がんになってみて、妻の存在の大きさをあらためて実感しました

取材・文●吉田燿子
発行:2014年9月
更新:2019年7月


奥さんの乳がん発症で 今度は「支える側」に

だが、そんな悠々自適の暮らしは、再び中断を余儀なくされる。今度は、妻の弘子さんが病魔に倒れてしまったのだ。

13年4月、弘子さんは左胸にしこりを発見し、地元の総合病院を受診。乳房全摘手術を勧められたが、セカンドオピニオンを求めて、聖マリアンナ医科大学のブレスト&イメージング先端医療センターを訪れた。

手術前に腫瘍を小さくするため、5月から術前化学療法がスタート。吐き気や眠気、味覚障害などの副作用に苦しむ奥さんを支えようと、星埜さんも「今度は自分の番」とばかりに、洗濯などの家事を手伝った。

弘子さんは11月22日に乳房温存手術を行い、現在も化学療法を続けているという。

「呼吸器系や消化器系の手術をすると、運動障害が出たりしますが、彼女の場合あまり後遺症は出てないようなのでそれはハッピーなのかな、と思っています」

自身のがんに続いて、妻のがんも経験した星埜さん。さぞかしショックも大きかったのではと思いきや、「あまり深刻には考えていない」とのこと。

実は、星埜さんは13年前に、胃がんを告知されたことがある。不整脈の治療で使った薬で胃壁を痛め、出血を起こして大学病院に担ぎ込まれた。胃がんと診断され、全摘することになったが、手術の前日にがんではないことがわかり、手術は中止された。そんな修羅場を何度もくぐってきたせいか、「がん」と診断されても、必要以上にたじろぐことはなくなったという。

「僕も女房も、楽観的なんですよね。まあ、なるようにしかならないと思っていますから」そう、星埜さんは淡々と語る。

「婦唱夫随」でがんを乗り越える

元気の秘密は「農作業」。今は東京と長野を行き来しながら、夫婦そろって農作業に精を出している。また、農閑期にはウォーキングを兼ねて、街道歩きも楽しんでいるという。

星埜さん夫婦が街道歩きを始めたのは、定年前の05年。日本橋三越に行ったついでに、旧東海道をたどり、品川まで歩いてみようと思いついた。以来、3連休を利用して2泊3日の行程で街道歩きを続け、東海道や中山道を次々に踏破。今は甲州街道を攻略中だという。

「街道歩きでは1日30kmほど歩くことも。結果的に、街道歩きで身体を鍛えていたから、食道がんも乗り越えられたのではないかなあ、と思いますね」

がんを経験したことで、家族への思いもさらに強まった。「15歳を筆頭に5人の孫がいるんですが、自分が長生きして、孫のことを見守ってやらなければ、と思うようになりました。もう1つ変わったのは、記念日を大事にするようになったこと。女房の誕生日は豪華に祝ってやろうじゃないの、と思うようになりましたね」

何があっても泰然自若としていられるのは、固い絆で結ばれた伴侶がいるからこそ。星埜さんいわく、夫婦円満の秘訣は「婦・・唱夫・・随」「やはり、女房は立ててやらないと。人生、長いですから」

今後は、農業に本格的に取り組みたい、と抱負を語る星埜さん。弘子さんも調理師免許を���得したというから、星埜さんが経営する農家レストランで、無農薬栽培の野菜料理が味わえる日も近いかもしれない。「主治医の先生から、退院するときに『くよくよするな』と言われましてね。婦唱夫随で夫婦仲よく、ストレスのない暮らしをするのが一番だと思っています。女房もいろいろと気に入らないこともあるとは思いますが……お互い、尊重しながら暮らしていこうじゃないか、と思っています」

年に一度温泉に行く大学時代の仲間と筑北村の家で。星埜さんの左隣は妻・弘子さん

川崎の自宅の近所に住む次女夫婦宅で孫たちと一緒の星埜さん夫妻
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