できないことを嘆くより、できたことを喜ぶ――挑戦を続けていきたい 仙骨巨細胞腫による2度の手術を乗り越え、3度のパラリンピック出場 アテネ/北京/ロンドンパラリンピック卓球日本代表選手・別所キミヱさん

取材・文●増山育子
発行:2013年7月
更新:2018年10月

葛藤の日々親友の言葉

現在は、郵便局コールセンターでの勤務。パラリンピック出場に、日本郵政事業会社から奨励金を受けた

「痛みがとれるなら車いすでもなんでもいい」と思っていた別所さんだが、車いすを受け入れられず、外出するのが嫌で自宅に引きこもってしまった。かつてママさんバレーやソフトボールを楽しみ、たくさんの友人に囲まれ、ハツラツとしていた自分と今の自分はあまりにも違う。死んだほうがマシと思った。

計2回の手術では大量の輸血を必要としたため、血液の提供を呼びかけたところ、友人知人はもちろん、友人の友人や亡夫の会社関係者、面識のない人たちも含め100人を超える人たちが協力してくれていた。

不眠不休で執刀してくれた主治医の裏辻さん。転移や障害が残る可能性など深刻なこともすべて告げてくれて、何でも話し合える信頼関係を築いてくれた。毎日のようにお見舞いに来てくれる友人、家族……。多くの人たちの善意で「生かされた」命なのだとも思った。

そんな葛藤の日々に一筋の光がさす。それは親友がふと漏らしたひと言だった。

「できないことを嘆くより、できたことを喜べばいい」

「彼女は私にこうなってほしいと思って言ったわけではなく、自然に出た言葉だったから心にスッと入ってきたのでしょう。私にとって車いすはマイナス。ならばこれ以上悪くなることはないのだから、今からやることは全部プラスということなんですよね」

すぐに外出できるようになったわけではないが、気持ちが開けていくきっかけになったと振り返る。退院からおよそ1年。ようやく車いすで出かけられるようになった。

卓球との出会いそこから人生の広がり

別所さんが卓球を始めたきっかけは、障害者スポーツを紹介した新聞記事をたまたま見て、国内でいち早くこの分野に取り組んだことで知られる兵庫県立総合リハビリセンターを訪れたことだった。

「そこでシッティングバレーボールのビデオや車いすバスケットボールの練習を見ました。手や足を切断した人たちがプレーしているのを初めて見て、すごくうまいのに驚きました。あぁ私には両手がある、『何かできるぞ!』と思ったのです」

別所さんの体の状態ではバスケットやバレーは負担が大きそうだったが、卓球はできそうだった。

「はじめは遊びだったのが、試合に出るようになると仲間ができて楽しくなっていきました。みんなで岡山や大阪へ試合に行って遊んで帰ってくるんです。それから競技そのものが楽しくなり、勝ち負けにこだわるようになっ��いきました」

一般向けの卓球教室にも参加して、練習を重ねると上手くなる。上手くなると試合に出たくなる。試合に出ると、たいてい決勝戦まで勝ち進んでしまう。別所さんの人生が広がっていった。

息子さんに車で送迎してもらわなくても、自分で運転して練習に行くようになった。すると、仕事がしたくなりカフェなどを運営する会社に就職。レジ業務を懸命にこなし、練習日は休ませてもらうという日課となった。

仕事をしながらトレーニングを積む。勝つために、自分のためにトレーニングをするのが楽しい。自他ともに認める練習の虫となった別所さんが、兵庫県や国が開催する身体障害者スポーツ大会で優勝するまでに、それほど時間はかからなかった。

シッティングバレーボール=座った姿勢で行うバレーボール。夏季パラリンピック競技種目

52歳で国際試合へ初出場がんも飛んでいった!?

ライバルであり親友でもある、イタリア代表ショット選手と

国際大会デビューは52歳、1999年に台湾で開催されたアジアオセアニア大会。以降、出場した国際大会は30試合を超えた。世界選手権をはじめ各国で行われる試合に精力的に参戦し、数々のタイトルを獲得していく。

海外遠征は選手が何人かで行くが、介助者の付き添いなどはなく、自分のことは自分でしなくてはならない。

「荷物は自分の持てる範囲で持っていくし、トイレは日本のようにきれいではないので、便座を持って行くこともあって大変です。でも勝負への思いが強いので苦になりません。再発や転移の恐怖はゼロではありませんから悔いのないよう、やりたいことに挑戦して生きていきたい。そうしているうちに『あんたには負けたわ』って、がんが飛んでいってしまったような気がするんです」

海外試合ではライバルたちとも交流する。老若男女、分け隔てなくつきあい、誰とでも仲良くなれる。言葉が通じなくても派手なパフォーマンスで自分をアピールするので、「キミ! キミ! バタフライ!」と呼びかけられ、どこへ行っても周りに人が集まってくる。

チャンスは誰にでもある見逃さず、つかみにいこう!

ロンドンパラリンピックの半年後に上梓された自叙伝『たちあがるチカラ』

「がんになるって、人生を精いっぱい生きなさいという神様のメッセージかもしれません」と別所さんは言う。

「私の場合、病気で車いすになったという人生最大のピンチが、卓球との出会いという人生最大のチャンスを引き寄せました。でも、私に特別な素質や強運があったわけではないと思います。いろんな形で誰にでもチャンスは訪れているはず」

どうしたらチャンスに気づき、つかみにいけるのだろうか?

「自分に何ができるかを考えてほしい。大きなことでなくていいんですよ、小さな楽しみや好きなことでいいんです。やりたいと思う気持ちが大事だし、やりたいと思ったら、考えるより動くこと。いいと思ったらすぐに手をのばすことです。行動を起こせばきっとサポートしてくれる人が現れます」

「スポンサーや友人や、たくさんの人たちの思いを背負っていくのだから、いい加減な練習や戦い方はできない。何より、この先自分がどれだけ進化できるか見てみたい」という別所さん。挑戦はまだまだ続く。

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