再発しても自分を責めずに、今からの自分を大切に 乳がん手術から10年。肺に転移
神様はまだまだ、私に試練を与えるなぁ
PET-CT検査の結果は右肺に1カ所腫瘍があり、がんだということだった。
「この症状が出るまでは、再発・転移のことはすっかり忘れていました。今年の7月で乳がん手術から『10年だから薬も終りだね。念のため1年に1度の検査でいいかな』、こんな感じで山崎先生と明るく会話していました」
その一方、いいこともあったという。再発・転移がハッキリしたとき、両親にそのことを伝えると2人は泣きながら聞いていた。
「『連絡は子どもからするものだ』という考えの父でしたが、いまは父から毎日のようにLINEで連絡が来るようになりました。ですから、このことがきっかけとなっていい関係が築けています」
実は、シノハラさんは2018年に離婚を経験している。この経験が今回の再発・転移に関係していると思っているのか訊ねてみたくなった。
「ハッキリ言って大変でした。離婚協議中の1年間は鬱に近い状態までなりました。確かに離婚するにあたってストレスはありましたが、そのことが原因で乳がんの再発・転移を発症したのだとは思っていません」
1年間続いた離婚協議もやっと終わり、肩の荷が下りたシノハラさんだったが、昨年の12月には転んでひざの皿が割れ、年越しはギブスをつけたまま過ごすことになってしまった。
「これで人生の悪いことは全部お終いで、年明けから私は幸せになろう、と思っていた矢先に再発・転移が発覚したので、神様は私にまだまだ試練を与えるなぁ、と思いました」
がん保険を勧めてくれた友人に感謝している
3月4日から、乳がん遠隔転移ステージⅣでの治療が防衛医大で始まった。
CDK4/6阻害薬イブランス(同パルボシクリブ)と抗エストロゲン薬フェソロデックス(一般名フルベストラント)との併用療法で、飲み薬のイブランスは3週間飲み1週間休薬、注射のフェソロデックスは2週間に1度、来月からは月に1度というサイクルで続けていくことになる。
これらの薬が合えば3カ月ぐらいで効果が出て来るし、まったく治療効果がない可能性もあるという。心配するシノハラさんに主治医は「これで効果なかったら、薬を替えればいい。薬は一杯あるから、不安になることはないからね」と安心させてくれたという。
治療は始まったばかりだが、薬の副作用は強く、倦怠感と貧血、夜は吐き気で食事がとれない状態が続いているという。
乳がんは治療期間が長く、金銭的にも結構な負担がのしかかってくる。
「がん保険に加入してない人は、ぜひ加入したらいいと思います。現在、私は収入が多くないので、がん保険に入っていたため金銭的には大変助かっています。加入したがん保険は、たまたま友人から1カ月でいいから、加入してくれないかと頼まれて入ったんですが、そのままほったらかしにしていた保険がこんなに役に立つとは思ってもみませんでした」
人生、いつ病に倒れるかわからない。がんに罹っただけでも精神的に大変な上に、金銭的な問題まで絡めばさらにつらい状態に落とされる。がん保険を勧めてくれた友人に感謝している。
これからは再発者の気持ちに寄り添える

現在シノハラさんは、週5日不動産屋の事務のパートの掛け持ちをしている。
その仕事とは別に、自身ががんになって始めた乳がん患者や女性のがんサバイバーを対象にした「リボンヨガ」のインストラクターはこれからもライフワークにしたいとずっと考えている。リボンヨガの名称は、乳がんのピンクリボン運動とRe-born(再生)という2つの意味が重ねられている。
「本当のヨガは、リボンヨガではないかと思っています。パワーヨガはどちらかというとフィットネスに近いと思います。でもリボンヨガではポーズにこだわらなくて、呼吸を感じたり、ほんのちょっとしたことが大切なんですね」
これまでリボンヨガの指導をしながら、教室に通ってくる乳がん患者さんたちは5年ぐらいで再発する人もいて、乳がん体験者ではあるが、再発・転移を経験していない自分は彼女たちの気持ちに本当に寄り添えているだろうか、と常に考えていたという。
「以前は再発・転移した人に寄り添い、うなずくだけで、『大丈夫だよ』、なんてとても言えませんでした。自分が再発・転移したことで、私はね、私もね、と言えるじゃないですか。
だから、私が少しでも明るく元気にしていれば、同じように元気になってもらえるのかな、と思っています。こんなことは言いたくありませんが、もしかしたら半年後に死んでしまうかもしれません。でも後悔はしたくないじゃないですか。ですから、そんなふうに再発組の人たちと接することができたらいいな、と思っています」

シノハラさんは最後にがん患者さんに伝えたいこととして、こう話してくれた。
「再発や転移がわかったときに、誰もが『自分が悪かったのだろうか』『あのときのストレスがいけなかったのだろうか』『あの人(例えば、家族が、職場が、友人が、など)のせいだろうか』などと考えることがある。私は、そうではないと思うのです。決して、自分のせいでも誰のせいでもない、たまたま自分だった。だから自分を責めたりせずに、今からの自分を大切にして、自分らしく生き抜いていこうと自分も含めて皆さんに伝えたい」
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