スキルス胃がんで胃切除後のトラブルも自分なりにお付き合い 病気を受け入れ、がん患者になりきる アルファ・クラブ 渡邊宣明さん
副作用もなく、TS-Iによる化学療法を完了

退院後は、TS-1*と3種類の補助薬(ガスモチン*・セルベックス・マグネシウム)による補助化学療法がスタート。診察のたびに、医師から抗がん薬の副作用について聞かれたが、幸い、嘔吐や脱毛もなく、倦怠感や味覚障害もあまり感じなかった。副作用に苦しめられることもなく、無事、TS-1による2年間の治療を完了。
「こんなにTS-1を長く続けられた人は珍しいよ。渡邊さんは、TS-1が合っているのかもしれないねえ」
そう、医師は感に堪えたように言った。副作用が軽かった理由を、渡邊さんはこう分析する。
「僕は普段から、薬をあんまり飲まないほうなんです。多臓器に影響する薬を何種類も飲んでいると、効果が半減するらしいんですね。普段から薬をあまり飲まないようにしていたから、TS-1がピンポイントで効いたし、副作用も軽かったんじゃないかな。それと、補助薬との組み合わせもよかった。自分ではそう考えています」
それでも、胃の3分の2を切除した以上、何も不都合を感じなかったわけではない。食後の膨満感を感じることもあれば、食べ物が未消化のまま腸に入って下痢をすることもあった。
*TS-1=一般名テガフール ・ ギメラシル ・ オテラシルカリウム *ガスモチン=一般名モサプリドクエン酸塩水和物 *セルベックス=一般名テプレノン
自己管理を徹底し食養法を実践

手術直後に経験した、悪夢のような苦しみは、もう二度と味わいたくない――。そう考えた渡邊さんは、自分なりに工夫した自己管理法を実践することにした。退院後3カ月間は1日の食事を5~6回に分けてとり、1年がかりで1日3食のペースに戻していった。
また、病院の栄養相談室から年間の献立表をもらい、それを参考にしながら妻の協力で献立を見直した。中心となる食材は、納豆、豆腐、卵、豆類、魚肉類、トマト、ブロッコリー、玉ねぎ、オクラ、りんご、バナナ、白桃、ヨーグルトなど。1回の食事に1時間近くかけ、80回ほど噛んでから飲み込むようにした。
「胃のない人は、食べ物が口から入ってどんなふうに腸まで達するか、イメージするといいですよ。胃がなければ食べ物はチョロチョロとしか流れないから、ゆっくりよく噛んで飲み込まないといけない。おのずと早食いも止まり、無理な食べ方をしないようになります」
さらに、自己管理を徹底するため、1週間の献立を記録した表を作成し、病院の栄養相談室でチェックしてもらった。
「渡邊さん、完璧です。ただ、ご飯の量が80gでは少なすぎます。炭水化物が不足すると栄養失調になるから、150gぐらいは食べてください」
栄養士の助言を受けながら、食養法を実践。1日3回の散歩も欠かさなかった。万歩計の歩数や距離、消費カロリー、体重を克明に記録し、食事と運動の両面から自己管理を徹底。加えて、持ち前のポジティブ思考も回復にプラスに働いたようだ。
「『ご飯が少ししか食べられない』とこぼす患者さんが多いんですが、僕は『胃をとったんだから、しようがないんじゃないの』と思うほう。僕自身も胃切除後のダンピング症候群*や膨満感は経験しているけれど、『がんなんだから仕方がない』と割り切っちゃうところがある。症状や感覚には個人差があるから、それを他人に押し付けるつもりもないんですが」
自分はがん患者。胃を3分の2も切ったんだから、多少の不便は当たり前。くよくよせず、病気を受け入れて、がん患者になりきったほうが気楽、と渡邊さんは笑う。この大らかなポジティブ思考こそ、2年間の抗がん薬治療を全うし、難治性のスキルス胃がんを乗り越える秘訣だったのかもしれない。
「手術後の後遺症や食事法について、何の説明もしない医師があまりにも多い。命が伸びるか縮むかは、退院後の生活をどう過ごすかにかかっています。その意味では、『僕は自分でやれるだけのことはやった。これで死ぬならしようがない』と思っています」
そう語る渡邊さん。その恬淡とした表情からは、穏やかな充足感が感じられた。
*ダンピング症候群=炭水化物が急速に 小腸に流入するために起こる。冷汗、動悸、めまい、顔面紅潮、倦怠感、腹痛、下痢、悪心、嘔吐、腹水の循環不全、吻合による蠕動運動の乱れなどの症状がある
仲間や家族に囲まれて悠々と生きる

今年で術後7年が経過。今は定期検査に通いながら、ゴルフや旅行、俳句、茶道など、趣味で多忙な毎日を送っている。
もうひとつ、渡邊さんが熱心に取り組んでいるのが、胃がん患者の会「アルファ・クラブ横浜会」の活動だ。
退院後しばらくすると、再発の不安が頭をもたげてくる。しかし、苦しいときや不安なときに相談できるところがどこにもない、と渡邊さんは感じていた。そんな折、外科の待合室で、ある夫婦と会話を交わしたのがきっかけで、「患者同士が交流できる場があるといいな」と思うようになった。病院に働きかけたが、思わしい反応が返ってこない。そこで、人の患者会「アルファ・クラブ」の会報誌で呼びかけたところ、10名が集まった。
これが発端となり、2009年に「胃がん患者仲間の会」を開催。翌年、「アルファ・クラブ」の名前を借りる形で、「アルファ・クラブ横浜会」を正式に発足した。現在の会員数は35名。神奈川近県の人が中心だ。
「この会は入会も退会も自由。オープンな雰囲気なので、来られた方は、来る前とは別人のように明るい表情になります。こういうがん経験者の集まりがあることを、多くの人に知ってほしいですね」
そう語る渡邊さん。最近は、「次の会まで待てない」と、電話で相談してくる患者さんも増えた。
「病気をきっかけに、人生観が変わったということはとくにないです。強いて言うなら、『定年後は、現役時代にはできなかったことをしよう』と考え、いろいろなことをやってきた。そんな定年後の生き方に罹患がうまくジョイントして、術後の自分なりの生活のリズムができてきた、という感じでしょうか」
飾らず気張らず、体をいたわりながら、仲間や家族に囲まれて悠々自適で暮らす。
そんな渡邊さんの生き方には、ハマっ子らしい洒脱さが感じられ、なんだかとてもかっこよく見えた。
同じカテゴリーの最新記事
- 病は決して闘うものではなく向き合うもの 急性骨髄性白血病を経験さらに乳がんに(後編)
- 子どもの成長を見守りながら毎日を大事に生きる 30代後半でROS1遺伝子変異の肺がん
- つらさの終わりは必ず来ると伝えたい 直腸がんの転移・再発・ストーマ・尿漏れの6年
- 家族との時間を大切に今このときを生きている 脳腫瘍の中でも悪性度の高い神経膠腫に
- 子どもの誕生が治療中の励みに 潰瘍性大腸炎の定期検査で大腸がん見つかる
- 自分の病気を確定してくれた臨床検査技師を目指す 神経芽腫の晩期合併症と今も闘いながら
- 自分の体験をユーチューバーとして発信 末梢性T細胞リンパ腫に罹患して
- 死への意識は人生を豊かにしてくれた メイクトレーナーとして独立し波に乗ってきたとき乳がん
- 今を楽しんでストレスを減らすことが大事 難治性の多発性骨髄腫と向き合って