胃、食道、咽頭にがんを発症しただけでなく脳梗塞、心房粗動、心房細動、肺炎、腎臓病が加わっても生き返った男の物語 『自分もしぶといが、がんもしつこい。それが実感です』

取材・文●吉田健城
撮影●「がんサポート」編集部
発行:2017年10月
更新:2020年2月


自力で水分補給ができなくなり緊急入院

水を飲めないとシスプラチンの腎毒性を体外に排出できないため急速に腎臓の働きが悪くなる。腎機能の状態を示すクレアニチン値は正常範囲(0.8~1.3㎎/dL)を飛び出して1.8に上昇していた。

このままでは腎臓がいかれてしまうと思った村串さんは、国立がんセンター中央病院の担当医に事情を話し、緊急入院して点滴で水分補給を受けた。

結局この時は7日間入院する羽目になったが、きめ細かいケアをしてもらったおかげで自力で十分な量の水分を飲めるようになり、食欲も出てきた。

このように抗がん薬と放射線の副作用に悩まされたため、村串さんは体重が9㎏減ってしまったが、途中でギブアップすることなくスケジュール通り最後までやり通した。

それから3年後の2012年7月、今度は下咽頭にがんが見つかった。

下咽頭がんは見つかった時点で、70~80%の確率で頸部リンパ節に転移している。しかし村串さんの場合は、がんの最大径が5㎝あったものの、表面の上皮に限局しており、頸部リンパ節への転移や隣接する部位への進展は見られなかった。

選択された治療法は放射線療法だった。

「内視鏡手術で切除するという選択肢も、あるにはあるんだけど、声帯を傷つけるリスクが高いので、始めから放射線療法しかないという感じでした」

この時の放射線療法は先進医療の1つであるIMRT(強度変調放射線治療)を用いて行われた。期間は7週間で、土曜日曜と祝日を除く毎日、国立がんセンター中央病院に通院して照射を受けることになった。

IMRTのウリは病巣の形状に合わせて照射できるため周辺の正常組織へのダメージが小さいことだ。そのため従来よりも多くの放射線を腫瘍に照射することが可能で、治療効果が高い。

それでも副作用を回避することはできない。8月6日に照射を受け始めて3週間が経過したころから、声がかすれるようになり、日を追うごとにひどくなった。

村串さんは9月8日に行われる息子さんの結婚式で両家を代表してあいさつをすることになっていたので、その日まで、声を出せる状態が続くか不安になり、奥さんに代読してもらうべく原稿を用意した。しかし、それが読まれることはなかった。

「結婚式の日は、まだかろうじて声が出たので、自分の言葉であいさつすることができたんですが、翌日の夕方、まったく声が出なくなったので、ぎりぎりセーフでした(笑)」

放射線の副作用はこれにとどまらず味覚障害、嗅覚障害にも悩まされた。

「味覚は何を食べても甘く感じるようになり、焼酎を飲んでも砂糖がたっぷり入っているような感じがしました。嗅覚もおかしくなり、鼻先にニンニクを近づけても、何も感じなくなりました」

もう1つつらかったのは、喉の周辺に照射を繰り返した影響で、しばしば誤嚥(ごえん���が起きるようになったことだ。誤嚥は飲み込んだ飲食物が食道ではなく、気管に入ってむせたり、咳き込んだりする現象で、村串さんの場合、ミカンのような水分と固形分が一緒になっている食物を摂取すると、起きることが多かった。

2017年4月。中咽頭・舌の手術後

飲みたい酒をのみながら楽しくやろうというタイプ

IMRTによる放射線治療は治療効果が高く、下咽頭にあったがんの病巣は完全に消失した。しかし、がんはこれで打ち止めになったわけではなく、翌2013年1月には中咽頭がん(2度目)、昨年(16年)10月には舌がん、今年(17年)4月には舌がん(2度目)と中咽頭がん(3度目)が見つかった。幸いどれも早期のうちに発見できたため、内視鏡手術やメスによる手技で切除可能で、大事には至らなかった。

命を脅かすのは、がんだけではない。昨年3月には、自宅近くの駅の構内を歩行中、脳梗塞が起きて昏倒。幸い駅員の機転ですぐに救急車が手配され近くの大学病院に担ぎ込まれ、間を置かずに脳の専門医による治療を受けることができた。それにより半身不随、言語障害などの重篤な後遺症を抱え込まずに済んだので、村串さんは今もノンフクション作家として忙しく執筆活動や講演活動を続けている。

2017年6月。舌がん手術2カ月後に講演活動

村串さんは模範的ながん患者ではない。いつ出るかわからないがんを心配するより、飲みたい酒を飲みながら楽しくやろうというタイプだ。多重がんと向き合う上で重要なのは、そうしたストイックにならない姿勢だ。多重がんは喉頭、咽頭、食道、胃、膀胱などに、次々にがんができ、それをモグラたたきのように叩いていく展開になる。このモグラ叩きゲームはロングマッチになるので、力んで勝ちに行くと体力が続かなくなる。

村串さんは普段は自然体に構え、早期発見早期治療という1点を外さなければ何とかなるという姿勢で多重がんを生き延びてきた。その姿勢は現在も全くブレていない。

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