25歳で舌がん。9時間に及ぶ大手術を経て新たな人生にチャレンジ、そして米国公認会計士の傍らがん教育活動に

取材・文●髙橋良典
撮影●「がんサポート」編集部
発行:2020年4月
更新:2020年4月


術後何もできない自分に愕然

さて手術方式だが、最終的に三田病院の術式を選んだのには實原さん自身の事情もあった。

がん研有明病院の場合は、手術日が2カ月も先で、日に日に舌の痛みが強くなっていくことに耐えられなくなったからだ。

「三田病院であれば、1カ月後ぐらいに手術が受けられることが大きかったです。とにかく舌が痛くて、眠ることもままならず、早く手術をして欲しいという気持ちと、再発リスクを少なくするため、喋ることは捨てるくらいの気持ちで、舌の半分を切り取り腕の筋肉や太腿の皮膚を持ってくる皮弁(ひべん)再建手術を選びました」

實原さんはこれまで大病して入院したことも、もちろん手術を受けたこともなく、2015年2月に初めて国際医療福祉大学三田病院に入院。人生初めての大手術を受け、舌がん皮弁再建手術は、9時間にも及んだ。

9時間に及ぶ手術翌日の實原さん

麻酔から覚めた實原さんは手術前、想像していた以上に自分が何もできないことに気づいた。まず、体に管が20本ぐらい刺さっていて身動きが取れず、絶対安静なので起き上がることも出来ない。しかも、気管切開をしているので、もちろん声は出せない。食事も排泄も自分では出来ない。

「何よりつらかったのは、喉に痰(たん)が詰まるので、多いときには10分おきに痰を吸引してもらわないと呼吸が出来ないんです。それと再建した舌に血液が通っているか確認するため、1時間に1度、舌に針を刺して出血するか、確認するのです。ですから、落ち着いて眠ることも出来ませんでした」

こうした何も出来ない状態からスタートして、3日経って少し体を起き上がらせることが出来たのだが、それまでの絶対安静で三半規管がおかしくなっていて、歩くのもおぼつかない状態だった。やっと水が飲めるようになったのが1週間してからだった。声が出せるようになったのは2週間が経過してから。

「術後すぐはあまりに自分が何も出来ないので、目標を決め、今日は水が飲めるようになった、今日はミキサーの食事が摂れるようになった、と1日、1日確実に前に進んでいる実感は持てました」

初めての食事(ミキサー食)

手術後、約1週間の實原さん

1カ月の入院中、實原さんはリハビリに励んだ。

「国際医療福祉大学はそもそもリハビリする人を養成する大学でもあったので、三田病院はすごくリハビリルームが充実しています。喋る訓練をしてくれる理学療法士も沢山いて入院中、1日1時間ずつ3コマの時間割があって運動、肩回り、飲み込み、喋りなど舌の筋肉をほぐす訓練など、舌に特化したリハビリをやってもらいました」

他人の痛みがわかるようになった

「せっかく25歳でこのような経験が出来たことを、ポジティブに活かすことができるのではと考えるようになりました」と語る實原さん

2015年3月に退院した實原さんは、7月1日に東京本社の営業部署に異動、復職を果たした。

「会社も気遣ってくれて、喋らなくてもいい部署に配属させてくれようとしていたようですが、自分としては思った以上に喋る機能も戻りそうだったし、とにかく喋り続けることがリハビリになるから、と言われていたこともあり、そのまま営業職に置いてほしいと頼んだ結果でした」

復帰した当初はまだ、まだよく喋れなくてモゴモゴ喋りが続いていたが、取引先にも病気のことは話して理解してもらっていたという。

ところが、翌年(2016年)3月末で大手生命損保会社を退職した。

それはどうしてなのか。

「復帰して仕事も楽しみながら出来てはいたのですが、何となく自分に引っかかるものがありました。それは25歳で一度、死ぬかもしれない、という経験をしてしまったからだと思います。せっかく25歳でこのような経験が出来たことを、何かポジティブに活かすことができるんじゃないか、と考えるようになりました」

退職してすぐ、様々なリスクに対する損害保険や生命保険の代理業やがんの啓蒙活動などを行うアイタン株式会社を2016年4月に立ち上げた。

實原さんは現在、米国公認会計士の資格で、ベトナム進出の日系企業のベトナムやカンボジア進出のためのコンサルタントとして東京事務所の窓口で働く傍ら、企業向けや小中学校でのがん教育の講師活動にあたっている。

最後に、實原さんにがんに罹って何か変わったことはあるかと問うてみた。

「私ががんに罹って何が変わったかと問われれば、他人の痛みがわかるようになったことが大きいところかも知れません。いままで弱い立場の人、例えば障害を持って生まれた人や病気で苦しんでいる人の気持ちは全然と言っていいくらいわからなかったし、想像も出来ませんでした。

でも実際に、自分自身が喋れない、食べれない、水も飲めないという状態に立たされて初めて、少しは他人の痛みを理解できるようになったと感じています。いまでは、食事も問題なく摂れて、舌も半分あれば味覚もまったく問題ありませんが……」

舌がんの手術をして舌を半分切除したとは思えないはっきりした喋り方で話す實原さん。舌がんを乗り越え、新しい分野に果敢に挑戦し続けている。

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