状から察して原因が薬ではないのは歴然としていたと言ってよかったろう。私たちには、そのときは本当にわからなかった。わかろうとしなかったのかも知れないが……。(つづく)

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