免疫療法にも挑戦。2つの人工肛門を持つ小腸がんサバイバーの壮絶な闘病記 オストメイトでも、自分をさらけ出して生きていきたい

取材・文:吉田燿子
発行:2011年9月
更新:2013年8月

再生のきっかけとなったグアムへの家族旅行

イベント、リレー・フォー・ライフ宮城にも昨年から参加

がんサバイバーも多く参加するイベント、リレー・フォー・ライフ宮城にも昨年から参加している。2人の子供たちと歩く佐藤さん(左から3人目)

3回にわたる大手術、抗がん剤治療、そして免疫療法──常に前向きに治療に取り組んできた佐藤さんだが、心が折れそうになる瞬間がなかったわけではない。最もショックだったのは、人工肛門になってしまったことだという。

「ふとしたとき、『ああ、私はオストメイトなんだ』と実感するんです。夫婦生活、友達同士のお付き合い、子供との接し方──あらゆる場面で、自分が障害者になってしまったと痛感させられるんですね」

皆で遊びに行く話が持ち上がるたび、(トイレがなくて、パウチから漏れたらどうしよう)と、不安でいっぱいになる。無論、温泉旅行などもってのほかだった。身体とパウチの隙間から中身が漏れ、皮膚がただれてしまう。抗がん剤の影響で傷口が焼かれるように痛み、そのたびにネガティブな思いにとらわれた。

「痛みがひどいと精神のバランスが崩れ、子供にまで当たってしまう。そんな自分に耐えられず、最初の1年ぐらいは家にひきこもっていました。鏡を見るのもいやで、『元の自分に戻りたい』と、毎日そればかり思っていました」

苦しむ佐藤さんに、変化のきっかけを与えてくれたのは、夫だった。あるとき、夫がグアムへの家族旅行に連れ出してくれた。その宿泊先のホテルで、佐藤さんはダウン症の子供たちを連れたグループに出会った。

「親御さんたちは一生懸命、障害を持つ子供たちの手を引いて歩いていた。その姿を見て思ったんです。この方たちから見れば、私は何の不自由もない健康体に見えるにちがいない。自分は何をやってるんだろう、と」

考えてみれば、パパは自分のためには一切お金を遣わず、家族のためだけに働いている。いい加減、しゃんとしなきゃ、と自分に言い聞かせた。

「きっと、主人は外に連れ出すことがいい刺激になると考えたのでしょうね。なのに、私がいつまでも"病人"をやっているわけにはいかない。それからですね、『これが私です』と自分をさらけ出し、開けっぴろげに生きていこうと思えるようになったのは。苦しい生活ながらも旅行に連れて行ってくれたことが、いい方向へつながりました。主人には本当に感謝しています」

アロマテラピストとして障害者のためのサロンを開業

大好きなアロマテラピーの仕事

抗がん剤治療中はセーブしながら、大好きなアロマテラピーの仕事を自分のペースで続けている

もと���と仕事が生きがいだったという佐藤さん。治療費を補うためにも仕事を再開しようと、ハローワークに通い始めた。だが、採用面接でどんなに意気込みを語っても、担当者の反応ははかばかしくない。7社から不採用通知を受け取るに及び、発想を根本から変えることにした。

(自分の体調に合わせて、無理せずできることをやればいい)

ふと、岩手の病院で出会った、ある夫婦のことを思い出した。定年後にボランティアを始めたというその夫婦は、アロマのボトルを持って、入院患者の間を回っていた。両足を足湯に浸し、ローズオイルで丹念にマッサージされたときの心地よさは、今でも忘れられない。

(あんなふうに、人を癒やす仕事ができたらいいな。アロマオイルを使って健康や美容に効果を上げる、アロマテラピーを仕事にできたら……)

アロマテラピーの資格取得をめざし、知人のサロンを手伝いながら、実習を開始。佐藤さんの施術は評判を呼び、障害を持つ人たちが口コミで集まるようになった。

09年秋、自宅を改装してサロンをオープン。若い女性オストメイトの会「ブーケ」の会報に紹介されたのを機に、近隣県からも顧客が集まるようになった。現在は宮城・岩手に4店舗を構え、再び経営者として辣腕ぶりを発揮している佐藤さん。次なる夢は、インドネシアへの進出だという。

本当の夢は「元の体に戻ること」

佐藤さんが立ち上げたインドネシアのスラバヤの美容学校

佐藤さんが立ち上げたインドネシアのスラバヤの美容学校の玄関前にて、スラバヤの婦人会の元会長さんと

インドネシア行きを考えるきっかけとなったのは、昨年、日本オストミー協会の会報に掲載された1本の記事だった。

「その記事にはインドネシアの悲惨な現状が紹介されていました。国内に100人以上のオストメイトがいるにもかかわらず、その多くが生存確認さえできていない。パウチを換えないまま人工肛門を使っている人もいるそうで、私には全く信じられない話でした。会報では、インドネシアのオストメイトにパウチを送る支援活動を呼びかけていました。『それなら、障害者雇用も必要だろう』と、一気に発想が飛躍してしまったんです」

話はとんとん拍子に進み、スラバヤにある美容学校と提携して事業を立ち上げることが決まった。日本のサロンでは本場のジャワマッサージを提供し、インドネシアでは美容学校とサロンを立ち上げて、アロマテラピーやネイル、エクステ(付け毛)など日本の進んだ美容技術を紹介する。さらには、日本人を対象に、インドネシアでアロマテラピーとジャワマッサージの資格を取るツアーも企画している。

「これが事業化できれば、現地で障害者雇用を進め、利益の一部をオストメイト支援に当てることもできる。今年秋にはアロマスクールを開校し、来年には美容院を開業する予定です」

それにしても、佐藤さんの行動力とバイタリティには驚かされるばかりだ。内臓の大部分を失うという壮絶な治療に耐え、再び実業家として活躍し始めた佐藤さん。苦難に負けることなく、どこまでも突き進んでいく、その原動力は何なのか。

「アクティブに動いていたころの自分が、忘れられないんでしょうね。仕事をバリバリやって、家に帰ると子供の笑顔があり、パパが私のご飯を美味しいと言ってくれる。その全てを完璧に取り戻したい、という気持ちが強いんです。病気で全てを失ったけれど、気持ちをリセットして、新しい人生の幕開けとすることができた。先々のプランを考えるのが楽しくてしかたがないし、仕事を頑張る自分が好き。結局、"自分が大好き"なんでしょうね(笑)」

現在も抗がん剤治療を継続中のため、それほど先のことは考えられない──と前置きしながらも、佐藤さんは将来の夢を語ってくれた。

「今の仕事を成功させ、いずれはインドネシアに移住して、障害者支援をしながら夫婦でゆったり過ごしたい。でも、本当の夢は『元の体に戻ること』なんです。いつか医療が発達して人工肛門に別れを告げ、普通の体に戻れたらいいな、と。そう夢見つつ、今はがむしゃらに頑張っていきたいですね」

佐藤千津子さんのアロマテラピーサロン

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