「がんは怖くなかった。すべてを剥ぎ取られ、生き方が変わった」 人のために働ける幸せが見えた「日本縦断の旅」

取材・文:守田直樹
発行:2012年3月
更新:2013年8月

国道で埃だらけの体でも、「自由がうれしかった」

福崎さんを取り巻く子どもたち

福崎さんを取り巻く子どもたち。「ねずみ男」をきっかけにした会話が、自然に「憲法第9条」の話につながっていく。これが憲法行脚だ

行脚に出てからは1度もつらいとか、戻りたいと思ったことはない。

鹿児島では遠くのほうから「がんばれ」と声をかけてくれる人、アメをくれたお爺さん、そして車から、大声で野次って走り去る人もいた。

テレビアニメの影響もあり、ねずみ男姿に興味津々なのは純真な子どもたちだった。「憲法第9条を知らない」という小学生2人に話しかけられ、全文を暗唱してあげた。

足にマメができたとき、サンダルのほうが楽なことにも気づいた。ほとんどが国道を歩くので1日で埃まみれだ。もちろん風呂には滅多に入れない。それでも、ふと空を見上げ、自由を実感する瞬間があった。

数々の苦難から解き放たれた実感なのか。自由を実感した瞬間について、ブログ「9条全国行脚の旅へ」に、以下のように記している。このブログは、道中を福崎さんが生きているかを確認するために、故郷の仲間から義務づけられたものである。

〈干からびそうに暑い日もある。雨風の日もある。でもそれは私を支配しているのではない。ただ暑いだけ。雨は降るだけ。風はふくだけ。私はふりかかってきたことに対して進むか、留まるか、引き返すか、自由を行使するだけ。与えられた快適が自由じゃない。それなら旅になど出ず、冷暖房完備の部屋に閉じこもっていればいい。一見不自由な旅が自由なんだな〉

まっさらな心になって「命」のありがたさが沁みる

福崎さんは自殺を考えたことはない。死ぬことで解決することは何1つなく、周囲の人たちに迷惑をかけるだけだからだ。

「ただ倒産前、『ふっとこのまま消えたら楽だろうな』という思いをもったことはあります」

福島県では、道で偶然知り合った1級建築士が自宅の倉庫に泊めてくれた。

「いま考えると、何も知らない胡散臭い男をよう泊めてくれたなあと思います。ずっと後になって、弟さんががんになったと電話をかけてこられました」

護憲が目的の行脚が、いろいろな人とつながっていく、福崎さんの新しい人生の旅をかたちづくっていく。

2008年6月、最終目的地の北海道に入った。原生林にはヒグマがいる。注意しながら歩いた林では、ベリベリという音。大きな動物の気配が走った。

「大慌てて逃げました。エゾシカだったかとは思いますが、心臓が止まりました」

稚内市の宗谷岬に着いたのは、2008年6月20日。暴風雨のなか、北海道新聞の記者が待っていてくれた。地元紙などに何度も取材を受け、それを見た人たちが声をかけてくれた。全国にある「9条の会」の人たちとも親交を深めた。

日本最北端の地で、398回目を数えたブログの更新は、いま640回を超えている。

足るを知れば貧乏が楽しめる

瞬く間に術後、5年が過ぎた。「無事」を記念して、娘さんたちと長野県まで家族旅行をした。さまざまな理由から一時はバラバラになりかけていた娘たちとの関係も、取り戻しつつある。

福崎さんは現在、築40年あまりの市営住宅で1人暮らしだ。6畳2間で家賃は4400円。木枠の窓の表裏両面には、寒さ対策で梱包用のエアパックを貼りつけている。子どもがプチプチつぶして遊ぶあれだ。普段使う部屋は天井からエアパックをぶら下げ、2畳ほどに仕切っている。ここでストーブを焚けば、灯油代は1日150円を超えることはないという。

「いまの住まいは冷え込まないと効果がわからないから、真冬の寒さが待ち遠しくなるんです。人間はしょせん、立って半畳、寝て1畳の身。欲張っても、たかが知れている。貧乏の楽しみ方もわかるようになりました」

木材の配達などの現在の仕事は月給13万円。うち2万8000円が差し押さえられている。

「それだけで返済できるわけがなく、全額返す計画で動いてもいません。隅っこで小さくなって生きて行こうと思ったこともありますが、それより、少しでも世の中のためになれればと」

「世の中のために」と楽しみながら歩く人生

2011年、地元の製麺業者が試作用に作ったラーメンスープ700食と麺を譲り受け、障害者施設などに配った。それが「フードバンク福山」へと発展。東日本大震災の被災地にも、地元の特産物や食料を運び届けた。

「パッケージの印刷ミスなどで、中身に何の問題もないのに廃棄される食べ物が大量にあるんです。缶がヘコんだだけで売り物にならないのは、きっと日本だけでしょう」

過疎化がすすむ故郷、上下町の活性化のため、地元の地産そばとして「上下ぎゅ~そば」をコーディネートした。もちろん"無報酬の仕事"だ。飛び込み営業で地元の農家にそば作りを頼み、地元の製麺所に加工を依頼。地元産の牛肉も使った「100%地産そば」は地元の名物として浸透しつつある。

旅のスナップ

旅のスナップ。日焼けした笑顔にシロツメクサの花冠をつけたねずみ男……いやでも人々が関心を抱いてしまう風貌だ

「自分が倒産で窮地に陥ったとき、『助けて』と言えなかったのは結局、上に立っていたかったから。助ける立場ならいいけど、助けられるのは嫌だったんですね。長い行脚で、見知らぬ人に泊めてもらい、食べものをいただきました。お互いさまでいいと気づき、遠慮せずに何でもお願いできるようになりました」

そのほか、家庭の廃油を集めて燃料にする「廃食油回収箱」の設置や、「地域医療を守る会」の活動……。なんだか、とても楽しそうに見える。

「それは、否定できません(笑)。人の役に立つという言葉は嫌なんですが、人のために働けるのは幸せです。徳島刑務所に収監中のある無期懲役囚の無実を訴える『徳島プリズンウォーク』が2月に行われます。それに参加するため、徳島県まで歩く予定です」

フーテンのねずみ男は、明日もどこかを歩いている。


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