慣れない海外での闘病体験。夫と周囲の人の支えで治療を乗り切る
抗がん薬治療で 壮絶な副作用を経験

術後は再発予防のため、放射線治療と抗がん薬治療を同時に行うことになった。
治療が始まる直前、伝染性単核球症というウイルス性感染症にかかり、高熱と肝機能障害でダウンするというハプニングもあったが、4月から1カ月間の放射線療法が始まった。
その後、シスプラチンなど6つの薬剤を使った多剤併用療法による化学療法もスタート。
多少、だるさや微熱などの副作用はあったものの、体調にそれほど変化はなかった。むしろつらかったのは、「縛られる」ことへの恐怖感だった。抗がん薬治療では、1日4時間、点滴のためベッド上で体を拘束される。そのことに耐えられず、今まで感じたことのない精神的パニックを覚えるようになった。リラックスするため、軽めの本を読んだり、音楽を聴いたり、テレビゲームをしてみたりしながら恐怖をしのいでいた。
泉さんが最大級の副作用に襲われたのは、最後の抗がん薬治療となるはずだった、4回目の治療の翌日のことである。
「あなたの場合は副作用も少ないし、体力も問題なさそうだから、抗がん薬をもう1回、5回目を追加しましょう」
思いがけない成り行きに鬱々としていると、突然、40度の高熱が出た。発熱と全身の震え、嘔吐、激しい頭痛の波状攻撃が続き、壮絶な副作用は3日間にわたって続いた。
「これ以上の抗がん薬は危険だから」と、夫は化学療法を止めることをドクターに宣言。中止要請はあっさり受け入れられ、治療は終わりを告げた。
「よくがんばったね」
夫の優しい言葉に、泉さんは救われる思いだった。
2つの国の友人の愛情に支えられて

慣れない外国での闘病は、イタリアの家族や友人たちの支えなくしては不可能だった、と泉さんは振り返る。
「がんを告知された日から、私の側には必ず誰かが寄り添っていてくれました。いつも多くの人たちが、私と一緒に病気に立ち向かってくれたんです」
退院後、家で療養しているときも、夫は出張で留守がち、だからひとり療養している私を友だちは放っておいてはくれなかった。
有無を言わさずホームパーティーに連れ出されるのには閉口したが、それが泉さんに元気を与えてくれたのも事実だった。
「イタリア人は、1人で過ごすのを恐れているところがある。だから、友人も1人にしておくことができないんですね。最初は『放っておいてよ』と思うけれど、一緒に過ごすうちに楽しくなってくる。そのパワーはやっぱりすごいな、と思いました」
だが、戸惑いがなかった、といえばウソになる。イタリア人の友人に弱音を吐いても、全く取り合ってもらえない。「そうだよね、大変だよね」と優しく包みこんでは��らえずストレスを感じることもあった。
「手術の後遺症で足を引きずって歩いていると、『モモはなんで、そんな変な歩き方をしているの?』と友人が聞くんです。『足が痛くてうまく歩けないの』と言うと、『だったら、もっとリハビリしなさいよ!』と叱られちゃって(笑)。ドクターに心配事を相談しても、『そうなったときに考えなさい』と、取り合ってくれない。イタリア人からのネガティブへの共感は得られないので、そういうときは、日本の友達に電話していましたね」
そんな泉さんにとって唯一の気がかりは、日本の父のことだった。不自由な体を抱えて1人暮らしをしている80代の父に心配をかけまいと、病気のことをずっと隠していたのだ。
結局、父が泉さんの病気のことを知ったのは、13年8月に出版された泉さんのコミックエッセイ『イタリアでがんになった』を通じてだった。
「父からすると私が異国でひとり、しかも自分がまったく知らないうちに闘病していたことは相当ショックだったようです。でも、父は私に『お前ががんばったんだから、俺もがんばらなきゃな』って……。それが、とてもうれしかったですね」
起こるかどうかもわからないことを心配するのは無意味
現在、泉さんは3カ月ごとに経過観察を続けている。たまに、卵巣摘出の後遺症でホットフラッシュが出ることはあるが、それ以外はすべて良好で、以前と変わらずに過しているという。
「以前の私は割と心配性だったんですが、がんを体験したことで、『起きてしまったことからはもう決して後には戻れない』と考えるようになりました。人間、いつ死ぬかわからない。そう思ったら、物に対する執着もなくなりました。起こるかどうかわからない、先のことを心配することがいかに無意味か――それを、イタリアの人たちに教えてもらったような気がします」
周囲の愛情と支えがあれば、言葉や習慣の差を乗り越えて、病を克服することができる――泉さんのメッセージは、グローバル化時代を生きる私たちに大きな希望を与えてくれる。
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