現実を受け入れ、積極姿勢に。58歳からの新たな出発

取材・文●吉田燿子
発行:2013年9月
更新:2013年12月

リーマン・ショックのあおりで会社を清算

家族と。長男・賢さんの結婚式。2013年1月ハワイ にて

がんとの闘いは、都倉さんが手塩にかけて育てた会社にも暗い影を落としていた。

2008年9月、リーマン・ショックが勃発。病院で放射線療法と抗がん薬療法の併用治療を受けていたまさにそのとき、世界は未曾有の大不況に飲み込まれた。 販売店経由の売上げは激減し、右肩上がりに推移していたインターネット通販への移行が急がれたが、本格的なインターネット通販サイトの立ち上げには多額の先行投資がかかる。金融不況に伴う銀行の貸し渋りに遭い、新たな資金調達先を探す必要に迫られた。

がん闘病とリーマン・ショックのダブルパンチで、都倉さんの心身はボロボロだった。

がん発病から1年8カ月後の2010年4月、都倉さんは苦渋の決断を下す。毎月のように再発・転移の疑いがある以上、自分の余命はそう長くはない――。社員や取引先に迷惑をかけないためにも、まだ余力があるうちに会社を清算しようと決めたのだ。

「あなたの蓄えだけでなく、私の預金も会社のために使って。大丈夫、生活は私と子供たちで支えるから」

妻の言葉に背中を押されて、会社を清算。その整理が一段落した頃から、極度の体調不良に悩まされるようになった。

食欲がなくなり、3カ月で体重が10キロも激減。ベッドから起き上がれなくなり、1日の4分の3は天井を見上げていた。好きな音楽やスポーツ観戦への興味も失われ、人と会うことも避けるようになった。

「こうやって、人間は少しずつ欲望や感動を失っていくのだ。最後に『生きたい』という欲がなくなったとき、人間は死ぬんだろうな、と思いました。人間はどのようにして自らの命を絶つのか、そのプロセスが手に取るようにわかりました」

絶望の果てに訪れた悟りと救済

幼少期よりお付き合いがあり、仲人でもある日野原先生と

57歳にして健康も仕事も資産もすべて失い、将来の生計を立てる道も閉ざされた。自分ほど不幸な人間はいない――。

そう思いつめていた都倉さんのもとに、ある日、1本の電話がかかった。電話の相手は、都倉さんの仲人でもある、聖路加国際病院理事長・日野原重明さん。それは、都倉さんが日野原医師宛てに書いた“別れの手紙”への返事だった。久しぶりに再会した都倉さんに、日野原さんはこう言った。

「あなたの人生には、非常に多くのことが含まれています。その経験談をまとめれば、希望を失っている人たちにとっては大きな希望となり、患者に目を向けていない現代の医療界への警鐘にもなります。闘病記を書いてみてはいかがですか」

はい、と答えてはみたものの、とても本など書���そうにない。そこで、家族に長い遺言状を書くつもりで、闘病記を書き始めた。書き進むうちに、忘れたい過去やつらい思い出が次々と甦ってきた。

「もうやめたい」と何度も挫折しかけたが、過去の自分と向き合ううちに、心が浄化されていくのを感じた。

ふと、幼い頃に暗唱した聖書の一節が脳裏に甦った。

「明日のことを思い煩うなかれ。明日のことは、明日みずからが思い煩うであろう」

このイエスの言葉を、都倉さんは長い間、理解することができなかった。ところが、死が現実のものとして迫ってきたとき、天啓が閃いた。

「そうか。イエスが言ったのは、『明日のための準備をするな』ということではないのだ。『明日にならなければ結論が出ないことに対して、今日、思い煩うのはおやめなさい』ということなのだ」

わが身を振り返れば、「いつ転移するか」「自分が死んだら家族はどうなるか」と、先々の心配で押しつぶされそうになっている。まだ来るかどうかもわからない未来のことで悩み、今の自分を苦しめている。そのことを、都倉さんは理屈ではなく、体で実感することができた。

過去や未来について思い悩むことはやめて、今この瞬間を大切に生きよう―― その悟りこそが、都倉さんの心に大いなる平安をもたらしたのだった。

3年目にリンパ節転移が発覚

「2年以内に転移・再発する確率は、8割以上。3回目の正月を迎えられるかどうか」

そう言われていただけに、2011年の正月を迎えられたことへの感慨はひとしおだった。

ところが、その年の7月に受けたPET-CT検査で、左鎖骨上に転移が発覚。沈痛な表情の主治医に、都倉さんはこう言った。

「先生、悩んでも仕方ありません。これも天命です。今できることをして下さい」

都倉さんの心は不思議と静かだった。2年間の闘病生活が、都倉さんを別人のように強く変えていたのだった。

2011年9月、左鎖骨上リンパ節に転院したがんの郭清手術を実施。がんに侵された2本の腕神経も切除された。がんが触れていた部分を治療するため、再び放射線治療と化学療法を実施。その影響で、患部の空洞に溜まったリンパ液を排出するために開けた穴がふさがらず、開いたままの状態が今も続いているという。

「2013年2月に、局所陰圧閉鎖療法(患部に装置を付け、圧力によって肉を盛り上げる治療)を行ったのですが、残念ながら効果がない。今は、毎日洗浄してガーゼを交換しています」

都倉さんのブログ『For the good times』。SNSを活用し医療はもとより、政治・経済・スポーツなど多岐による情報発信がされている
 『都倉 亮さんを支援する会 一途一心』ホームページ

どんな失意の中にも必ず希望はある

自らの経験を、講演などを介して積極的に語る

現在、都倉さんの元には、全国の患者さんから1日あたり50~100件のメールが寄せられる。そのすべてに返事を書き、無報酬で相談活動を行っている。

都倉さんはSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)にも力を入れており、ブログやフェイスブック、ツイッターなどでつながっている人の数は1万人を超える。

入院中に日本語と英語で闘病記のブログを書き始めたところ、世界中の医療者とつながり、治療についての助言はもちろん、海外の医師や病院を紹介したいというコメントも寄せられるようになった。

3月には、ブログの読者であった植山朋代さん(耳鼻咽喉科医)が発起人となり、「都倉亮さんを支援する会『一途一心』」が発足。都倉さんへの講演依頼の窓口や、相談の支援などを行っている。

多くの人に支えられながら、がん体験の語り部として、第2の人生を生きる都倉さん。現在の心境をこう語ってくれた。

「パンドラの箱から最後に『希望という名の妖精』が出てきたように、どんな失意の中にも必ず希望はある。ただし、希望を持つためには、心が平安でなければなりません。

大切なのは、今できることを行い、あとは大きな力に委ねること。自分自身の体験を振り返ると、人知を超えた大きな力(Something Great)が働いているという気がしてなりません。神は、『世の中の困っている人のために、自分の経験を伝える』という天命を与えてくださった。自分自身の体験を1人でも多くの人に語ることで、希望を失った人たちが希望を持てるようお手伝いしたい。それが、残された自分の使命であり、ライフワークだと考えています」

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