がんを隠さず、オープンに生きると闘う力が湧いてくる
化学療法を試みるも副作用により中止

5月11日に手術を受け、左肺下葉を切除。術後3日目にはドレーンが抜かれたが、痛みと息苦しさで歩くこともままならなかった。痛み止めが切れると、息が止まるほどの痛みに襲われた。
術後12日目に退院したが、坂道や階段を上るたびに息苦しさを感じ、手術後の体に慣れるには1年を要した。
病理診断の結果、「ステージⅢB」と確定診断が下りたのは6月下旬のことだ。腫瘍のサイズも、がん発見からの3カ月間で1.5㎝増大し、4.5㎝になっていた。アレルギー体質を考えると、化学療法はあまり好ましいものではなかったようだが、水野さんは化学療法を希望。「後になって、『あのとき抗がん薬治療をしておけば』という後悔はしたくないんです」というと、「そうだよね」と担当医も納得した様子だった。
7月上旬、化学療法のため入院。*パラプラチン、*ジェムザールが投与されたが、血液毒性が強く、抗がん薬治療はいったん中断せざるをえなかった。
7月下旬、薬剤を2割減量して、通院による2度目の化学療法が始まった。だが、治療4日目に吐血。救急搬送された水野さんに、担当医はこう告げた。
「3度目は命をとられるから、化学療法はもうやめましょう」
その言葉を、水野さんは静かに受け容れた。4クールの化学療法を全うすることはできなかったが、限界までやりきったことで、もはや悔いはなかった。
*パラプラチン=一般名カルボプラチン *ジェムザール=一般名ゲムシタビン
7年目に再び原発がんが見つかる
その後しばらく、がんは鳴りをひそめていた。09年5月の検査で左肺に小結節が見つかったが、半年後には消失したかにみえた。
がんが息を吹き返したのは、術後7年目を迎えた昨年1月のことだ。消えたはずの左肺の小結節が、1㎝大まで大きくなっていた。
「放射線治療か胸腔鏡下手術か、どちらかを選んでください」
担当医に促され、水野さんは「手術でお願いします」と即答。手術は3月14日に行われた。
病理検査の結果、切除した腫瘍はステージⅠAの初期がんと判明。しかも転移がんではなく、新たにできた原発がんだという。転移でなかったのは不幸中の幸いだったが、術後の後遺症との闘いは壮絶だった。肋間神経痛を併発し、激痛が水野さんを襲った。また、肺の出血を止めるために使った血液製剤が免疫システムを刺激したためか、体中がひどくだるかった。
「入院日数を短くするため、傷がしっかり塞がっていないのに、絆創膏を貼って退院したような状態でした。自宅でお風呂に入った後、体を拭いていたら何かが手に触れたので、娘に見てもらったら『���母さん、しっぽが出ているよ』というんです。傷口が塞がっていないところから、なんと縫合糸が出てきてしまったんです……」
病気を隠さなくとも生きられる世の中に
2度の手術で左肺の大部分を失ったため、今は走ることもできなくなった。そんなハンディキャップを抱えながらも、水野さんは、障害者を送迎する車に添乗する仕事を再開。その理由は、「人と関わることの大切さと楽しさ」を知っているからだという。
「民生委員をしていたとき、たまたま、近所中から嫌われているお年寄りを担当することになったんです。でも、話をしてみたら、おじいちゃんは寂しいだけで、私を姉と慕ってくれるようになりました。目の前で人が変わっていくのを見て、人との関わりってものすごく大事だなぁ、と実感させられました。今は仕事で障害者の方たちと接していますが、慣れてくると『今日は落ち込んでいるなぁ』とわかるようになる。その方たちが1日楽しく過ごせるように気持ちを盛り上げることが、私の楽しみでもあるんです」
水野さんのモットーは、「隠さずオープンに生きること」。地域のなかでも、がん患者であることをけっして隠そうとはしなかった。それが、回りまわって、がんと闘う力を自分に与えてくれた、と水野さんは振り返る。
「病気を隠さないでいると、周りの人が顔を見るたびに『どう、元気?』と、声をかけてくださるんですね。すると、それが励みになって、『私もがんばらなきゃ』と思うようになる。今は2人に1人ががんになる時代ですから、病気を隠さなくても生きられる世の中になって欲しい。それが、私の一番の願いなんです」

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