君を夏の日にたとえようか 第30回 最終回

編集●「がんサポート」編集部
発行:2022年6月
更新:2022年6月


癒えることのない喪失

デパートのエレベータに乗り込んで、正面の鏡に写った自分の顔を見て、なんと苦渋に満ちた険しい顔をしているのだと、我ながらドキッとすることがあります。

人間としての生を終えるときが近づきつつあるときにでも、写真に写っている恭子はいつでもにこやかに微笑んでいましたが、傍にいる私は常に苦虫を噛み潰したような悲し気な顔をしています。

「こんな顔じゃなくて、いつになったら普通の顔に戻れるんだろうね?」と、岡に尋ねたことがあります。
「もう、戻ることはないんじゃないですか」と、岡は答えました。

受け入れられないかたち、例えば、若過ぎたり、あまりにも突然で肉親を失ったら、それは決して癒えることはないというのは本当のことだと思います。震災や戦争で家族を亡くされた方々が、口をそろえて言われていることです。

これは私が自分自身を正当化するための本当に身勝手な考え方かもしれませんが、私は子どもたちに言うことがあります。

「親にとって子どもは自分の命よりも大切なものだけれど、その親をある意味で捨てて、もっと大切だと思える伴侶や子ども、家庭を作ることが最大の親孝行だ」と。親よりも優先順位が上になるような家庭を作って、幸せになることが親孝行だと思うのです。それは子や孫へと順送りに繰り返されることだから、お互いにおあいこです。子どもには子どもの人生があって、ほんとうに大切な決断の際は親の出る幕ではありません。

しかし、伴侶は違います。伴侶の人生はお互いに引き剥がすことはできず、混然一体であります。恭子の人生はまさに私の人生そのものであり、私の人生も恭子の人生と分かち難く重なっています。それだからこそ、その片方を失うということは、自らのからだの一部を失うことです。癒えることのない喪失です。

「このまま過去の事になって、忘れ去られてしまうことが恐い」と、東日本大震災で未だに遺体確認のできていないご家族は口々に言われるそうです。口惜しいかたちで家族を失った人々の想いは似ています。

かたちを変えて、私のこころの中に

恭子の人生という現象を、過去のものにするつもりはありません。

恭子の在りようは、私にとって今現在の日々を真実の現実として共に生きている大切な〝宝物〟に変わりありません。

知人である米国人の老婦人が、「恭子がいまだにあなたの人生の一部をなして存在していることは、とても素敵なこと」と言ってくれました。そう考えればよいのだと、教えられました。

空は、宇宙と地球の大自然の大いなる力の鼓動をはるか遠くにではあっても、確かに感じることのできる稀有(けう)なるものです。

東の遥か彼方の山々の上から雲の湧きおこるさま。南の島々の上空にさまざまな様相の雲が広がっているさま。積雲、うろこ雲、刷毛でさっと刷いたような薄い雲、淡い淡い煙のような雲、留まる雲、流れる雲、重なる雲――。

西の夕暮れが間近に迫っている山々に雲のかかるさま。このパノラマ、青い空を背景に太陽の光がさまざまに雲に反射するさま。雲間をぬって陽が漏れるさま。エンジェル・ハイロゥ。風の頬をなぶるさま、風が雲を流すさま。

この天空の広がりそのものが、光も空も風も時もすべてが奇跡の積み重なりで、人の知恵を遥かに凌駕(りょうが)する、ときに人の���すらわけもなく奪ってしまう恐ろしくさえある大自然の素顔の一端を、身近で感得できるものなのです。

この大空を仰ぎながら、その奇跡的な光景を目の当たりにしたとき、私には恭子からの微かではあるけれど確固たる声が、耳をよく凝らして、目を閉じて、こころを穏やかにしたとき、伝わってくることが確信されるのです。

私は恭子と好物の果物やお菓子を分け、大好きな生花を絶やさないために働いているのです。私と恭子がなんとか食べていけて、老後の貯えが少しあって、ときには子どもたちになにがしかの助けになるくらいの、懐の寂しくない程度のものがあれば結構なこと。あとは、恭子が目標としていた〝人の役に立つこと〟が少しでもできれば、仕事としては十分。

初夏の土曜の夕暮れどき、散歩をしていい汗もかいて、冷蔵庫から食材をかき集め、恭子と2人分の夕食の支度をきちんとして、さて、とっておきの焼酎のロック。ほろ酔い加減で眺める我が家の庭。木々や里芋の大きな葉っぱが鬱蒼(うっそう)と繁って、ちょっとした森の中にいるよう。恭子と2人、穏やかで静かな夕暮れに、森の中で背が深い緑、頭が黒、顎が白、腹が茶のヤマガラが3羽、4羽、エゴノキの実を枝にコツコツとくちばしで打ちつけながら、枝から枝に飛び交ってついばんでいる。幸せなひととき。

「ぜいたくな時間だよね」と恭子に語りかけて、私のお気に入りの線香の香りがして――金沢の香屋か京都の松栄堂か鎌倉の鬼頭天薫堂か――はて、また……。酔いの後には洗濯物を取り込み、たたんで、空いた物干し竿には新しい洗濯物を干そう。2人の密やかな生活が確実に時を刻んでいます。

小さな可愛らしい品々を集める恭子の優しいこころ。他人を思いやる配慮が失われたと嘆いたり、淋しく思う必要はありません。恭子の優しいこころや配慮が、私を通して生き続けるようにすればよいのです。恭子のこころがかたちを変えて、ただ、私のこころの中に移り住んだだけなのですから。

「まーた、あっそぼーねー」

1988年、グランドキャニオンの夕映えの中で

恭子が死んだとき、私もまた死んだのです。

私が恋に落ちると定められていた運命の女性、私が生きていることに唯一の意味を与えてくれるためにこの世に生まれてきてくれたただ1人の女性が恭子だったと、私は言い切ったのです。〝私が生きているための唯一の意味〟を失ったのですから、私はもはや生きてはいません。

それと同時に、恭子の葬儀の会葬御礼に「これからもずっと一緒だよ」と深い考えもなく書いたことは、実は大切な意味を孕(はら)んでいたのです。

人が生きているということと、生きていないということの垣根は、意外と低いもののようです。般若心経でも、同様の意味のことが述べられているのではないかと思います。

「この世に存在するすべてのものは『空』であり、形あるもの、この世の森羅万象は、なにもないことと異ならない。なにもないことが、そのまま、形あるものを現出している。すべてのものは『空』のありようを免れることはなく、生ずることもなく、滅することもない」

生まれるということも、死するということもないということでしょう。それらは目に見えてありそうに思われても、実は虚なのだと。

生きながらにして死んでいるということは、ありがたいことに、死んでしまっても生きているということです。

だから、私と恭子はいまだに夫婦という深い契りを結び続けています。

生きていれば結構だし、生きていなくても結構なのです。

恭子が、私が生きている意味を与え続けてくれる存在であることは、以前と何も変わっていないのです。恭子は、明らかに今なお私の人生の一部をなしているのです。

幸せです。私たち2人は、幸福な時間を共有しています。

リヒャルト・シュトラウス『四つの最後の歌』の「夕映えのなかで」がラジオから流れてきます。

「僕たちは悲しみも喜びも踏み越えて 手を携えて歩んできた
 そのさすらいから、僕たち二人は安らう、今、静かな土地を見下ろす場所で 
 ――中略――
 おお、悠揚とした静謐な平安よ!
 こんな深い夕映えの中で 何と僕たちは旅に疲れている事か――
 これが、あるいは死というものなのだろうか?」
 (ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ:大島 博訳)

日が暮れて、庭が黄昏のなかに沈もうとしています。

明日の天気の具合はどんなだろう。

「きょーおっこちゃーん。まーた、あっそぼーねー」〈完〉

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