君を夏の日にたとえようか 第23回
和やかな福音に満ちた時間
ちょうど私が昼休みを病院で過ごしていたときに、合唱団の武田さんご夫妻がお見舞いに来てくださる。武田さんは広間で目ざとく電子オルガンを見つけて、あれを恭子の部屋へ持ち込んでよいかと交渉してくれる。「勿論いいですとも」と、看護師の3人が運び込むのを手伝ってくれる。武田さんの奥さん、幸子さんはピアニストだ。プロの演奏が聴けて看護師さんたちも喜ぶだろうと思っていたら、運び込みを終えるとさっさといなくなってしまう。患者の希望には極力協力するけれど、むやみに患者の「家庭」には立ち入らないというけじめなのだろうと感心する。
幸子さんがモーツァルトの曲のさわりを何曲か披露してくれる。ピアノとはタッチが違うから、苦労されている。グレゴリア聖歌も弾いてくれたので、武田さんと私もうろ覚えの歌詞をつけて小声で歌った。恭子はとても感激して、拍手しながらからだを起こして、「私、もう、治りました!」と。恭子一流の取り繕いだ。
夕方、今日は幸子さんのピアノ演奏が聴けて良かったねと言ったら、「そうだったかね?」と2人のお見舞いのことを覚えていない。構うもんか。恭子が覚えているとかいないとかということは大切なことではない。記憶に残っているかどうかではない。確かに恭子が感動して、喜んだ時間を過ごしたという事実そのものが大切なのだ。私たち残る者にとってというのでもない。純粋に事実のみ。そのことがあったということだけが、重要なのだ。
深夜、長男帰省。ベッドをファウラー位ほどの斜めに起こして、ちゃんと眼鏡も掛け、腕時計もして、両手で両ほほを挟む恭子のよくやる仕草で、長男と何かしきりに話し込んでいる。長男も穏やかな表情で、母親の話に耳を傾けてくれる。和やかな福音に満ちた時間。
7月9日。満を持して、次男が飛んで帰ってくる。恭子も次男もこの日をどれほど心待ちにしていたことか。夕飯は次男の就職内定のお祝いも兼ねて、中華料理を持ち帰りにしてもらった。どっさり食べ切れないほど買ってきて、恭子のベッドの傍に運んだテーブルに並べ、恭子を取り囲むようにして祝杯を上げた。恭子は酢豚が美味しい美味しいと言って、母親に食べさせてもらっている。おじいちゃんたちも嬉しそう。皆で話が弾む。次男は長男とは違った優しさの表現をする。スキンシップも苦手だし、どちらかというと寡黙で穏やかな話しかけをする。
しかし、長男は、自分や私があたふた慌てふためいても、次男が最後にどっしり構えているから、我が家は安泰なのだという。次男がはにかみながら、内定した会社の紹介をネットで見せてくれたりする。恭子もよかったよかったと繰り返す。
恭子の子どもたちの就職活動に対する姿勢は一貫していて、ぶれることがなかった。就職の事情を知らない親は、子どもの就職に決して口を挟んではいけないというのだ。先輩や友人や大学に任せておけばいいと。親が自分の価値観で横から雑音を入れては、邪魔になるだけだと。子どもたちも私たちに何も頼ることも尋ねることもなく、自分の責任において就職先を決めてくれたから、きっと頑張って働いてくれるだろう。
恭子を取り囲んでの記念撮影。恭子は携帯電話が上手く使えなくなってきていて、それを弄り回しながら記念写真に納まった。
翌日、10日の夕飯はちらし寿司。これも恭子の大好物。母が丹精込めて作ってくれた。さやえんどうの緑にこだわる恭子のちらし寿司は、当たり前のことだけれど母親譲りだったのだ。錦糸卵を山のように寿司の上に散らすのも。
「しっかりお食べよ」という母親に、「なんでも、食べるよ」と、少しろれつの回りにくくなった恭子が応える。笑いが起こる。我が家の親子4人、両親、これがこの一族の総てだ。恭子が1人欠けたら、寂しくなる……。
夕飯の後、長男は帰って行った。土日を潰して、翌日からの仕事はきつかったようで、「次回の帰省から工夫するよ」という。
「奇跡ということがあるから、それを信じたい」

7月半ばまで、ビーフリード補液とグリセオール300×2の点滴で恭子の容態は安定していた。制吐剤、胃薬、抗痙攣剤、甲状腺ホルモン剤、入眠剤は経口摂取している。思考の混乱や記銘力の低下、意識の混濁はあるが、顔色もよくどこかが痛いと訴えるでもなく、比較的よく食べて、すやすやとよく眠っているので、引きも切らずに訪れてくれる見舞い客も意外だという安心した顔で、緊迫感のない和やかな雰囲気で見舞いをしてもらっているようだ。大笑いしながら陽気に比較的長時間見舞うグループもあって、両親が半ばあきれることさえある。
火曜日と木曜日は風呂に入れてもらう。大切なことだ。がんなどの大きな手術をした患者さんが、口からの食事と風呂に入るのを許されるとああ助かった、これで家に帰れるかも知れないという気持ちになって、ホッとされるという話を聞いたことがある。
恭子は足元が危なっかしく自立歩行が困難だから、手慣れたテキパキとしたやり方で介護の方にベッドからストレッチャーに移乗させてもらって、ストレッチャーに横になったまま風呂に入る、ストレッチャー浴というやりかたで風呂を使わせてもらっている。気持ちよさそうに風呂から帰ってくる。病棟でも風呂に入ることを重要に考えていることがありありと感じられる。風呂の日は、バスタオル、ボディタオル、寝巻などの洗濯物が山とできて、母親が大奮闘で洗濯をしてくれる。夏のことだから洗濯物の乾きが速いのは有難い。
週末は家族水入らずがいいと配慮してくれてのことと思うが、さっちゃんはウィークデイのみほぼ毎日恭子に会いに来てくれる。
永井さんに、「両親は、自分のことを受け入れられないだろう」と話したことがあったそうだ。なぜ、恭子は自分以外の人の心配ばかりできるのだろう。自分の心中はどうだというのだろう。混濁した意識の海を漂いながら、傾眠傾向もあるが、時折、一時的に清明な意識を取り戻して、このように両親の心配を口にしたりするのだ。
恭子の様子を見ていれば、CTなどの画像診断を見ずとも、頭蓋内で乳がん細胞が暴れまわっているのは見て取れる。これだけがんが脳に侵襲(しんしゅう)を加えていれば、血液脳関門も破壊されているのではないかという考えが私の頭の中に浮かぶ。そのことを中谷先生に率直に話して、「経口の抗がん薬を試していただくわけにはいかないだろうか」とお願いすると、真剣に受け止めて聞いて下さる。
緩和ケアの現場では、絶対にありえないことである。緩和ケアは積極的な治療はできない。百歩譲っても、素人の勝手な思いつきだと一笑に付されるか、場合によれば患者の家族が医学的に踏み込み過ぎたことをいうと激怒されたり、無視されたりしても仕方のないことを私は口にしたのだ。
中谷先生は、「できるだけのことはさせていただきます」と言ってくれた。私が一瞬耳を疑ったほどだ。「お薬は何がいいと思われますか?」と中谷先生は続けられた。私は、「TS-1かゼローダ(一般名カペシタビン)がいいのではないかと思います」と答えた。暫く考えられて、「ゼローダがいいかも知れませんね。浅間先生とも、よく相談してみます」とまで言ってくださった。
この話を高嶋先生に伝えたら、何日かして、「患者のご家族の立場に立てばお気持ちはよくわかるけれど、医者の立場としては許されないことかも知れませんね」と、やんわりとお叱りを受ける。やはり一般の医療現場の常識からは、患者の家族として逸脱した行為だと思われて仕方のないことなのだ。
恭子が風呂に入っているすきに、私の思いと考えを両親に説明する。母親は戸惑っている。迷って、決断がつかない。耳の遠い父親は、私のことばを細大漏らさず完璧に聞き取って理解している。そうして、決然として「私は、万に1つでもある可能性なら、是非試して欲しいと思います。奇跡ということがあるから、それを信じたい」と言った。(つづく)