白血病から生還して試合することが目標でなく使命に代わった アンディ・フグと最後に闘った格闘家ノブ・ハヤシ

取材・文●髙橋良典
撮影●「がんサポート」編集部
発行:2020年1月
更新:2020年1月


14年12月「BLADE1」で公式戦に5年ぶりに復帰

高校を卒業しアメリカにも渡って武者修行をしていたノブさんは、20歳のとき強い格闘家が集まることで有名なオランダのドージョーチャクリキに入門する。

「観光ビザで3カ月間、オランダの強いと言われているところでやってみて、僕が本当に通用するのか試そうと思って行きました。1カ月半後に試合に出たんです。相手はデビュー間もないプロでしたが、その試合に負けたら格闘家になるのを止めよう、こんなところで負けているんじゃ話にならないと、思いましたね」

結果、ノブさんは1ラウンドKO勝ちを収め、ドージョーチャクリキと5年の選手契約を結んだ。1999年8月、「K-1 JAPAN GP 99」で準優勝を果たし、開幕戦の出場権を得る。1回戦でアンディ・フグと対戦する予定だったが、練習中に左あばら骨を骨折、欠場。

翌年、アンディ・フグと1回戦で対戦するも1回、KO負けを喫する。アンディ・フグさんは同年8月24日急性前骨髄球性白血病で急逝したことで、ノブさんはアンディ・フグと「最後に拳を交えた男」となった。

「アンディと対峙したとき強さを全く感じさせない男でした。達人という言葉が適切かどうかはわかりませんが、すごい選手だったんだな、と思います。できればもう一度、対戦したかったですね」

2000年7月7日、アンディ・フグとの対戦

日本骨髄バンクチャリティ「CHAKURIKI」で。大会収益金の一部を寄付する

ノブさんは14年12月に開催された「BLADE1」で公式戦に復帰する。

この試合では2Rで2度のスタンディングダウンを取られTKO負けをするが、急性骨髄性白血病を克服してのリング復帰を果たすことができた。

15年3月には、「CHAKURIKI1」を開催、大会の収益の一部は日本骨髄バンクに寄付された。

16年3月からは日本骨髄バンクが正式に後援に就いた「日本骨髄バンクチャリティ CHAKURIKI2」が開催され、以後、毎年続いている。

毎年、チャリティを行うことについて社長の甘井さんはこう話す。

「ノブが白血病を克服したことが報道されると、『励ましのビデオレターを送ってください』という連絡がよくありました。でもそのビデオレターが本人に届いたときにはもう亡くなっていることもあったんです。それなら1人ひとりに届けるよりも、骨髄バンクのチャリティを常にやっておくほうが大事なのではと思たからです」

第5回目となる次の大会は20年2月23日、大阪・世界館で開催され地元のサンテレビでも中継される予定だ。

元気な姿を見てもらうためにもリングに立ち続ける

現在、ノブさんは急性骨髄性白血病を発症してからいつも心の支えとなっていた女性と結婚、現在、1歳の子どもを授かっている。

「この病気になるまでは自分の止め時は、K-1チャンピオンになったとき。そこで辞めたらカッコイイと考えていました。この病気に罹ったときに僕自身は先生からリングに復帰できると聞かされていたので、そんなには深刻に考えていなかったのですが、反対に周囲がものすごく心配してくれていて、自分1人で生きてるんじゃない、と実感させられました。だから、その方たちのためにも白血病を克服した自分の元気な姿を見てもらいたいので、可能なかぎりリングに上がり続けたいと思っています」

勝利を収めて、後援会のファンの声援に応えるノブさん

最後に社長の甘井さんはこう続けた。

「ノブ・ハヤシという選手を見てきて、僕のほうが勉強させてもらったと思っています。ノブも僕も白血病発症する前と後では試合をする目的が大きく変わりました。発症する前はチャンピオンになるという目標があって、それに対して努力していました。

ノブが白血病になってからは試合をすることが、目標ではなく、使命に代わったんですね。その意味でも骨髄バンク啓蒙のためのチャリティは続ける必要があると思っています」

ノブさんがリングで元気な姿を見せ続けることで、どれだけ多くの同じ病いで苦しんでいる人々の励みになるかわからない。

優しい眼差しで話す好漢ノブ・ハヤシの、これから益々の活躍を祈らずにはいられない。頑張れ!

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