膵がんサバイバーとして膵がん研究の支援活動に取り組みたい

取材・文●吉田燿子
発行:2014年12月
更新:2015年3月


術後の激痛と飢えに耐え 化学療法がスタート

膵がんと尿膜管がんの手術を行ったのは6月4日。腹部を30㎝も切ったため、麻酔から醒めると激しい痛みが襲ってきた。

「地獄の苦しみでしたね。看護師さんに『痛み止めを追加してください』というと、『もう全量入っていますよ』と言われて。『え~っ、嘘つき!』って(笑)」

激痛は3日ほど続き、それが過ぎると、今度は飢えが襲ってきた。手術の合併症で傷口から膵液が漏れたため、膵臓の活動を抑えるため絶食を強いられたのだ。1週間は水さえ飲むことができず、2カ月間は食事をとることができない。これほどの飢餓感を味わったのは、生まれて初めてのことだった。

膵がんの再発率は、他のがんと比べると、きわめて高い。それでも、林さんはがんの再発を防ぐために、できる限りの手を尽くす覚悟を固めていた。

7月下旬に退院し、ジェムザールによる半年間の化学療法がスタート。それと並行して、クリニックで樹状細胞療法も自費で受けた。

ジェムザール=一般名ゲムシタビン

仕事にあくせくするのが阿呆らしくなった

フォークリフトで油類の積み下ろし作業をする林さん

翌13年、林さんは静岡に飛んだ。静岡がんセンターで行われた膵がんの補助化学療法に関する臨床試験で、「TS-1はジェムザールと比較して、手術後の膵がん患者の生存率を大幅に上昇させる」という結果が発表されたためだ。

「主治医の先生には、『今、TS-1をやってしまえば、再発したときに打つ手がなくなるから』と反対されたんですが……。『ある弾は全部打ちたい』と思ったんです」

こうして、ジェムザールとTS-1による1年間の治療を終えた林さん。「やりたいことはやっておかなきゃ」と、退院後はパラグライダーにも挑戦した。ところが、7回目のフライトであえなく墜落。腰椎骨折で3カ月の入院を余儀なくされた。

「嫁に事故のことを報告したら、『まあ、生きてるならいいわ』と言って爆笑されました(笑)」

ダブルキャンサーの発覚、転移の告知、そして、絶望の淵からの生還――この2年間、林さんは天国と地獄の間で激しく翻弄され続けた。死に直面した苦悶の日々は、林さんの人生観をどう変えたのだろうか。

「仕事にあくせくするのが阿呆らしくなりましたね。がんを経験してからは、取引先との価格交渉でも駆け引きをしなくなりました。正直に本音を話したほうが、取引先も好感を持ってくれて、不思議とビジネスもうまくいく。お金に対する価値観が変わり、くだらないことに時間をかけるのがもったいないと感じるようになり��した」

TS-1=一般名テガフール・ギメラシル・オテラシルカリウム

膵がん研究の支援活動に取り組みたい

今年8月、『がん活力』(太陽出版)を出版。がんとの闘い方など現代の医療に対する率直な思いを赤裸々に綴った。

「僕の場合、たまたま運よく生き残ることができた。それだけに、がん患者さんに貢献したいという思いも強いんです。僕は経営者なので、僕が現場にいなくても会社は回っていく。仕事はあんまりしないから、と周りにも言っています」

そう語る林さん。今は、本の執筆やブログの更新、患者さんからのメール相談など、生活の7、8割を患者さんのサポートに費やしているという。

今後は、膵がんの患者さん向けに治療情報を発信するサイトを立ち上げたい、と林さん。さらに、NPO法人パンキャンジャパンと協力して、膵がん研究の支援活動に取り組みたい、と抱負を語る。

「膵がんの研究者グループは、研究資金を確保するのに四苦八苦しているのが実情です。新しい治療法を開発するためにも、研究資金を支援できるような方法をなんとか考えたい。膵がんのサバイバーとして、これからも膵がんのために頑張らんといかんな、と思っています」

膵がん患者支援団体パンキャンジャパン代表の眞島喜幸さん(右)から親善大使に認命された林さん

パンキャンジャパン患者会で自分の病いの経緯を話す林さん
1 2

同じカテゴリーの最新記事