声が出ない不自由さは 想像をはるかに超えていました

取材・文●吉田燿子
発行:2014年8月
更新:2014年11月


声を失ったことで日常生活が一変

経過は良好で、12月中旬に退院。今は定期的に検査を受けながら、経過観察を続けている。

「声が出なくなることは手術前から覚悟していたのですが、その不自由さは、想像をはるかに超えていました。正月の間にすっかり落ち込み、引きこもりになってしまいました」

たとえば、パソコンのモデムが不調で、ネットがつながらなくなっても、1人では電話サポートが受けられない。病院の予約にも電話が必要で、日本がいかに電話社会であるかを思い知らされた。友人との会話も筆談なので、会話のキャッチボールを楽しむことができない。そのまどろっこしさに、イライラが募るばかりだった。

気管孔に湧き出してくる痰も、悩みの種だった。痰が気管孔の口をふさぐと呼吸ができなくなる。痰が湧き出すたびに、大急ぎでティッシュで拭き取ったが、〝連続噴火状態〟で動けなくなることもしばしばだった。自宅にいる間はまだいいが、外出中に痰が湧き出したときは、気管孔を保護する布製のプロテクターをそっと持ち上げ、誰にも見られないように拭き取らなければならない。鼻で呼吸ができなくなったため、嗅覚が失われて、食べ物の美味しさも半減してしまった。

声を取り戻すために苦闘する日々

なんとか声を取り戻したいと考えた今坂さんは、食道発声の教室に通い始めた。食道発声とはゲップを利用する発声法で、習得するには1、2年を要する。練習を重ねてようやく慣れてきたころ、春休みの2週間を利用して、電気式人工喉頭の教室に参加。すると、今度は食道発声がまったくできなくなっていた。食道発声と電気喉頭では、筋肉の使い方が違うため、電気喉頭を使っていると、食道発声ができなくなってしまうのだという。苦心惨憺してようやく発声のコツをつかんだと思ったら、春休みの間に苦労が水の泡となってしまったのだ。

「以前の状態に戻るには、2~3カ月かかります」

そう言われて、すっかり心が折れてしまった。「こんな気持ちになったのは、今までの人生で初めての経験でした」と、今坂さんは当時を振り返る。

現在、今坂さんは、気管と食道の間にプロヴォックスという器具を装着する「シャント発声法」を試したいと考えている。

「シャント発声法を利用すれば、自分の声を取り戻すことができる。ただ『開発されてから日が浅いので、後でどんな問題が起こるかわからない』といって、主治医は積極的ではないんですね。たしかに器具の手入れは大変で、気管孔にブラシを入れてプロヴォックスを掃除しないといけない。自分に合う発声法かどうか、よく話を聞いて見極めたいと思います」

歌舞伎とライブが 日々のカンフル剤

市川團十郎の2007年、パリオペラ座での公演に贔屓としての心意気を示そうと成田屋の家紋、三升と杏葉牡丹を染めた帯を��って観劇をした今坂さん

人形町のお祭りに揃いの半纏で

喉頭全摘した後、今坂さん(中央)の快気祝いに集う「花嵐会」のメンバー

がん発症と喉頭摘出という思いがけない現実に直面し、奮闘を続けている今坂さん。

現在の心境をこう語る。

「声を出せない不自由さで、落ち込むこともしょっちゅうですが、手術前の自分に戻れないことはわかっています。落ち込むときは落ち込んで、『この身体と折り合いをつけてやっていかなければ』と思える瞬間が来るのを待つようにしています」

声と引き換えに永らえた命。楽しまなくては損だと考え、入院中、中断していた大好きな歌舞伎見物やジュリーのライブを退院後すぐに再開して楽しんでいるという。「万一何かあっても、電気喉頭を使って、助けを呼ぶことができるようになったので、地方への追っかけも再開しました」

部屋の中には、贔屓の役者との楽しげなツーショット写真が飾られていた。観劇やライブへの情熱も、闘病を支えるカンフル剤になっているようだ。

「この病気は『手術すれば終わり』ではなく、手術で元気になったところが本当の出発点。でも、私自身は術後のフォローをあまり受けられなかった。喉頭摘出をしたらこうなる、という見通しをもっと伝えて欲しかった、というのが実感です。たとえば、『気管孔に水が入ったらすぐに死ぬよ』というだけでなく、水を気管孔に入れないようにしてお風呂に入るにはどうしたらいいのか、という具体的なアドバイスがほしい。それが、患者からの切なる願いです」

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