がんになってみて、妻の存在の大きさをあらためて実感しました
奥さんの乳がん発症で 今度は「支える側」に
だが、そんな悠々自適の暮らしは、再び中断を余儀なくされる。今度は、妻の弘子さんが病魔に倒れてしまったのだ。
13年4月、弘子さんは左胸にしこりを発見し、地元の総合病院を受診。乳房全摘手術を勧められたが、セカンドオピニオンを求めて、聖マリアンナ医科大学のブレスト&イメージング先端医療センターを訪れた。
手術前に腫瘍を小さくするため、5月から術前化学療法がスタート。吐き気や眠気、味覚障害などの副作用に苦しむ奥さんを支えようと、星埜さんも「今度は自分の番」とばかりに、洗濯などの家事を手伝った。
弘子さんは11月22日に乳房温存手術を行い、現在も化学療法を続けているという。
「呼吸器系や消化器系の手術をすると、運動障害が出たりしますが、彼女の場合あまり後遺症は出てないようなのでそれはハッピーなのかな、と思っています」
自身のがんに続いて、妻のがんも経験した星埜さん。さぞかしショックも大きかったのではと思いきや、「あまり深刻には考えていない」とのこと。
実は、星埜さんは13年前に、胃がんを告知されたことがある。不整脈の治療で使った薬で胃壁を痛め、出血を起こして大学病院に担ぎ込まれた。胃がんと診断され、全摘することになったが、手術の前日にがんではないことがわかり、手術は中止された。そんな修羅場を何度もくぐってきたせいか、「がん」と診断されても、必要以上にたじろぐことはなくなったという。
「僕も女房も、楽観的なんですよね。まあ、なるようにしかならないと思っていますから」そう、星埜さんは淡々と語る。
「婦唱夫随」でがんを乗り越える
元気の秘密は「農作業」。今は東京と長野を行き来しながら、夫婦そろって農作業に精を出している。また、農閑期にはウォーキングを兼ねて、街道歩きも楽しんでいるという。
星埜さん夫婦が街道歩きを始めたのは、定年前の05年。日本橋三越に行ったついでに、旧東海道をたどり、品川まで歩いてみようと思いついた。以来、3連休を利用して2泊3日の行程で街道歩きを続け、東海道や中山道を次々に踏破。今は甲州街道を攻略中だという。
「街道歩きでは1日30kmほど歩くことも。結果的に、街道歩きで身体を鍛えていたから、食道がんも乗り越えられたのではないかなあ、と思いますね」
がんを経験したことで、家族への思いもさらに強まった。「15歳を筆頭に5人の孫がいるんですが、自分が長生きして、孫のことを見守ってやらなければ、と思うようになりました。もう1つ変わったのは、記念日を大事にするようになったこと。女房の誕生日は豪華に祝ってやろうじゃないの、と思うようになりましたね」
何があっても泰然自若としていられるのは、固い絆で結ばれた伴侶がいるからこそ。星埜さんいわく、夫婦円満の秘訣は「婦・・唱夫・・随」「やはり、女房は立ててやらないと。人生、長いですから」
今後は、農業に本格的に取り組みたい、と抱負を語る星埜さん。弘子さんも調理師免許を���得したというから、星埜さんが経営する農家レストランで、無農薬栽培の野菜料理が味わえる日も近いかもしれない。「主治医の先生から、退院するときに『くよくよするな』と言われましてね。婦唱夫随で夫婦仲よく、ストレスのない暮らしをするのが一番だと思っています。女房もいろいろと気に入らないこともあるとは思いますが……お互い、尊重しながら暮らしていこうじゃないか、と思っています」


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