死に対する恐怖心を感じないのは物理学的死生観のお陰 患者にとって必要な情報を――副作用に苦しんだ自身の体験を克明に公開

取材・文:吉田燿子
発行:2010年7月
更新:2013年8月

治療の数年後に現れた遅発性の後遺症

とはいえ、重粒子線治療が功を奏し、退院後もPSA値は0.2以下の正常値をキープ。治療から8年が経過し、主治医からも、「前立腺がんはほぼ完治した」とのお墨付きを得た。

とはいえ、悩みがすべて解決したわけではない。治療の数年後から現在まで、豊田さんは遅発性の後遺症に悩まされることになる。

その1つが、頻尿だ。通常、成人が膀胱にためられる尿の量は200~300cc。だが、豊田さんの場合は50~60ccが限界で、普通の人の4~5倍の頻度でトイレに行かなければならない。無論、加齢の影響は否定できないが、重粒子線の照射によって膀胱内部に潰瘍が発生したことも、頻尿の原因の1つと考えられるという。

それ以外にも、後遺症はいろいろな形で表れた。重粒子線の被ばくにより直腸が固くなり、排便困難に悩まされるようになったことも、その1つだ。また、蓄膿症の治療のために薬を服用したところ、連日、多量の血尿に見舞われたこともある。

「問題は、重粒子線も含め、放射線治療をした患者の治療にあたる泌尿器科医のほとんどが、外科医であることです。外科医の先生は、放射線治療の後遺症やアフターケアについての知識が乏しく、なかでも重粒子線治療の後遺症についてはほとんどご存じないのが実情です。また、重粒子医科学センターでも、治療後の後遺症や対処法については説明してくれない。患者にとって必要なデータを公開し、適切なアドバイスをする必要があるのではないでしょうか」

そう、豊田さんは苦言を呈する。

ホームページを立ち上げ実名で治療経過を報告

豊田さんが、ホームページで治療経過を克明につづりはじめたのは、前立腺がんを発症した翌年のことである。がんの告知を受けてから、豊田さんは本を読み漁り、少しでも前立腺がんの治療について学ぼうとした。

だが、具体的な治療方法について解説したものは少なく、患者の立場に立って書かれたものとなると、さらに限られる。そこで、豊田さんは新たにホームページを立ち上げ、前立腺がん治療の体験を詳しく紹介することにした。

「ホームページを作ったのは、他の前立腺がん患者さんのために、自分の経験を役立てたかったから。ただし、ホームページ上で体験報告をするからには、その内容について詳しく調べる必要があります。その意味では、ホームページを作ることが、自分の勉強にもなりました」

ホームページ開設後、豊田さんのもとには、患者やその家族から数多くのメールが寄せられるようになった。なかには、豊田さんの体験記がきっかけとなって、重粒子線治療を受けた人も。メールでのやりとりが中心だが、ときには、連絡してきた患者さんと実際に会って相談に乗ることもあるという。

豊田さんのホームページにアクセスしてくるのは、患者だけではない。ときには、現��の医師から問い合わせのメールが来ることもある。

「どんな症状のときに、重粒子線治療を行ったほうがいいのか、治療後の後遺症にはどんなものがあるか――そんな内容のアドバイスを求められることが多いですね。ホームページに書いた内容について、確認を求めてくるお医者さんもいます」

死とは宇宙に還ること何も恐れる必要はない

それにしても、豊田さんのホームページを読んでいると、その客観的な記述に驚かされる。その筆致はあくまで淡々として、あたかも、研究対象を冷徹な目で観察する科学者のレポートのようだ。豊田さんは、がんの告知を受けたことを、どう感じていたのだろうか。

「死に対する恐怖は、あまり感じませんでしたね。もう70歳を過ぎていたし、『そろそろ寿命かな』と」

もう、老境といってもいい年ごろである。病気で死ぬならしかたがないと思い、子供たちにあてて遺言もしたためた。

だが、高齢になってがんを発症する人のすべてが、そう達観できるわけではない。豊田さんはなぜ、心を平静に保つことができたのだろうか。

「それは、物理学の勉強をしていたことが大きかったかもしれません」と、豊田さんは語る。

「素粒子論を学びますと、世界は突きつめれば、非常に単純なものからできていることがわかります。膨大な広がりを持つ自然界のなかにあって、ほんの芥子粒ほどにも相当しないのが人間です。死や誕生とは宇宙の宿命であり、まさに本来的なものですよね。宇宙は137億年前に誕生したらしい、ということを突き止めたのは、素粒子論の科学者です。人類が地球上に誕生したのが50万年前だとすれば、文明が興ったのは、ここ6000年のことでしかない。将来的に資源が枯渇することを考えると、おそらく文明社会は、あと200~300年で終わりを迎えるのではないでしょうか。だとすれば、個人の生や死をそれほど深刻に考える必要はない。もちろん、肉親や親しい人たちとの別れは悲しいけれども、それは感情的なものであって、自分の死に対する生物学的な心配とは関係がない。人間は自然の一部であり、死後は永遠に大宇宙の構成要素となるのですから」

そう、淡々と語る豊田さん。素粒子の世界を見つめてきたその目は、まるで数10億光年の彼方を見つめているかのように、穏やかな光をたたえている。その言葉には、人間のものさしをはるかに超えた時間軸と空間軸に生きる、物理学徒ならではのスケールの大きさが感じられた。

これからの余生を精一杯楽しみたい

写真:2009年に行われたコーラス発表会
2009年に行われたコーラス発表会(後列左端)。
豊田さんは週に1回、町内の老人会のコーラスに参加している
写真:週に1~2回、近所に囲碁を打ちにいくという豊田さん
週に1~2回、近所に囲碁を打ちにいくという豊田さん
写真:カラオケで熱唱する豊田さん
趣味の1つであるカラオケで熱唱する豊田さん

豊田さんの死生観には、戦時中の体験も色濃く影響している。東京大空襲を経験した豊田さんは、家族や友人、近所の人々の死に何度も直面した。それだけに、命のありがたみに対する思いもひとしおだという。

「人間が誕生していること自体が不思議ですし、ありがたいことだと思います。そして、世の中で死ほど平等なものもない。それは、生物に与えられた唯一の平等です。死とは悲しむべきものではない。むしろ、この世に生を受けたことに感謝することが大切だと思うのです」

今年で80歳になる豊田さん。週1~2度は老人会のコーラスや囲碁を楽しみ、家にいるときはもっぱら、ホームページの更新や写真の編集作業に熱中しているという。

散歩や旅行には欠かさずデジタルカメラを持参し、シャッターチャンスを狙う。こうして撮影した写真は、ホームページに掲載したものだけでも数千枚に及ぶという。それも普通の写真だけではない。パノラマ写真やステレオ写真、3D写真など、守備範囲は実に広い。新しい技術に対して好奇心を持ち続ける、みずみずしい心――それこそが、豊田さんの元気の秘密なのかもしれない。

「もう十分に生きたので、死についての恐怖はまったくありません。でも、やりたいことがたくさんあるので、困っています。今は、年々悪化する後遺症とつき合いながら、数少ない余生を精一杯楽しんでいます」

そう言って、穏やかに微笑む豊田さん。その姿が、前立腺がんと闘う人々の励みとなっていることは、いうまでもない。


豊田博慈さんのホームページ
前立腺がんの画像による治療記録

1 2

同じカテゴリーの最新記事