正しい情報発信は、患者自身の力になる

取材・文●吉田燿子
発行:2013年10月
更新:2016年4月

コロンビア大学病院でボランティアを経験

愛する娘さんたちと。ニューヨークのヤンキースタジアム前で

化学療法を終え、「何かお役に立てることはないか」と申し出た山本さんに、主治医はコロンビア大学附属病院内の乳がん患者団体を紹介してくれた。

「アジア人の理事はいないから、あなたがやったらどう」

そう勧められ、山本さんは理事として、乳がん患者さんの支援活動に取り組むこととなる。

米国の患者団体が、日本の患者団体と大きく違うのは、「情報発信」よりも「寄付集め」が主体ということだ。この患者団体も、寄付金を集めて、院内の乳がん研究や乳がん患者さん向けセミナー、患者さん向け図書室の運営などに役立てる活動を行っていた。

ここで山本さんは、ファンドレイジング・パーティーの企画補助を行うかたわら、企業から寄付を募る仕事を担当。この経験もまた、後年、BCネットワークの活動で生かされることになる。

ファンドレイジング・パーティー=寄付金を募ることを主な目的としたパーティー

7年後に再発しホルモン治療がスタート

久下香織子さん(ニューヨーク総領事夫人・フジテレビアナウンサー・右)、講演者と山本さん(左)(第7回乳がんシンポジウム@ニューヨーク2013年4月)

治療の経過は順調で、化学療法後は、5年間のホルモン治療を実施。子育てのかたわら、ボランティア活動やテニスなどで忙しい日々を送った。38歳で閉経を迎えたが、子どもがいたこともあって、それほどショックは感じなかった。治療から2年も経つと、闘病の記憶は次第に薄らいでいった。

だが、病魔は再び息を吹き返す。最後のホルモン治療から2年が経過した2004年4月、近所のクリニックで内科検診を受けたところ、肺のレントゲン検査で影が見つかった。

シュナベル医師のもとで胸腔鏡下肺生検を行ったところ、2~3mmの腫瘍が3個見つかった。7年前の腫瘍と性格が似ているため、肺の原発がんではなく、乳がんの転移である可能性が高いという。

旧知の50代の腫瘍内科医は化学療法を勧めたが、念のため、若手のハーシュマン医師にセカンドオピニオンを依頼。

「ちょうど発売されたばかりのアロマターゼ阻害薬で、フェマーラという薬があります。これを投与して、1~2カ月様子を見てはどうですか」

山本さんは判断に迷い、全米トップクラスのがん専門病院、スローンケタリング病院にサードオピニオンを求めた。ここでもフェマーラを勧められ、山本さんはハーシュマン医師のもとで治療を受けることを決断。フ��マーラによる治療がスタートした。

だが、その7年後、しばらくなりを潜めていた腫瘍は、再び活発な動きを見せ始める。

2011年春、数個の腫瘍が7~9mmまで拡大したため、新薬アロマシンに変更。翌2012年春には、腫瘍の1つが1.5cmまで拡大したため、皮下注射用の抗エストロゲン薬、フェソロデックスに切り替えた。

現在は、薬の副作用である頭痛やイライラ、筋肉痛や関節炎を抑えるため、食事法やテニスに加えて、ヨガやストレッチなども実践しているという山本さん。症状を緩和するためあれこれ工夫しながら、元気いっぱいの毎日を過ごしている。

「がんになってみて、自分の命にも限りがあると気づかされました。残りの人生をボーっと過ごすわけにはいかない、時間を有効に使って興味深い人生を生きなければダメだ――その思いは、転移を経験して以来、ますます強くなっています」

フェマーラ=一般名レトロゾール アロマシン=一般名エキセメスタン フェソロデックス=一般名フルベストラント

「日々是好日」の精神で生きる

2013年8月、「第3回乳がんタウンホールミーティング@大阪」で講演する山本さん

肺転移を経験して、「乳がんと長く付き合う覚悟ができた」という山本さん。ニューヨークにある草の根日本人乳がん団体「ネスト」の会合に誘われたのは、そんな折のことだ。そこで、山本さんは同世代の女性2人に出会い、意気投合。「若くて元気な乳がん患者が必要としている情報を、日本語で発信したい」という思いが募った。

そこで、2005年、弁護士を雇って非営利団体BCネットワークを設立した。米国在住の日本人女性向けに、乳がんの情報発信を始めた。現在、BCネットワークでは、ホームページ上で米国の乳がん最新治療などに関する情報を日本語で発信。また、無料の電話・メール相談を行っている。

また、日本総領事館などの協力を得て、年1回、日本の乳腺専門医をニューヨークに招き、早期発見啓発セミナーを開催。2009年からは、日本でも「乳がんシンポジウム」を開催し、日本の女性に向けた啓発活動も行っている。

日本と米国をつなぐ形で、患者さんの支援活動を行っている山本さん。がん患者さんを取り巻く両国の環境の違いを実感することもしばしばだという。

「最近は日本でも、患者会を起こす人が増えていますが、米国では、自分の体験を他人のために役立てようと考えるのは普通のこと。また、がん関係のイベントに健康な人が大勢参加するのも、米国の特徴です。たとえば、チャリティ・ウォークでは、患者さんが友達を誘って参加することが多い。なかには、多くの友達に参加を呼びかけ、ひとりで何千ドルも寄付を集める人もいるほどです」

一方、日本ではがん患者さんと健常者の間に大きな壁があると山本さん。がん関係のイベントでも、ひとりで参加する患者さんの姿が目につくという。

「日本と米国では、がんに対する社会の受容の仕方が違うと感じます。たとえば、米国では奥さんががんになると、旦那さんはそれを隠すようなことはしません。『今日は妻の検診日なので、午前中、会社を休みます』と言っても、誰も非難する人はいない。仕事の遅れは後でカバーすればいい、という考え方なのです」

米国社会には、がんやがん患者さんとの共生を、自然に受け容れる雰囲気がある、と山本さん。今後は日本でも、乳がん患者さんだけに限定せず、一般向けの啓蒙活動にも力を入れていきたい、と思いを語る。

山本さんの自宅には、実家から持ってきた掛け軸がかかっている。

掛け軸の言葉は「日々是好日」。雨の日も風の日も、その日その日を新鮮な気持ちで生きれば、かけがえのない1日になる、という意味の禅語だ。

この言葉をかみしめながら、山本さんは今日もパワー全開で飛び回っている。

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