グリオーマ、悪性リンパ腫、骨髄性白血病と3度のがんを乗り越えられた理由 娘の20歳の誕生日までは死ぬわけにはいかない・前編
11時間の腫瘍摘出手術
2011年6月27日、高山さんは東京女子医大病院に入院。
入院3日目の夜、主治医の村垣さんと執刀医の丸山隆志さんから手術についての説明がされた。グリオーマだとわかったとき、高山さんは1歳の娘が20歳になるまで絶対に生きるという目標を立てていた。
「この可愛い娘が成長していくのを見届けずに死ぬわけには絶対にいかない。『半身不随になってもいいから、最低限、あと19年生きられるようにしてほしい』と必死に村垣先生にお願いしました」
高山さんのグリオーマは右後頭葉に直径3~4cmほどの腫瘍の塊があり、そこから脳の中心部に向かって腫瘍がヒゲのように伸びていた。
このヒゲのように伸びた部分まで取ることで、例え障害が出ても生存期間を長くするか、ヒゲの部分を取らず再発の可能性を残したままの生活を送るか、高山さんが迷いに迷って出した結論だった。
その思いを聞いた村垣さんは「わかりました。手術中にも簡易的な病理検査はできるのでもしグレード4の細胞が見つかったら奥のほうまで腫瘍を取りに行きます。そこまでいかなくてもいいようなら温存しましょう」と言ってくれ手術方針が決まったのだ。
11時間にも及んだ手術だったが、幸いにも腫瘍の悪性度は3で、4の細胞は見つからなかった。更に画像で見える範囲の腫瘍はすべて摘出できたと執刀医の丸山さんからの説明を受け、ホッと胸を撫でおろした。ただ視野の左下1/4が見えないという視覚障害は残ったが。
術後は退院するまで化学放射線療法を行い、抗がん薬のニドラン(一般名ニムスチン塩酸塩)の点滴治療を受けた。
高山さんにとって化学放射線療法の副作用はさほど大きいものではなく無事、退院することができた。
退院後は通院で2カ月に1度、ニドランの点滴を受ける治療が、6クール終了の2012年7月31日まで続いた。その後は3カ月に1度、MRI検査と診察のための通院が現在も続いている。

ある日突然、左脚に激痛が
グリオーマの手術から約2年後の2013年3月下旬、高山さんに新たな病魔が襲い掛かってきた。
視野の左下1/4下が見えない視覚障害があるとはいえ、社長に復帰した高山さんは新規事業を立ちあげるため忙しく動き回っていた。
そんなある日、セミナーに参加していた高山さんは左の尻に痛みを感じた。そのときは椅子が固いせいとしか思っていなかったが、その後も発作的に強烈な痛みが断続的に襲って来る日々が続くようになった。
そして4月5日、駅から帰宅中、突然、左脚全体をいままで経験したことのない痛みが貫いた。足を引きずりながら、なんとか自宅にたどり着いたものの痛みは治まらず、2時間ぐらいのたうち回る状態が続いた。
さすがにこれはおかしいと、近所の整形外科を訪れ診断を仰いだ。医師は当初、椎間板ヘルニアを疑っていたが、レントゲン写真を見て「これは椎間板ヘルニアではないので大きい病院でMRIを撮って検査したほうがいいですね」と告げた。
「実はその3日後に東京女子医大病院で月に1度の定期検診の予定が入っていたので、村垣先生に左脚の痛みのことを伝えて、左脚のMRI検査の予約を入れてもらいました」
そして左脚のMRI検査の結果に、高山さんはショックを受けることになる。
背骨の一番下、仙骨(せんこつ)の左側に大きな腫瘍らしきものが映っていた。
「画像だけではどういうタイプの腫瘍かわからないので、ここから先の検査はいろんなタイプのがんに対応できる国立がん研究センター中央病院(以下がんセンター)に行ったほうがいいと勧められ、生検を受けるためそこで1泊2日の検査入院をしました」
悪性リンパ腫と診断
病理診断の結果が判明するまでの2週間、高山さんは左脚の痛みに耐えつつ不安な日々を送った。
2週間後、検査結果を尋ねにがんセンターの血液腫瘍科を訪れた高山さんは医師から腫瘍の種類は悪性リンパ腫の一種である「B細胞性リンパ芽球性リンパ腫」と告げられる。
そして「この腫瘍細胞は『急性リンパ性白血病』と同じ細胞で、治療も『急性リンパ性白血病』と同じ標準治療を行います。標準治療があるので、どこの病院で治療を受けても同じ治療です」との説明を受けた。そこで「この病気の5年生存率はどのくらいですか」と尋ねると「40%です」の答えが返ってきた。
それはどこの病院で治療を受けても、死ぬ確率のほうが生き残る確率より高いこということではないか。
「死ぬわけにはいかない」。なんとか生き残る確率を50%にでも60%にでも上げてくれる病院がどこかにないのか必死に探し始めた。
そのさなか、奥さんが虎の門病院血液内科部長の谷口修一さんの登場したNHK番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」(2011年10月17日放送)のサイトを見つけてくれた。
「そこには谷口先生の言葉として『本当の治療は教科書にも書かれていない。ベストな治療というのは自分が患者を診て考え抜かなければわからない』といった内容のことが書かれてあったんです。それを読んでこの先生なら標準治療云々ではなく本当にベストな治療を提供してくれるに違いない、と思いました」
高山さんはその夜、グリオーマの主治医の村垣さんに「虎の門病院の谷口先生に診てもらおうと思っています」と電話で伝え「それがいいかも知れませんね」との返事をもらって電話を切った。
電話を切ってすぐ、今度は村垣さんから電話がかかってきた。
「谷口先生とはイタリアンレストランでの食事会で名刺交換してメールのやり取りをしていたことを思い出しました。それで『高山さんのことをお願いします、とメールしておいたから』と言っていただいたんですね。これを聞いて本当に驚き、妻と2人でもの凄く喜んだのを覚えています」
5月10日、虎の門病院内科外来室で谷口さんの診察を受けた。これまでの経緯と病状を一通り説明した高山さんは「17年後の娘の20歳の誕生日まで何としても死ぬ訳にはいかないので17年生きられるようにしてください」と必死にお願いすると、「じゃ、治しにいきましょう!」と力強く言ってくれた。
「その力強い言葉を聞いて、この先生なら本当に治してくれるかもしれないと希望の光が灯りました。さらに驚いたことに『高山さんが完治したら村垣先生と3人でそのイタリアンレストランに行きましょう』とまで言っていただいたのです。治った後のことまで約束してくれたのですね。つまり治ると思ってくれているのだ、と確信できました」
そして5月13日に虎の門病院血液内科に入院した高山さんは、想像を絶するつらい闘病生活が7カ月余りも続くことになるのはまだ知る由もない。(以下次号)
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