乳がんと最愛の夫の死を乗り越え、患者会の開催や声楽活動に取り組む どう生きたら幸せになれるのか、一生懸命考えています

取材・文:吉田燿子
発行:2012年8月
更新:2013年8月

ホルモン治療がもたらした奇妙な副作用

ホルモン治療については、大久保さんは奇妙な副作用に悩まされていた。タモキシフェン投与中、卵巣が直径7、8㎝に膨れ上がり、それが破裂して小さくなるというプロセスを繰り返すようになったのだ。

とくに痛みはなく、婦人科で診てもらったところ、「卵巣をとって調べてみないと、卵巣がんか、ただの水腫かはわからない」とのこと。そのまま経過観察を続けていたが、タモキシフェン投与が終わると、卵巣の腫れはようやく収まった。だが、薬の副作用で子宮内膜増殖症になり、ときに出血する状況が今も続いているという。

奇妙な副作用は、それだけではなかった。ホルモン治療が始まって数年後、健常な左胸の乳輪が、なぜか通常の1.5倍の大きさに広がってしまった。そこで、乳頭の再建手術の際、「広がった部分を切って、右胸の乳輪を作るのに使おう」ということになったのだが、なんと術後3カ月で元の大きさに戻ってしまった。その理由は、主治医もわからないという。

「タモキシフェンは偽女性ホルモン。それが、何かの形で作用したのかもしれません」

小細胞肺がんによる最愛の夫の死

術後4年が経過したころ、大久保さんを再び絶望の淵に陥れるような出来事が起こった。闘病を愛情深く支えてくれた夫が、がんに倒れたのだ。

07年夏、毎年恒例の人間ドックで異常が見つかり、再検査を受けたところ、たちの悪い小細胞肺がんであることがわかった。検査の結果、脳転移も判明。夫とともに病院で告知を受けた大久保さんは、滂沱の涙をとどめることができなかった。

「僕はママが泣くのが1番つらいよ。これからいっぱい迷惑をかけると思う。でも、僕はできるかぎりの治療を受けるから、一緒にがんばろう」

「うん、わかった」

鼻をすすりあげながら、そういうのがやっとだった。

それからは、互いに涙を見せず、努めて明るく振舞う"やせ我慢の日々"が始まった。化学療法で入院中は、病室のキッチンで作った手料理を一緒に食べた。天気のよい日は外にランチに出かけることもあった。

「泣いても解決できないのなら、泣いてもしようがない。涙の池の縁を歩いて落っこちないようにしよう──と、夫は最初に言ってくれたんです。自宅療養中は、朝から『今日は何を食べる?』と相談して材料を買い出しに出かけたり、『今日はマヨネーズを作ろう』といって、2人で材料と格闘したり……まるで夏休みのような、楽しい季節でしたね」

だが、病魔は夫の体をむしばんでいった。自宅療養中、肺がんが膵臓に転移し、胆管が破裂。てんかん発作を起こし、救急車で病院に運ばれた。

入院4日後、夫は意識を取り戻した。窓からランドマークタワーが見える病院の展望風呂で入浴中に、夫がこう言った。

「ママと結婚してよかった。ありがとう」

「ママ、再婚しないでね」

夫��息をひきとったのは、それから間もない08年12月のことだった。

「最期まで泣かないと約束し、逃げずに病気と向き合った。そのことで、夫にも私にも、達成感のようなものがありました」

そう大久保さんは語る。最愛の伴侶を失った悲嘆は深かったが、悔いを残さなかったぶん、立ち直りも早かった。

幸い、銀行マンの夫は、慎ましい生活をすれば働かなくても暮らせるだけの手筈を整えてくれていた。これからは、1番好きなことをやろう──大久保さんが「歌手になりたい」という夢に向かって歩き始めた瞬間だった。

「歌手になりたい」という新たな夢に向かって

アーク横浜ボランティアコンサート
いのちの乳房チャリティーコンサート
青葉のつどい

コンサートの様子。上から「アーク横浜ボランティアコンサート」、「いのちの乳房チャリティーコンサート」、「青葉のつどい」

大久保さんの声楽との縁は青春時代にさかのぼる。高校の文化祭でグルックのオペラ「オルフェオとエウリディーチェ」が上演された際、主役のソプラノに抜擢されたこともある。その後は遠ざかっていたが、手術後、再び声楽の教室に通うようになっていた。

夫の死後、日本声楽家協会のライフワークコースや藤原歌劇団の育成部に参加。プロの声楽家の指導を受け、歌に磨きをかけた。2009年には、「浦舟地域ケアプラザ」に地元のケアセンターのお年寄りを招待し、初めてのボランティアコンサートを開催。

以来、コンサートも回を重ね、大久保さんは亡き夫に寄せる思いを歌い上げてきた。その様子が、NHKのテレビ番組「生活ほっとモーニング」で紹介されると、大久保さんの歌は反響を呼び、局に500件もの問い合わせが殺到。2010年にはデビューCDも出した。

「今はやることが多くて、いくらやっても時間が足りない感じです。でも、私ももう52歳。ある日突然、ホルモンの関係で声が出なくなるかもしれない。でもまあ、できるところまでやってみようかな、と。どこまで歌えるか、時間との闘いですね」

乳房再建、患者会の運営、声楽家への挑戦──がん体験を機に、さまざまなことに精力的にチャレンジしてきた大久保さん。その根源には、限られた命を燃やして生きていこうという、強靭な意志が感じられた。

「歌もただ漫然と歌っているだけではダメで、目標を持って必死に練習しなければ、絶対に上達しない。それと同じで、何も行動しなければ、いいことなんて起こらないと思うんです」

そう語る大久保さん。最後に、読者に向けて、こんなメッセージを贈ってくれた。

「がんになって、『人間いつかは死ぬ』ということが、身をもってわかりました。すると私の場合は、『こんなことを言ったら変に思われる』とか、面倒なことはあまり考えなくなったのです。どう生きたら自分は幸せになれるのか、ポジティブに一生懸命考えています。死を意識することで、人生を貪欲に生きられるのかもしれません。そのように考えてみるのはいかがでしょうか」

大久保さんが参加しているコンサートのポスター
大久保さんが参加しているコンサートのポスター。ボランティアコンサートから始まり、現在ではさまざまなコンサートに参加している
  大久保さんが歌うバラード曲のCD
大久保さんが歌うバラード曲のCD(『約束/心のスキマに飾る花束』発売元:株式会社トウキョウ・アンサンブル・ギルド)。NHKの番組で紹介され、話題となった。やさしい声と音色がこころにしみわたる


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