働き盛り38歳2児のパパが突然、中咽頭がんステージⅣaと宣告されたら がん患者になった私が皆さんに伝えたい2つのこと

取材・文●髙橋良典
撮影●「がんサポート」編集部
発行:2019年2月
更新:2019年7月


明けない夜はない、止まない雨はない

一方、放射線治療は最初のうちこそ問題はなかったものの10回目ぐらいから味覚がなくなり、徐々に喉の痛みが増し食事も摂れなくなってきた。

3月26日にはついに入院当初造設していた胃瘻を使用することになり、27日には抗がん薬投与のため1週間の入院生活が再び始まった。

「抗がん薬の副作用(吐き気や倦怠感)、放射線治療による喉の痛みには参りましたが、とにかく『明けない夜はない。止まない雨はない』と思い、耐えていました」

4月4日に一時退院する。残る入院生活もあと1回だ。

しかし、放射線治療の影響で喉の痛みは尋常ではなく、医療用麻薬のオキシコドンを1日2回、マックスぎりぎりまで服用しても痛みが取れないぐらい酷いものだった。

4月17日に、4回目で最後の入院生活が始まった。

そして、4月24日に当初予定していた治療が終了する。

「主治医からは『がん治療には〝完治〟という概念はなく、この病巣の場合5年経過してようやく寛解(かんかい:症状が落ち着いて安定した状態)になる』のだと言われました」

これは一旦は治療が終わっても、再発・転移のリスクが常につきまとっているということだ。

4月27日に退院。退院はしたものの喉の痛みはおろか味覚も戻ってこず、相変わらず胃瘻中心の食事が続いた。

入院前は68㎏ほどあった体重は退院時には61.8㎏まで落ちていた。花木さんは身長が180㎝近くあり明らかに痩せすぎだ。とにかく一刻も早い社会復帰を考えていた花木さんにとって、食事はその鍵を握っている要素の1つだった。

「喉の痛み止めを飲むのを止めることにしました。痛み止めを飲めばその副作用として吐き気があり、食べたものをそのまま吐いてしまうからです。口から入れたものだけでなく胃瘻から入れた栄養剤も容赦なく吐いてしまうので胃の中がカラッポになってしまっていました」

退院後は週1回のペースで通院することに。主治医のいる頭頸部内科、放射線科、歯科と多岐にわたった。

治療と就労に理解のある職場だったことに感謝

5月16日、都心に向かい約5カ月ぶりにオフィスに顔を出した。

これまでは「自分の席はもうなくなっているんじゃないか」「みんなに忘れられてしまっているんじゃないか」といった焦燥感にかられたことも何度もあったが、職場に顔を出してみてそれが杞憂(きゆう)だったことに改めて気づかされた。

「戻ってこられる場所があるということは、治療やリハビリを前向きに取り組んでいくためのモチベーションになります。その意味でも治療と就労の両立支援制度が整っているなど、理解のある職場だったことにつくづく感謝しましたね」

それと花木さんの勤務している会社は、メンタルヘルスのカウンセリングも事業としてやっており、社員への福利厚生の1つとしても利用することが出来るシステムになっている。

「最初は病気でもないのにカウンセリングを受けたら、変な誤���をされてしまうのでは……という不安もありましたが、社内の専門家から、『一次予防として活用している方も多いですよ』と聞き安心しました。加えて私は取り敢えずやってみようという派なので、転職した2年前から利用していましたし、もちろんがん治療中も上手に活用していました」

人は誰しも家族や友人にも言えないような悩みを1つや2つは抱えているものだ。

花木さんにとってこのメンタルヘルスのカウンセリングを受けていたことは、つらい治療を乗り越えていく精神的支柱だったのかもしれない。

「利害関係が薄い分、彼らには何でも話せるし、いざとなればセーフティネットの役目をしてくれる。そういう環境が社内にあったことは大変ありがたいことだったと思っています」

ついに職場復帰を果たす

8月1日、放射線治療の最終結果を聞きに病院を訪ねた花木さんに主治医は、「検査結果は大丈夫そうですね。胃瘻も外しましょう」と告げたのだった。

5カ月ぶりに胃瘻も外れ、ついに治療も完了となった。

そして徐々に体力を回復していった花木さんは9月3日、9カ月ぶりに職場復帰を果たすことになった。復帰する前は不安を抱えていたが1日、1日と職場に慣れて行くにつれ自信を取り戻していった。

それと会社に行っていることで、休職中に感じていた後ろめたさがなくなったという。がん治療のため休職しているとはいえ、復職するまでは昼間ブラブラしていると思われないかと近所の人の目も気にしなければならなかったからだ。

1日1日を精一杯生きていくしかない

職場の仲間からの応援メッセージが書かれたTシャツを手に

職場復帰を果たし一旦はがん治療から解放された花木さんだが、2年間は3カ月に1回の定期検査を受けなければならない。3カ月に一度の定期検査が無事終了しても次の定期検査が待っている。

「だから今は3カ月区切りでないと先が見えないんです。いままでだともっと長いスパンで目標を設定することが出来たのですが。そうなると私の場合は、1日1日を精一杯生きていくしかないんですよね」

中咽頭がんステージⅣのがんに罹患してみて花木さんは、「私が皆さんに伝えたいことの1つは日常の有難味についてですね。私の場合、口からは水とゼリーしか入れられない状態が1カ月ぐらい続きましたからね。人間の基本的欲求、食べることや眠ること喋ることすら喉が痛くて出来ませんでしたから。

もう1つはやりたいことをやれるときにやっておくということ。自分自身もそう思ったし、健常者の人にも伝えたいですね。

本当にいつ何時何が起こるかわからない。私自身いつまた再発・転移するかわからない。

だからいずれこれをやろうと思い立ったことでも、『いや、今からでもやれることがあるんじゃないか』と考え直すことが増えましたね」

昨年(2018年)の8月に主治医から一旦は画像上で腫瘍はなくなりましたと言われて、気分的にも落ち着いているその隙間をぬって、転移・再発の不安が襲ってくることもあるという。

「でもがんに罹ったことでリスクの度合いこそ違いますが、明日何が起こるかわからないという定義でいけば人はみんな一緒。自分だけがことさら不安に思う必要はない、と意識するようにはしています。妻には大変な思いをさせてしまったので、これ以上心配かけたくないですしね」

花木さんは10月13日のブログでこれまで掛かった治療費のことに触れ、奥様への感謝の言葉としてブログの最後にこう記している。

「なんと言っても、治療中(今も)、僕のサポートの傍ら、それまでと変わらず働き続けてくれた妻こそが、最大の功労者です。金銭的にはもちろん、精神的にも大いに救われました」

「がんチャレンジャー」と名乗る理由

最後に、花木さんがブログで「がんチャレンジャー」と名乗っているのは何故なのか訊いてみた。

「胃瘻造設をして3日3晩食べるものも食べられずボーっとしているときに、自分の中でこの言葉が突然、閃(ひらめ)いたんです。『がんという病気そのものにチャレンジする』とう意味の他に『がんに罹患しながらも自分の可能性にチャレンジする』という意味も込めているんです」

そう力強く話す花木さん。がん患者さんに希望を与える意味でもこれからの更なるチャレンジに期待したい。

花木さんはブログをベースに新たに書き下ろした書籍、『青臭さのすすめ』(はるかぜ書房)の刊行を予定しているが、これまで刊行した2冊の本を含めこれらの印税の一部は東日本大震災による震災孤児のための教育資金として「あしなが育英会東北事務所」に寄付をする予定だ。

オキシコドン=商品名オキシコンチンなど

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