その人らしく輝いて生きるためのお手伝いがしたい がん患者らしくではなく私らしく
起業コンテストでグランプリに
もう一度起業したいと両親に相談したのだが、猛反対された。
しかし、「その人らしく輝いて生きるためのお手伝いがしたい」――その思いを何としても事業化したいと、塩崎さんはビジネススクールに入学する。
「次に自分がやるからには社会的インパクトがあって、メッセージ性のある事業を継続できるかたちでやりたいと思っていました。それを実現するためには、今の自分にはそのスキルがないと思ったので、ビジネススクールに1年通うことにしました。そこで人生初めてと言っていいくらい猛勉強しました」
人は勉強することが嫌いなわけではなく、明確な目標さえあれば、猛勉強することができるものだと知らされる。
熱心に勉強に励む塩崎さんに、ビジネススクールの校長は社会起業家を輩出するコンテスト「ソーシャルビジネスコンテスト2016」に出場したらと勧めてくれた。
「周囲には自分ががん患者だとは公表していなかったので、コンテストに出場すれば公表することになる。迷いましたがこれからがん患者としてではなく、1人の社会人として生きていくきっかけになる、と出場に踏み切る決心しました」
結果は、見事グランプリ。そのときに知り合った人の事務所に世話になりながらもう一度、ビジネスプランを練り直して2016年7月(株)TOKIMEKU JAPANを設立、代表取締役社長に就任する。
最初はがん患者さん向けのケア帽子から始まり、翌年、杖や介護靴などのケアファションブランド『KISS MY LIFE』を立ち上げる。
ケアファションブランドを立ち上げたわけ

ケアファションブランドを立ち上げたのには塩崎さんのこんな思いがあったからだ。
がん研有明病院に入院中、ケア帽子が必要になり売店に出向いたときのことだった。そこで塩崎さんの頭にある疑問が浮かんだ。
「私のおばあちゃんが、20年ぐらい前に乳がんで治療をしていた当時と同じようなケア帽子とケアシューズと杖が、まだ売られていたんです。それらを身に着けたときに『私、あのときのおばぁちゃんと同じがん患者なんだ』と改めて思い知らされ、ショックを受けました」
塩崎さんは当時、病院で祖母のその姿を見るたびに胸が締め付けられる思いがしていた。
なら祖母と同じ姿をしている娘を、父や母が見たら私が祖母に感じたように胸が締め付けられる思いがするのではないか、―と思いつらくなった、―という。
「自分がアパレルの仕事に就いていたときは、昨日より今日はいい製品を作って買ってもらうお客さんに喜んでもらおうと思っていたので、なんでこのケア帽子は何���年、変わらず同じなんだろう、このシューズは春夏秋冬用がないのだろう、お客さんにとって買う楽しみがないな、機能性はありがたいのだが、もっとワクワクするようなものが作れないのか、と思っていました」
病院内にもワクワクする場所を
「病院は人が最期を迎える場所でもあるのに、あまりに暗く寂しいのではないか、もう少し楽しい場所であってもいいのではないか、という話を講演などでしていたら、群馬にある介護施設を併設している規模の大きい病院の理事長からセレクトショップをやってもらえないか、と提案されたのです」
「2017年の夏、オシャレなケア用品や介護用品を販売する店舗をオープンするとすごく好評で、入院患者さんや家族はもちろん、元気な地元のかたも、店に訪れてくれて大変評判になりました。
とかく暗く、重い気持ちになりがちな病院にもの楽しめる場所やときめく場所が作れるのだ、と思いました」
そこで、都内でもこのようなショップが開けないかと考え、1坪ワゴンショップを展開するようになった。現在はその店舗は8カ所になる。
「介護ケア用品の業界にはブランドという価値観はあまりないのでそのあたりを皆さんにわかってもられるようにしていかなくてはいけないと思っています。
普通の商品と比べて、多く販売できるものではないのでどうしても単価が高くなってしまいます。だから、ケア商品としてだけでなく、一般の人にも販売できるように販路を開発していきたいと思っています。幸いにも共感してもらえる商社も現れ、単価も下げられようになりました。いまではケア帽子などは患者さんではなく普通のかたが購入していただくことが多いんです」
私らしく生きるお手伝いをしたい
塩崎さんは、現在、半年に1度、定期検診を受けている。
当初、起業することに反対していた両親はメディアに取り上げられるや、お客さんの喜んでいる顔を見て「多少は世間の役に立っているのかねぇ」といまでは塩崎さんのビジネスに理解を示しているという。
「がんになったからこのビジネスを始めたわけではなく、がんになる前から自分の中に不満があったのだと思います。アパレルをやっていたときも、もっと人の役に立つことをしたいと思っていたのに、やれていなかった。がんになったことでそれが明確になりました。がんになったことは神様が自分の性格を直すチャンスをくれたのかな、と思っています」
会社名のTOKIMEKU JAPANはどんなつもりで付けたのかについて塩崎さんに訊ねてみた。
「闘病中は、ちょっとおいしいものを食べたら幸せとか、可愛い服があったら幸せとか、些細なことで、ときめいたり幸せを感じたりするものです。
以前から『私らしさ』とか言われても、どう表現していいのか難しいな、と思っていましたが、自分ならこういう服を選び、こういう食べ物を食べ、こういう音楽を聴く、そういう積み重ねで『私らしさ』は構成されていて、中でもファッションは気軽に手に取れる『私らしさ』の表現なのかな、と思います。その『私らしさ』の『ときめく気持ち』を提供していきたいと思い、社名にしました」
「2019年11月からHPを一新してクリエイティブ・ケア・カンパニーという名前を新たに付け、ケアにクリエイティブを大事にしていく、それにはクリエイティブな商品を提供する、その商品をお客さんが選ぶことで、『私らしさ』を叶えていければ、との思いを込めました」
最後に塩崎さんはこう結んでくれた。
「がん患者になっても『がん患者らしくではなく、私らしく』生きて行ける、そのお手伝いを事業や製品を通じて、できればと思っています」
エネルギッシュでチャーミングな塩崎さんのこれからの益々の活躍を祈らずにはいられない。
ケアファッション『KISS MY LIFE』 https://www.kissmylife.jp/
(株)TOKIMEKU JAPAN https://tokimeku-japan.jp/
同じカテゴリーの最新記事
- 病は決して闘うものではなく向き合うもの 急性骨髄性白血病を経験さらに乳がんに(後編)
- 子どもの成長を見守りながら毎日を大事に生きる 30代後半でROS1遺伝子変異の肺がん
- つらさの終わりは必ず来ると伝えたい 直腸がんの転移・再発・ストーマ・尿漏れの6年
- 家族との時間を大切に今このときを生きている 脳腫瘍の中でも悪性度の高い神経膠腫に
- 子どもの誕生が治療中の励みに 潰瘍性大腸炎の定期検査で大腸がん見つかる
- 自分の病気を確定してくれた臨床検査技師を目指す 神経芽腫の晩期合併症と今も闘いながら
- 自分の体験をユーチューバーとして発信 末梢性T細胞リンパ腫に罹患して
- 死への意識は人生を豊かにしてくれた メイクトレーナーとして独立し波に乗ってきたとき乳がん
- 今を楽しんでストレスを減らすことが大事 難治性の多発性骨髄腫と向き合って