君を夏の日にたとえようか 第29回

編集●「がんサポート」編集部
発行:2022年5月
更新:2022年5月


ただ1人の女性が恭子だった

恭子は最後の5年間のほとんどを私と2人、夫婦水入らずで過ごした。自分の歩むべき道を探しあぐねていた長男のことは本当に心配していたが、私たちは信じていた。この子はほかの人とは違った時間の流れの中で生きているのだから、ゆっくり模索すればよい、と。

恭子は目の不自由な方々のために、音読の勉強に没頭し、ボランティア活動に情熱を注いでいた。一方で、2人で合唱できる喜びを共に分かち合いながら、生きるための張りをもらってきた。高嶋先生の合唱団と巡り合ったお陰で、恭子は初めて上手に歌を歌いたいと思ったという。高校からずっと合唱を続けてきた恭子にとって、初めて芽生えた感情だった。音大の声楽の先生のレッスンを受け始めた。合唱団のメンバーと3人で、女声三部合唱にも挑戦して、楽しく充実した最後の合唱人生だった。

子どもたち2人を慈しみ、長男の2つ目の学校での文化祭や作品展を見に行くのを楽しみにしていた。次男が、全国大会で疾駆する雄姿を誇らしげに眺め声援した。子どもたちのもとを訪れることは、私たち夫婦の大切な年中行事だった。

自分のことで他人に迷惑や面倒をかけることを極端に嫌う。恭子をひと言で言い表すとこうなるだろうか。

親を敬い、どんな人にも微笑みと配慮を忘れず、誰からも好かれる優しく聡明な女性。一方で、2人の息子たちを厳しく育てた。良識を持った、立派でどこに出しても恥ずかしくない普通の青年に育ったのは恭子のお陰である。偏屈な私がなんとか社会性を保って、一端の社会人として生きてこられたのも恭子の力によるものである。

やがて、ほかの時空に旅立つ3年前に甲状腺がんの手術を受け、2年前に転移性乳がんを得た。恭子の人々に対する姿勢や配慮は微動だにしなかった。私と2人の時間を愛おしむように大切にしてくれた。ドライブに行って山や川に遊び、森で食し、庭でお茶をしながら日向ぼっこをし、華美ではなくても外食を頻繁に重ね、美味しいものをたくさん食べて、音楽を聴き、歌を歌い、おおいに笑い、桜を愛で、人生を謳歌した。

私が恋に落ちると定められていた運命の女性、私が生きていることに唯一の意味を与えてくれるためにこの世に生まれてきてくれたただ1人の女性が恭子だった。

いつも私と一緒にいてくれる

私はこの3年間、心身共に恭子に捧げ尽くし、できる限りのことをしてきたと思っている。しかし、だからといって、生身の恭子を失った疼きがいささかなりとも癒えるということはない。むしろ、たった3年に限らず、なぜもっと長い時間恭子をもっともっと大切にしなかったのかと、悔やまれるばかりである。

ここ最近撮ったどの写真でも、恭子は静かに微笑んでいる。私はといえば、苦虫を噛み潰したような悲し気な難しい顔をしている。

恭子という稀有(けう)な存在に巡り会えた奇跡を思う。なかんずく、伴侶となることのできた光栄を思う。私が人生のさまざまな出来事を乗り越え、2人の子を得、みずからの人生に僅かでも意味を見出すことができたのは恭子の力によるものである。

そうして、いま、現にこうして生きていることも……。

いや、樋野先生が言われた「自分の命よりも大切なもの」のうちでも、最も大切なものを失ったのだから、私はすでに死んでいるのかも知れない。

すでに死を生きている者の戯言(ざれごと)��から、信じていただける方は誰もいないかも知れないが、それは大した問題ではない。私は、恭子は天から使わされて、この地上に舞い降りたニンフ、妖精なのだと考えている。そうして、いまは、目には見えない光という姿をとっている。

だから、恭子は私のからだにくっついて常に私と一緒にいてくれるのだと思っている。これまでも、これから先も、ずっと……。(次号最終回)

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