君を夏の日にたとえようか 第20回

編集●「がんサポート」編集部
発行:2021年8月
更新:2021年8月


私は大嘘つきだ

多肉植物エケベリアの花

家の近くに御手洗川という小さな小川があって、川べりに桜が植えられている。花見の頃には桜並木に雪洞も灯される。人が少なくて、私たちお気に入りの散策路だ。15日の日曜日の昼ご飯は、ハンバーガーショップで買ってきたものを広げて、葉桜の下でふたりきりのんびりと過ごした。

恭子は、「もし私が死にそうになったら、あれとこれとあれを食べさせてね」と若いころから冗談で口にしていた。その1つ、巻き寿司。夜は寿司屋に買いに行った巻き寿司を喜んで食べてくれた。恭子は巻き寿司の端っこがとくに好物。この店の上巻き寿司が気に入ったらしい。週末にはなるべく買って来よう。

恭子が夜中に下痢をして下着や寝巻を汚し、捨てることになった。「ゲリも大変だ!」と恭子が軽くおどけながら嘆いている。

私はここ数年、週末を心待ちにしてきた。恭子と買い物に行ったり、映画を見たり、ドライブをしたり、食事に出かけたり。友人の岡は仕事なんか止めて、毎日恭子さんと過ごせばいいのにと言ってくれるけれど、恭子は許さないと思う。自分がやるべきことをしなさいというのが、子どもたちや私への恭子の口癖だから。

土曜、日曜に恭子の喜ぶことをしてあげたいと思って私も心待ちにしているのだけれど、今や、いざ週末になってみると、恭子には連れ回すだけの気力がない。くたびれた風に横になっているのを無理に起こすのは可哀想で……。

恭子が横になっている傍にぴったりとくっついて、キスをしたり、抱きしめたり、2人で腕を組んで……。

「パパ、わたし、外国に旅行に行きたいな」
「うん、行こうね。元気になって、ヨーロッパにでもハワイにでも行こうね」
「楽しみだなあ」
「そうだね」
「パパ、わたし、金沢に行ってみたい。それと旭山動物園にも行きたいな」
「いいよ。いつでも行こう。いつにする?」
「考えてみるよ」
「休みを取って、行ったって構わないんだよ」
「それは、ダメよ! お仕事はちゃんとしなさい」
「はいはい」……。

嘘つき! 私は、大嘘つきだ。そのとき、無理にでも行きたいというところに連れて行ってあげればよかったのか? 旅先で恭子が倒れたって構わなかったのか? そんなことができたのだろうか? ……わからない。

友人の訪問が恭子を支えてくれている

恭子は夕飯後や寝る前にお茶を飲んだ後とかに、よくもどすようになった。もどしたほうが楽になるという。夕食の途中にトイレに行ってもどして、また少し食べるということも多い。これが脳が原因の嘔吐の特徴だ、と脳外科医の浅間先生が言われた。

水曜の半ドンの日に、近くのショッピングモールの裏手にある川沿いの緑地帯を散歩したり、ベンチに座ってのんびり遠くの景色を眺めたり。

「気持ちのいい季節になったね」と恭子が言った端から、「パパ、もう寒くなってきたから、中に入ろうよ」と。

夕方、さっちゃんが自分で育てた豆を持って来てくれる。有難い。

5月19日。恭子は3クール目の治療のためタクシーで病院へ。

「この治療は1年が目標。2週目のタキソールを抜いてもいい」と山崎先生に言われて、4クール目からは2週目をパスすることになった、と点滴治療が終わって私が迎えに行った帰りの車中でホッとしながら説明してくれる。

先生の判断で、アバスチンの投与スケジュールを、月に2回で切り上げるように変更してくれるようだ。恭子の様子から、負担が大きすぎると判断されたのだろう。無理に無益な通院をさせる必要はないと。ここまでくれば、恭子を失望させないように治療を続けているという以外に治療の意味はあるまい。

生協で注文したものを配送先の家に取りに行くのが負担になってきたので、今のグループを抜けて1人になって我が家に注文の品を直接届けてもらうことにしたらしい。グループの方々に挨拶をしたという。恭子はホッとしている。人に歩調を合わせてお付き合いするのが難しくなってきているのだろう。

日曜日。私は焦って、考えあぐねていた。恭子にあまり負担を掛けず、気持ちのいい自然に触れ合える場所はどこだろうと。歩く距離の長い場所はダメだ。子どもたちがまだ小さいころみんなで行った、眺望のよい高台にある野球のできるグラウンドが比較的近くの山の上にあったのを思い出した。グラウンドの周囲にはなだらかな芝生の広場があったように記憶している。場所はうろ覚えだった。

案内の看板を見ながら車で山道を登るが、開けた場所は見つからない。道に迷ってさらに進むと、なんと火葬場の案内看板があった。その方向に吸い寄せられるように進んで、人々がまばらに散策している公園に行きついた。眺望のよい開けた場所ではなかったが、山の中の公園ではあった。車を止めて降りようとすると、突然恭子が怯えたようにいう。「パパ、ここは怖い。知らない人たちがたくさんいるから、怖い。ここは止めよう」と哀願するように訴えた。私も何か物の怪に吸い寄せられるようにして辿ってきたのだ。火葬場の方角に。「わかったよ。ここは、止めようね」

暫く、車で山道をうろついて、狭い古墳の遺跡のある場所を見つけた。東屋があった。なんの変哲もなく、見晴らしも悪いただ緑には囲まれているというだけの空間だった。私は残された恭子の時間を思い、こんな無味乾燥な場所に連れて来たことを悔やんだ。金縛りにあったように気ばかり焦っていた、恭子を自然に近いところに連れ出したいと。東屋に腰かけて、私がリュックから水筒に入った暖かいお茶と最中を出してあげると、恭子は子どものように喜んでくれた。

「パパ、美味しいね! ドライブに来たね。山の中で気持ちがいいよ」

私は、こんなつまらない場所に恭子を連れて来たことを後悔しながら、暗澹(あんたん)たる気持ちだった。大切な2人の時間を無駄にドブに捨てているような気持ちがして情けなかった。私は追い詰められていた。

帰りに、恭子の好きなスーパーマーケットに寄った。どうして、自分がこの店が好きなのかいろいろ説明してくれるのだが、実際に店に入ると何を買っていいか考えはまとまらないようだった。私は、深い嘆息を漏らした、恭子には気取られぬように用心しながら……。恭子の思考力は明らかに混乱してきて、根気もなくなってきている。

「夕方もどす。すぐにもどすようになる」(恭子の闘病記録)

恭子はよくもどすようになる。頭のせいか、薬のせいか、私たちには判断がつかない。先生たちは嘔吐の理由には興味はない。

本山さんとさっちゃんが足しげく恭子の顔を覗きに立ち寄ってくれる。恭子も、お気持ちが温かいといって感謝している。本当にありがたい。いっしょに歌いに行けなくなって、今や友人の訪問が恭子を大きく支えてくれている。

コンサートを聴きに行く

日曜日。ショッピングモールのフードコートに昼を食べに行く。恭子はふらふらしていて、もうここに来ることも難しくなりそうだ。うどんを食べたいと並んで待っている恭子の顔を穴のあくほど見つめて、まるで幽霊でも見るように不快そうに驚いた顔をしているおばさんがいる。霊感が強く、恭子に死相でも見てとっているのか、知人で恭子の変わりように驚いているのか。どちらにせよ、こちらまで不快になって落ち込みそうな嫌な顔をされた。ショックだった。

恭子は美味しそうにうどんを食べていたが、肩を支えながら早々にモールを後にした。夜はやはりもどしたが、もどすほうが楽になるのだという。とどまらずもどすわけではない、1度やせいぜい2度だが、物を口にしてもどすのがやっぱり勿体なく思うようだ。

庭の剪定をお願いしたおじさんたちに、恭子がちゃんとおやつを出してくれた。やっとこさの、恭子には大変な作業だ。なんでもないことなのに……、可哀想でならない。本人はもっと悔しくて情けないに違いない。愚痴も泣き言も何にも口にはしないけれど。

吐き気止め(ドンペリドン)とH2ブロッカーでなんとか嘔吐をコントロールして、5月末日から4日間は嘔吐していない。こんな当たり前のことが、とても嬉しい。

抗がん薬治療の翌日、無謀にも家から20分ばかり車で走りデパートに1人で買い物に行ったらしい。疲れ果てている。車の運転すら無理だし、やはり1人で外出すると疲れ切ってしまうのが現在の恭子の状態だということだ。

食事の準備を恭子が1人でするのは、限界にきている。台所にしばらく立っている力がない。立って動くと吐いてしまう。2人だけで過ごすには、もう無理がある。それと、恭子の両親に恭子と一緒に過ごす時間をあげなくてはいけないと、私は考え始めていた。

6月5日、日曜日。恭子が合唱団の仲のよい女性2人が出演するコンサートを聴きに行くといってきかない。一度決めたことは梃子(てこ)でも動かないのが恭子だから、仕方がない。無理をしたり、何かを口にしたり、疲れたりすると、すぐに嘔吐してしまうのだから、演奏会場でもどしたりしたら大騒ぎになってしまうと心配でならないのだが。そのようなことにでもなって人様に迷惑を掛けることを本当に嫌う人だから。

コンサート会場に着いて、駐車場から会場への順路を私が間違ってしまって、少しうろうろしただけで、恭子はよろよろして1人では歩けなかった。私はその時点で、もう焦って冷静に考える余裕をなくしていた。それでも、絶対に聴くと言ってきかない。

会場の入り口に近い席にしようと私がいうのに、聴きに来ていた合唱団のメンバーの一団を見つけると、そっちに合流するという。私が、いつでも退場できるように、出入り口の傍の席にしようといっても、大丈夫、大丈夫と。私は気が気ではなくて、音楽を聴くどころではなかった。恭子はいつものようにメンバーの方たちとおどけて談笑している。合唱団のメンバーの本山さんの独唱、井上さんのピアノ伴奏と武田さんの奥さん、幸子さんのピアノがプログラムの最初の2組だったのが幸いだった。

ここで、ドクターストップだ。まだ、みんなと演奏の続きを聴きたいと言っている恭子を無理に引っ張って、帰路についた。案の定、途中で吐き気に襲われた。私が準備しておいた二重にしたビニール袋を渡して、「車の中でいいから吐きなさい。ビニール袋の中に。二重になっているから、大丈夫だから」。恭子はもどすとき、必ずトイレにそろりと駆け込む。私の前で嘔吐するのは、水頭症で救急車を呼んだとき以来のことだ。

恭子は、本当に命がけででも合唱団の本山さんのソロが聴きたかったのだと思う。本山さんが女声三部をいっしょにしようと恭子に声を掛けてくれたから、それがきっかけで恭子は切実に歌が上手くなりたいと思い、音大の先生の声楽のレッスンを自らすすんで受けるようにまでなったのだ。そのきっかけをくださった方の独唱だから、心がこもっていて素敵な演奏だったと、嘔吐などちっとも気にせずに感激していた。(つづく)

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