在宅ホスピスを支えてきた看護師が、命を終えようとする今、思うこと 見守ってくれてありがとう「ちゃんと死んでみせるからね」
70歳のとき悪性リンパ腫を発症
そんな辛島さんを病魔が襲ったのは、11年夏のことだ。
その年の4月、故郷の姉が、末期の大腸がんで死去。寝汗や倦怠感、胃の不調を感じるようになったのは、それから2カ月後のことだった。
7月7日に代謝内科を受診。1週間後に胃カメラの予約を入れて、翌日はシャンソンの発表会に出演した。だが、腹部の膨満感に、辛島さんは何か尋常ではないものを感じとった。
「ああ、これが最後なのね。私、1年後には死ぬんだわ」
不思議と、そんな予感があった。1週間後、辛島さんは血液内科で病名の告知を受けた。
悪性リンパ腫。血液がんだった。


予感があったせいか、辛島さんは「あまりびっくりもしなかった」という。その日は、シャンソンの若い友人たちと一緒に遅い昼食をとり、帰宅。1週間後、紹介状を持参して、立川の国立病院機構災害医療センターの医師・能登俊さんのもとを訪れた。
「化学療法をしないと、どうなりますか」

「3カ月です」
このままいけば、10月には天に召されることになる。そろそろ死にどきかな、という思いが脳裏をよぎった。だが、1人息子の強い要望もあって、抗がん剤治療を受けることを決意。8月4日から、3週間ごとに6クールのR-CHOP療法(*)が始まった。
抗がん剤治療は思った以上につらく、辛島さんは神経亢進や便秘、不眠などの副作用に苦しめられた。だが、薬は効き目を表し、11月に治療が終了。12月中旬に受けた胃カメラやCTの検査結果も良好だった。
治療後の2カ月間は、これまでになく充実したものとなった。大晦日には「終末期を考える市民の会」会長の西村文夫さんの葬儀に出席し、1月31日にはシャンソンの先生のコンサートにも出かけた。何よりうれしかったのは、友人や知人が入れ替わり立ち替わり、「励ます会」を開いてくれたことだった。
*R-CHOP療法=リツキシマブ、シクロホスファミド、ドキソルビシン、ビンクリスチン、プレドニゾロンによる治療
再発、そしてサルベージ療法へ
ところが、小春日和のような2カ月が過ぎると、再び病魔は勢いを盛り返した。
2月に入ると呼吸が苦しくなり、階段を上がるたびにゼイゼイいうようになった。レントゲンを撮影したところ、胸水がたまっていることが判明。医師は感染症を疑い、精密検査をしたが、結果は残酷なものだった。
「辛島さん、感染症じゃなくて再発だった」
「そうですか。再発でしたか」再発なら仕方がないなあ。もう、治療は終わりにしよう。
そう思ったが、息子に懇願されて、1クールだけサルベージ療法(*)を受けることにした。
2月15日に入院し、5日間ESHAP療法(*)を実施。これは、R-CHOP療法よりもさらに苛酷な治療で、体力も消耗し、血球数も激減してしまう。まだ1クール目とあって、辛島さんは割合元気だったが、クリーンルームの隣のベッドでは、同じ治療の2クール目に入った患者が、極限の苦しみと闘っていた。激しい副作用に苦しみ、顔中に発疹ができている。抗がん剤の注入は終わっているのに、「抗がん剤を中止してください!」 と泣き叫んでいる。
(今の医療では、目の前の症状をモグラたたきのように抑えることしかできない。本当にこれでいいのか)
辛島さんは、憤りを抑えることができなかった。
*サルベージ療法=がんが治療に無反応だった場合に行う他の抗がん剤救援治療
*ESHAP療法=エトポシド、メチルプレドニゾロンナトリウム(ステロイド剤)、シタラビン、カルボプラチンによる治療
今なら本当にいい看護師になれる
看護師として長年、患者をサポートしてきた辛島さんだが、実際に抗がん剤治療を経験して、学ぶことは多かったという。
たとえば、オンコビン(*)では末梢神経障害の副作用があり、手指や足の裏がしびれて、ビンの蓋を開けることもできなかった。また、病床から病院の環境を見て、初めて気づかされることも 多かった。
「入院していると、患者さん1人ひとりの細かい心の動きがよく見えるんです。その意味でも、この病を抱えて本当によかったと、つくづく思いました。体験するって本当に大事なこと。私がもし今、元気になったら、本当にいい看護師さんになれると思うのだけど……しかたがないわね」
辛島さんはそう言って、涙ぐんだ。
*オンコビン=一般名ビンクリスチン
延命治療を拒否し在宅ケアへ
1クールの再発治療が終わった3月14日、主治医から病状についての話があった。
治療により胸水の量が減ってきているとはいえ、今後も治療を続けなければ、がんは数週間から1カ月で再発する。とはいうものの、再発した悪性リンパ腫には今のところ有効な薬がなく、治療をしてもいつかは再発するだろう、というのが主治医の説明だった。
たとえ、生ける屍のようになりながら抗がん剤治療を続けても、遅かれ早かれ再発する。それなら、もう治療は終わりにして、最後のときを家で過ごそう──辛島さんは心を決めた。
3月20日に退院。翌日、立川在宅ケアクリニック院長の井尾和雄さんと相談し、医師と看護師に週1回ずつ来てもらうことにした。
自宅で死を迎えられる幸せをかみしめて

今、辛島さんは、自宅で夫とともに、穏やかな日々を過ごしている。在宅療養が始まってから、友人や近所の人が、気軽に家を訪れては「元気?」と声をかけて顔を見せにくる。料理を作る体力がないことを知った近所の人が、交代でおかずを届けてくれる。
「つくづく、病院は死ぬところではないと思います。病院では患者が主人公ではないけれど、自宅では患者が主人公ですから。ただ、日ましに苦しくなってくるので、もう、そんなに時間はないと思っています」
退院後は食欲も回復し、息子一家と一緒に、ビールと焼肉を楽しんだこともある。
「病院にいないと、こういうことができるんだね」
それまで、積極的治療を止めることに否定的だった息子も、最近、ようやく理解してくれるようになった。
「『肉親の死を看とることは、子どもたち(孫)の教育にもなる。お母さん、ちゃんと死んでみせるから』と、息子には言っているんです」
病院のベッドで"患者"として死ぬのではなく、1人の"人間"として尊厳ある死を迎えられる世の中を取り戻したい──その一念で、在宅での看取りに取り組んできた辛島さん。今、たくさんの愛に包まれて、豊かな収穫の時間を生きている。
「『どうして積極的治療をやらないの』と言っていた人も、『あなたの生き方を考えたら、こうするのが当然ね』と理解してくださるようになりました。病院だとなかなかそばでお話しできないけれど、ここなら、最後の最後までお礼を申し上げられますから。こうして家にいると、すごく穏やかですもの。これが、私が選んだ"1人称の死"。願わくは、在宅で死が迎えられるように、地域全体が変わっていければと願っています」
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