子宮体がんで子宮と卵巣を全摘した「歌う尼さん」 思い通りにいかないほうが人生は深くなる

取材・文●髙橋良典
撮影●「がんサポート」編集部
発行:2019年5月
更新:2019年5月


どん底から立ち直るきっかけが

ななさんは周りの友人たちには手術をしたことを話していなかったので、結婚式の招待状や子ども囲む家族写真を焼き付けた年賀状が送られてきた。結婚式の招待状はすべて欠席の欄に○をつけて返送、送られてきた年賀状は破り捨てたこともあった。

体のつらさもさることながら適齢期の友人たちが結婚し、子どもを出産して幸せな家庭を築いていくのを見るにつけ、羨ましくて憎たらしくて仕方なかった。

「やり切れなくてつらかったですね。自分の中にこんな醜い感情があるんだというくらい人を妬みました」

そして「自分にはもう音楽しかない」と思い詰めていた彼女に、また試練が襲い掛かってきた。所属していた事務所が倒産、お世話になった人もいなくなってしまった。

絶望のどん底に叩き落されたななさんが、ある日お寺で勤行をしていたときのことだった。いつも読み慣れていた偈文(げもん)の一節に目が止まった。〝極めて罪の重い悪人はただ仏様の名前を称えなさい、煩悩(ぼんのう)によって真実を正しく受け止めることができなくても、そのままの姿を既に仏様は救ってくださっている〟という意味の一文である。

「いままで、そんな言葉に気を留めたこともなかったのですが、こんなに他人を妬んだり羨んだり、愚痴を言ったりもがいたり苦しんだりしている私でも、そのまま生かされていること自体がとても尊いことなんだ、と気づかされました」

地元の田んぼに立つ僧侶姿のななさん

もう1つに彼女を心配してくれる友人がいたことも幸いした。

あるとき「最近、音楽活動もうまくいってないみたいだし、どうしているの」と訊ねてくれた大学時代の同級生がいた。

それまで手術をしたことを誰にも話していなかったのだが、その友人に告げたところ「いい経験やん。その体験を法話として人前で話したら」と言ってくれたのだ。

その言葉に勇気づけられたななさんは、体調も良くなってきたことも手伝って、自分の体験をお寺で話すようになっていった。手術から2年後のことだった。

すると、彼女の話を聞いた人の中に「私も子宮がんに罹った経験があって、卵巣も子宮もないのよ」という人が何人も出てきた。

「自分のことを話すまでは自分の殻に閉じこもっていて、なんで自分だけがこんなにつらい目に遭うんだろうと思ってました。しかし、その方たちはそんなことはおくびにも出さず、元気にお寺に来ていたんですね。その強さに感銘を受けました。私もいつまでも泣いていてはだめだな、苦しみを優しさに振り向けられるような人になりたいと思いました」

東北の皆さんに恩返しがしたい

ななさんにとって2011年3月11日の東日本大震災は、子宮体がんの手術や事務所の倒産同様、人生を大きく変えた出来事だった。それまでボランティアに参加したことのない彼女だったが、このときばかりは居ても立ってもいられない思いがした。

それは、彼女がコンサートで東北によく行っていていたことと関係がある。

がん経験から立ち直っていく過程で支えてくれた人たちがいま苦しんでいる。

「何か恩返しをしたい」と思っていたある日、〝復興支援のために被災地で配るタオルを作ってくれませんか〟というインターネットでの呼びかけを偶然見つけた。親戚が大阪の泉南市でタオル製造の会社を経営していたこともあって「私が手伝います」と申し出た。

それは首にも頭にも巻くことができない中途半端な長さのタオルで、〝巻けない〟はどんな苦難にも決して〝負けない!〟こととかけて、「まけないタオル」と名づけられた。駄洒落で被災地を元気づけよう、という発案者の気持ちがこもった特注のタオル。それを持って何度も東北に向かった。

「まけないタオル」を手にした被災地のみなさんと

配った「まけないタオル」の数は85,000枚になった。

コンサートをやり、タオルを配りながら繰り返しこう話したという。

「もし、あのまま病院に行かなければ私は死んでいると思います。生かされたことによる苦しみもありますが、生かされている限り、精一杯生きて行かなければならないのは、災害にあったりがんになったりしても同じではないでしょうか。みんな悩み、迷い、もがき苦しみます。私には私なりのつらさや苦しさがあったとき、東北の皆さんに支えられたご恩があります。そのご恩を返したくて来ました」

昔のお参りみたいな温もりを歌や言葉で伝えたい

インタビューの最後にがんを体験して、いま思うことは何かを訊ねた。

「思い通りにいかないほうが人生は深くなると思うんです。こんなにつらい、こんなにしんどい体験をすることで、生きていることが当たり前じゃないんだと気づかされるチャンスをいただけるというか。子どもの出来ないご夫婦の話を聞くと思わず涙が出たりするのは、私が子宮をなくしたお陰といえばお陰で、そのつらさと引き換えに得たものだったかな、と10年ぐらい経ってやっと言葉に出して言えるようになりました」

そしてこう締めくくってくれた。

「本屋さんに行くと、〝これで楽になるあなたのお悩み〟みたいな自己啓発本が、これでもかというくらい並んでいるでしょう。あの背表紙を見ているだけで暗澹(あんたん)たる気持ちになることがあります。今の人たちはボタン1つで簡単・お手軽に楽になりたいとでも思っているんでしょうか。それはちょっと違うんじゃないのかなあ、って思いますね。仏教では、人の苦しみはなくならないことを伝えています。つらいことがあってもそれとどう向かい合って生きて行くか、それをじっくり考えることが大切だと思います。私は簡単に救われる方法なんか知らんし、そんなもんがあったら私が聞きたい。

そうではなく、苦しいことも悲しいことも、また嬉しいことも全部ひっくるめてみんなで味わったり分かち合ったりする時間を、歌や講演の場で作っていきたいです。そこでは、昔みんながお寺に集ってお参りしたときのように共有していたぬくもりのようなものを、歌や言葉で伝えたいと思っています」

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