胸・子宮・卵巣、女性機能をすべて切除。どん底から這い上がったその強さの秘密 2度の乳がんは、本来の自分自身を取り戻すためのレッスンだった

取材・文:吉田燿子
発行:2010年11月
更新:2013年8月

闘病生活を支えたChieアート

写真:Chieさんのフランス・パリでの個展で

Chieさんのフランス・パリでの個展で。Chieさん(左)と一緒に

細谷さんの人生は、あるアーティストの存在を抜きにしては語れない。ヒーリング・アートの第1人者として国際的に活躍するChieさんである。

細谷さんはChieさんと旧知の間柄で、病気になる前から個展の手伝いなどもしていた。細谷さんが新しい道に向かって歩み出していたころ、細谷さんはChieさんの1枚の絵に強く惹かれた。それは2つの楕円形の光が輝きながら重なり合っている絵で、「LOVE2003」というタイトルが付けられていた。

「この絵が示しているのは男女の愛。男女それぞれが自分らしい生き方をし、完璧に光を放ちながらともに高め合う――ここには、パートナーシップの最高の形が表現されているんです」

この絵に魅了された細谷さんは、「この絵を私にください」とChieさんに頼んだ。すると、予期せぬ返事が返ってきた。

「だめよ、あなたにはまだ“愛を語る資格”がないから。愛について学びが深くなれば、来年春にはあなたのところにいきます」

身近な存在であるChieさんだからこその愛の言葉だった。

49歳で新たに乳がん発覚残った左胸も失う

そんなChieさんの言葉が前触れとなったかのように、細谷さんをさらなる試練が襲った。残された左胸に乳がんが見つかったのは、入社して数カ月たったころのことだ。

03年春、左乳房に非浸潤性乳管がんが発覚。主治医のY医師は細谷さんにこう告げた。

「悪性度の高いスキルスがんです。前回よりも病状が悪いので、拡大治療もやむをえません」

突然の告知に、細谷さんのショックは大きかった。

(来年夏には、私はもうこの世にいないかもしれない。生き方も変え、やりたいことのためにこんなに努力を重ねてきたのに、やっぱり死んじゃうんだなあ)

50代を目前にして安定した結婚生活を捨て、やっとの思いで手に入れた新しい人生。にもかかわらず、またしてもがんが、険しい岩壁のように立ちはだかる。息子たちが寝静まった深夜、細谷さんは外に出て、月を見ながらボロボロと涙を流した。

それでも、サロンの顧客に心の内を見せることはできない。会社にも左胸にがんが発覚したことは隠していた。11時から夜8時まで働き、胸の痛みを隠して笑顔で接客する日々。弱音は一切吐かず、細谷さんはひたすら顧客のマッサージを続けた。そこには、プロのアロマテラピストとしての鬼気迫る姿があった。かつての専業主婦時代の甘えや依存心は、もはや微塵もなかった。

とはいえ、細谷さんは孤独だった��けではない。細谷さんの周りには、常に彼女を支える家族や親しい友人の姿があった。

「お母さんは大丈夫。不死鳥のように強いから、どんなことがあっても乗り越えていけるよ」

息子たちはそう言って細谷さんを励ました。

入院前日まで仕事を続け、会社には「子宮筋腫の治療をする」といって入院した。

同年8月、左乳房を全摘。術後1カ月で職場に復帰し、最初の1カ月間は11時から夕方5時までの短縮勤務にしてもらった。とはいえ、乳房全摘後にマッサージの仕事を再開するのは、想像していた以上に大変だった。復帰後初めての施術のときには、少し力を入れただけで傷口がバクバクいった。手術で胸や腕の可動域が狭くなったため、少しでもリハビリを怠ると筋肉が動かなくなり、激痛に襲われた。

「閉店間近で疲れがピークに達しているのに飛び込みのお客様が入ってきたときなどは、めまいがして倒れそうでした。でも、もしこれがマザー・テレサなら、お客様を断りはしないだろう。よし、私はマザー・テレサになったつもりでやってみよう――そう思って施術にかかると、不思議とパワーがみなぎってくる。お客様の『ありがとう』という言葉に元気をもらい、施術をした後は、私自身が前よりもっと元気になるんです」

子宮と卵巣を全摘絶望の淵で見たものは

だが、試練はこれだけで終わらなかった。翌04年、今度は腹部に子宮筋腫と卵巣嚢腫が発見される。Y医師の紹介で駿河台日大病院の産婦人科を受診し、今度は子宮と左右の卵巣を全摘。がんではなかったものの、乳房に加えて婦人科系の臓器まで失ったことは、細谷さんを再び失意のどん底に突き落とした。

「両胸と子宮、卵巣を失うということは、女性性のすべてを喪失するということ。そのことが本当にショックで、自分でもビックリするほど落ち込みました。最初の乳がんで『末期がんの1歩手前』と告知されたときよりも、ずっときつかったですね」

女性としての機能をすべて失って、こんな体で人間といえるのかしら――細谷さんは苦しみに身もだえした。だが、失意の淵に身を沈めたとき、細谷さんはある不思議な感覚に包まれる。

「人間、どん底まで落ちると、一切の感情がなくなるんですね。ただ息をしているだけで、まっ暗闇の宇宙空間を漂っているようでした。その暗闇はとてつもなく穏やかで、とてつもなく静かなんです。ここが底の底だとしたら、この先つらいことがあっても、またこの静かな空間に戻るだけなんだ――そう思ったら、怖いものがなくなった。そして、スーッと浮上したんです」

細谷さんの内なる泉から、再び生きる力がこんこんと湧き出してきた。自分の夢に向かって、今できることは何だろう。とりあえず家の中を片付けて、古い家具も捨ててしまおう。考えてみれば、この自宅だってリフォームすればサロンになるかもしれない。家の整理整頓を進めるうちに、頭や心も整理され、固定観念から解放されて新しいアイデアが次々と湧いてきた。

そして06年1月、自宅に念願の店をオープン。心と体をトータルにケアする癒しのサロン、「Mamiy」の誕生であった。

人生の試練はすべて自分自身が選んできた

写真:心と体の癒しのサロン「Mamiy」

心と体の癒しのサロン「Mamiy」。1歩足を踏み入れると、ゆったりとくつろげるスペースが確保されている

2度の乳がんと子宮筋腫・卵巣嚢腫を乗り越え、ヒーリングワークという天職を得た細谷さん。たび重なる病気は細谷さんにとって、大いなる気づきの機会となったようだ。

「よく『神様はその人に耐えられるだけの試練を与える』といいますが、私はそうは思わない。人生で出合う試練は、自分自身がすべて決めてきたこと。人間は自分自身の魂を成長させるために、明確な目的を持って生まれてくる。自分の人生に起こったことは、たしかに自分で選んできたことなのです」

病気とは魂の浄化と成長のためのプロセスであり、本来の自分自身を取り戻すためのレッスンでもある――細谷さんの言葉には、輪廻転生の考え方にもとづく、スピリチュアルな世界観が透けて見える。

だが、それは、昨今流行りの上滑りなスピリチュアル・ブームとは無縁のものだ。目の前の課題に真摯に取り組みながら、地に足をつけて前進すること。そして、人生の試練を自分の責任において引き受け、誰のせいにもしないこと――それこそが真にスピリチュアルな生き方だと、細谷さんは語る。

「今後は、自宅のサロンで施術を続けながら、ホスピスで患者さんを癒すお手伝いをしたい。がんで苦しむ患者さんを、心と体の両面でサポートしながら、『至高の愛』をめざして生きる――それが自分自身の使命だと思うのです」

そこには優しさと強さをもった細谷さんの笑顔があった。

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