がんと共存しながら歌い続け、歌の心そのものを伝えたい 骨転移、肺転移の難治がんでも最後まであきらめず、目標を持って生きていく 声楽家/テノール歌手・本田武久さん
病気をきっかけに「歌うこと」の意味が変わった

ささやかなことに一喜一憂しながら、それでも前向きでいられたのは、音楽への思いがあったからだった。入院中は、由紀さおり・安田祥子が歌う童謡のCDをよく聞いていた。白血病で急逝した本田美奈子.が歌う『アメイジング・グレイス』に、励まされることも多かった。
何よりも大きかったのは、本田さん自身が歌手として活躍する場が広がったことだ。神奈川、秋田、山形など各地で本田さんのリサイタルが催され、コンサートへの出演依頼も増えた。それは周囲の仲間たちのサポートなくしては実現しえなかった、と本田さんは語る。
「歌う場があるからこそ生き生きとしていられる――そのことを、僕の周囲の人たちはよく理解していて、コンサートを企画してくれたり、コンサートに足を運んでくれたりする。『もう駄目かなあ』と思っても、『また聞きたいわ』と言われると、それが励みになって『もっとがんばらなくちゃ』と思える。もし自分1人だけだったら、今ごろどうしていたか……。本当にありがたいと思っています」
本田さんにとって、「歌うこと」は「生きること」と同義なのだ。だが、その意味合いは病気を境に大きく変化した、と本田さんは語る。
「病気になる前は、『うまくなって認められたい』『歌手として活躍したい』という思いが強かった。『なぜ自分に活躍の場が与えられないのか』『自分を評価してくれない社会はおかしい』と、周囲のせいにして恨むようなところもあった。でも病気をしてみて、音楽そのものの魅力にあらためて気がついたんです」
自分を取り巻く世界に音楽が存在するということ。そのこと自体、どんなに素晴らしく幸せなことか。歌の技巧を披露するよりも、演奏家として曲のよさを引き出し、お客さんに届けたい――病気を経験して、そんな心境に変わってきたという。
そんな本田さんが最も喜びを感じるのは、「音楽を通じて響き合っている、と感じられるとき」だ。「お客さんが一生懸命、歌を聞いてくださっている表情や、歌い終えたときに送ってくださる拍手。それに触れたときは、『伝わったかな』と感じて、すごくうれしくなりますね」
日本の童謡や唱歌を歌っていきたい
本田さんが今、最も力を入れているレパートリーに、童謡や唱歌がある。日本の四季折々を歌いあげた、どこか郷愁を感じさせる童謡や唱歌。そんな日本の歌を、これか��はどんどん歌っていきたい、と本田さんは抱負を語る。
そんな本田さんにも、かつては“フランス歌曲を得意とするテノール歌手”を自任していた時期がある。
「フランス歌曲というジャンルは音楽的に難しく、レパートリーにしている歌手も少ないので、自分はそれを売りにできると思っていた。かといって、本当に好きで歌っていたかというと、そうでもないんです。その点、今歌っている日本の歌は、気持ちの入り方が全然違う。歌っていると、のどかな子供時代や懐かしい大人たちのことが思い出されて、何かホッとします」
歌唱のテクニックや評価にこだわっていた、かつての自分はもういない。闘病生活は、本田さんの歌から虚飾を削ぎ落とし、純化させる“効用”をもたらした。「これからは自分の経験や思いを歌に込め、自信を持って歌っていきたいですね」
そう語る清々しい表情からは、「歌の心そのものを伝えたい」という強い思いが伝わってきた。
死生観を変えたある女性患者との出会い

その一方で、病魔はゆっくりと、しかし確実に進行していた。肺の腫瘍は検査のたびに大きくなっていく。09年9月、右足に痛みを感じて検査したところ、足の付け根付近の筋肉に腫瘍の再発が認められた。さらに、近くの骨にも新たな転移が発覚。再び、腫瘍を摘出し、転移した骨の一部を削ってセメントを埋め込む手術が行われた。
「再発と聞いたときも、割合、冷静でしたね。この病を背負ったからには、いつかは再発するものと覚悟していましたから」
本田さんは今年初め、それまでの死生観を大きく変えるような出来事に遭遇したという。きっかけは、Kさんという60代の女性患者との出会いだった。
Kさんと知り合ったのは病院のロビーコンサートでのこと。緩和ケア病棟まで訪ねていった本田さんを、Kさんは笑顔で迎えてくれた。
〈ご自身の命が、もう残り僅かだということを受け入れているようで、いろいろな話をしてくれました。その話は、とても自然な感じで私の心に響きました〉
Kさんは本田さんの歌がとても好きだと語り、最期の旅立ちのときには、本田さんに『ふるさと』を歌ってほしいと頼んだ。
「Kさんは死ぬ間際まで、人生の素晴らしさを僕に一生懸命伝えてくれました。Kさんが最期まで強い意志で自分の役目を果たしている姿を見て、自分もこんなふうに最期を迎えられたらいいな、と思ったんです」
最後まで意志を持って生き抜くことの素晴らしさ――Kさんとの出会いを機に、本田さんの心のなかで、何かが確実に変わっていった。足の痛みなどの自覚症状が強くなってきたことも、本田さんがあらためて死に向き合うきっかけとなった。そんな折、本田さんは1冊の本と出合う。がん専門医・中川恵一氏の著書『死を忘れた日本人』。「この本を読んだことで、ようやく『死』を受け入れることができた」と、本田さんは語る。
「それまでは、病気が治らないことは頭でわかってはいても、『自分は死なない』『死にたくない』と足掻いていた部分もあった。でも、『自分はいつか死ぬ』とイメージできたことで、頭が整理され、よりよい人生を送りたいと思うようになったんです。おかげで安心したというか、精神的には楽になりましたね。ずいぶん変わった気がします」
最後まであきらめず目標を持って生きていく

現在、本田さんの病状はさらに進行のきざしを見せている。右足の腫瘍が増大し、痛みも強くなった。日常生活を支障なく続けるためにも、本田さんは来年初めに足を切断して義足をつけることを希望している。肺の最大の腫瘍も7センチになった。
さらに今年9月末には、頭蓋骨への転移が発覚。主治医と相談の結果、11月に入院し、手術することになった。
「今後も、できるだけ長く歌い続けていきたい」という本田さん。今年6月には、初のCD『そして 今日も うたをうたう~めぐり逢い~』を発売し、音楽家としても大きな節目を迎えた。これからの人生をどう過ごしていきたいですか――そう問うと、本田さんはこう語った。
「歌うことで、いろいろな人と出会うことができる。だからこそ最後まであきらめず、目標を持って生きていきたい。Kさんとの出会いと別れをきっかけに、心からそう思えるようになった気がします」
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