進行性腎がんと闘いながら、看護師として母として、毎日を精いっぱい生きる 患者さんに勇気を与えられる存在になりたい

取材:吉田燿子
発行:2011年7月
更新:2013年8月

ネクサバールにより病気の進行が止まった

テニスサークルのメンバーと

いつも藤本さんを支えてくれる、笑いの絶えないテニスサークルのメンバーと(前列左から2人目が藤本さん)。仲間がいるからウィッグを着けてテニスだってできる

テニスを楽しむ藤本さん

8月上旬から、ネクサバールの服用を開始。服用2日目に頭皮に発疹ができ、3週目に入ると手足症候群が悪化して歩けなくなった。圧力がかかる手足の部位が硬くなって、そこがひどく痛むのだ。苦しむ藤本さんに、主治医がこう言った。

「体が薬に慣れてくれば、副作用は軽くなる。『肉を切らせて骨を断つ』というのかな。これも腫瘍をやっつけることが目標だからね」

副作用対策として、皮膚科で処方されたウレパールやステロイド薬を塗布し、ヒールの高い靴を履かないようにした。主治医が言った通り、手足症候群の症状に悩まされたのは最初の3カ月で、次第に症状との付き合い方にも慣れてきた。

「今は、週2回ほどテニスも楽しんでいます。脱毛も落ち着いていますが、下痢の副作用が悩みの種ですね。食後にお腹の中を水が走るような感じで……。下痢止めは欠かせません」

ネクサバールによる治療は、今のところ一定の効果を示している。肺にある大きめの腫瘍のサイズは変わらず、10カ所以上あった腫瘍のうち、小さいものは消えたのだ。このため、現在もネクサバールによる治療を継続中だ。

「たとえ今の薬が効かなくなっても、薬の量を増やす手もあるし、ほかの分子標的薬もある。まだまだ手の内はたくさんあるから、動じることはないよ」

そう言って、主治医は藤本さんを励ました。腎がんの治療薬がなかった3、4年前と比べると、今は次々と良い薬が承認されており、治療の選択肢は広がる傾向にある。そのありがたみを実感しつつも、藤本さんはふと、不安をにじませた。

「がんと共存するためには、薬を飲み続けなければならないし、耐性の心配もある。それが、ちょっとつらいですね」

心の持ちようひとつで人は変われる

日々の仕事に取り組む藤本さん

「どんなときも笑顔を忘れずに、患者さんの心に寄り添う看護師でいたい」と日々の仕事に取り組む藤本さん

09年夏の発病以来、2年の歳月が経過した。その間、藤本さんは、さまざまな葛藤に苦しめられたという。

「人と自分を比較して、落ち込むこともあります。私の周囲にいる、明るく元気な人たちを見ると、『どうして私だけが病気になったんだろう』と思ってしまうのです」

そんな藤本さんにとって救いとなったのが、前述のC型肝炎の患者さんの言葉だった。そしてもう1つ、「右腎がん・肺転移」という同じ病気を抱えた患者さんに出会ったことも大きかった。

「その患者さんはとても明るく前向きな方で、病気を吹き飛ばすような生命力にあふれていました。『私、藤本さんと出会えて、ほんと良かったわ』『藤本さんは私の命の恩人よ』。彼女が折にふれてそう言ってくれたおかげで、『自分も何かほかの人の役に立てるかもしれない』と思えるようになりました。心の持ちようひとつで人は変われることを、彼女は私に気づかせてくれたのです」

国立がん研究センターの「患者・市民パネル」で出会った仲間たちにも、教えられることは多かった。ある膵がん患者のパネリストは、インターロイキン治療の効果がなく、落ち込む藤本さんをこう言って励ました。

「世の中には治療法がない人もたくさんいます。治療法があるうちは、絶対にそれを放棄することはない。勇気を出して挑戦すべきです」

その言葉は、藤本さんの心に、深く響いた。そして、藤本さんのなかで萎えかけていた"生きる意志"を揺り動かした。

「それを聞いて、思いました。がんという病気は、体だけでなく心まで冒す病気だけれど、負けないように生きていく方法はたくさんある。自分の勇気ひとつで、1日1日を笑って生きていけるんじゃないか、と。世の中には同じ境遇の人がたくさんいて、皆、精いっぱい前向きに生きている──そのことを知ってから、あまり後ろを向かなくなったのです」

看護師であるがゆえの苦悩と孤独

実を言えば、藤本さんにはもう1つ、心の奥深くに秘めた悔悟の念があった。それは、看護師という職業に誇りを持つ藤本さんならではの問題でもあった。

「私は看護師でありながら、なぜ自分の病気に気づかなかったのか」

藤本さんは自分を責め、看護師でありながらがんになった自分を、なかなか赦すことができなかった。その苦しみを、院内の「がん支援センター」の看護師長に打ち明けたところ、彼女はこう言った。

「あなたの中には2つの自分がいる。副作用と闘う強い自分と、自分自身を責めてしまう自分。もう自分に意地悪しないで。重荷を下ろして、強い自分だけで生きていこうよ。自分自身をマネジメントすることが大切よ」

師長はさらに、こう続けた。

「死なんて、受け入れられなくて当然。どんなに良い薬や先生がいても、そこに患者さんがいなければ治療は成立しない。あきらめずに、一緒に闘いましょう」

師長の言葉は、藤本さんの心に深く沁み通っていった。藤本さんは、誰にも言えずにいた苦悩と孤独が、静かに癒やされていくのを感じた。

「これからは勇気を持って、できることをしていこう。そう思ったときから、泣くのはやめようと決めました」

がんになったことを運命として受け入れる

今春から看護師として働き始めた娘さんと、今年3月、宮古島へ旅行した

今春から看護師として働き始めた娘さんと、今年3月、宮古島へ旅行した。「主治医が休薬を許可してくれたので、病気を忘れて楽しめました」

がんを経験したことで、自分自身の看護師としての姿勢は大きく変わったと藤本さんは語る。

「病気になって、以前の自分が知らず知らずのうちに、患者さんを『上から』見ていたことに気づかされました。『病気とともに生きる』という言葉の重みが、身に沁みて感じられたのです。自分自身が同じ立場になったことで、ようやく、患者さんと同じ目線で患者さんを支えられる。今は、そんな気がしています」

今後は、自分自身が患者さんに勇気を与えられるような存在になりたい、と藤本さん。病気を運命として受け入れ、自分の使命として何かを表現できれば、と思いを語る。

「この先、次の治療法がなくなるときが来るかもしれないし、『治療を止めてほしい』と言う日が来るかもしれない。それでも、希望と勇気を持って、私は歩んでいきたいと思います。感謝の気持ちを忘れずに」


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