乳がんが再発、したいことリストを作り、「今」を思う存分生きる 病人としてではなく、自分らしく生きたい
憧れの石垣島を自転車で100キロ走破


沖縄本島の約450キロ南、石垣島には昔から憧れがあった。
「主人とは好きな音楽ジャンルがまったく違うのに、不思議とBEGINだけは2人とも好きなんです。
広島はもちろん、福岡や大阪へもいっしょにコンサートに行きました。石垣島はBEGINの出身地なんです」
BEGINは「島人ぬ宝」など“島人の心”を唄う人気グループ。歌詞にも島の美しい風景などがよく登場する。
2008年11月27日、4泊5日の旅が始まった。
「アースライド」で設定されているのは、40キロから100キロまでの4コース。仲西さんは迷わず最長の100キロを選んだ。
病院への往復30キロを自転車で通うほどの健脚で、「肺にがんがある以外、私はいたって元気でしたから」。
11月30日、午前8時スタート。7時間以内のゴールが条件だったが、楽々クリア。何時に着いたかも覚えていないという。
「ゴールした後、もう少しゆっくり走れば良かったと悔やんだくらいです」
目に焼きついたのは美しい景色と、エイドステーションなどでもてなしてくれた島人の笑顔だった。後夜祭も沖縄の楽器「三線」の調べでみんなが踊り、唄い、食べ、笑い、夢のような1日は瞬く間に過ぎた。
沖縄入りしてから曇り空の日ばかりだったが、周囲9.2キロの竹富島へ渡った最終日だけは快晴で、真冬であることを忘れるような陽気だった。
BEGINの歌に出てくる星の形をした砂で有名な「カイジ浜」や、白砂の「コンドイビーチ」にも行った。
島では競技用自転車ではなく、久しぶりに“ママチャリ”を借り、のんびり走った。
「タイヤはやわやわにしか空気が入ってなくて、白砂の道の上を浮かぶような感じで、暖かい風に包まれてゆっくり走りました。最高の気分でした」
風景も楽しんだ。
「お陽さまが出ると、海の色って全然違うんですね」
海の底までくっきり見えるコバルトブルーの海だった。
日記にはこう記している。
〈汗ばむほどの太陽の光と風に包まれ、身体中のがん細胞が全部とけて消えていくような心地よい感覚にみまわれた私は、思わず「き~もちいい~!」と叫んでいました。
実際にがん細胞が無くなることは無いのでしょう。でも、あのとき確実に免疫は上がっていた。そう感じられる、人生最高の沖縄旅行でした〉
患者会「のぞみの会」は“心の安定剤”

仲西さんには“心の安定剤”と呼ぶものもある。乳腺疾患患者会「のぞみの会」(浜中和子会長)だ。
偶然ネットサーフィンでたどり着いた会のホームページを見ると、自宅近くで「ミニ例会」が毎月のように開かれていた。
「自転車でわずか5分のところだったので、アポイントも取らず、見学だけでもいいと思って参加してみたんです」
93年発足の会で、10年、20年のサバイバー(*)もいた。20名ほどがテーブルを囲んで病気のことなどを気軽に話すあたたかな雰囲気に、仲西さんもすぐに溶け込んだ。
同世代の友人に病気のことを話すとどうしても同情されがちだが、がん体験者たちの反応は違った。
「悩みを話すと、『うんうん、あるある』みたいな感じで、ホルモン療法で手足に軽いしびれがあると相談したときも、薬のアドバイスをして下さいました」
ホルモン剤の副作用は少ないほうだったが、再発後にアリミデックス(一般名アナストロゾール)に変えると、若干の手足のこわばりが出たという。
さらに3種類の違うホルモン剤を使ったが、期待どおりの効果は得られず、2008年に別の場所に転移した。
「のぞみの会」の仲間は、仲西さんの容態を知り、電話をかけたり手紙を書いたり気を遣ってくれる。そのうえ「広報係」という役割を与えてくれ、無言のメッセージも送ってくれている。
「『あなたにして欲しいことは、まだたくさんあるのよ』と名前を入れて下さっています。
病気になると、そういう人の優しさには、すごく敏感になりますね」
仲西さんは会のために何かできないかと考え、キャラクター「のぞみちゃん」をデザイン。シールやマグネットなども手作りした。肺転移が見つかった半年後に「看板製作」の仕事を辞めていたが、思わぬところで「物作り」が再開した。
*がんサバイバー=がんを克服あるいは長期にわたってがんと共存し、がんとともに生ある限り人間らしく、自分らしく生きようとする人々
忘れていた物作りの喜び
新たなキャラクターも……

2009年9月には、広島ではじめて行われた24時間夜を徹して歩くチャリティーイベント「リレーフォーライフジャパンin広島」にも参加。前の晩まで夜なべして作ったぬいぐるみ「のぞみちゃん」を抱き、会の仲間たちといっしょに、会場の旧広島市民球場を長時間歩いた。
「会員の方が携帯電話などに『のぞみちゃん』シールを貼っておられるのを見ると、仕事を辞めて忘れていた、物を作ることで人に喜んでもらえる感覚を思い出せました」
看板などの大きな物は作れなくても、イラストシールなどはパソコンさえあればできる。
夫婦で喫茶店を営む知人からの依頼で店のシンボルになるシールを作ったり、キャラクターを模した似顔絵シールを作ったり、仲西さんの手から新しいキャラクターが生まれつづけている。
「なるようにしかならない」
仲西さんは再発後、当時の主治医にこう聞いたことがある。
「たとえば、何もしないとどれぐらいもちますか」
最初は何も答えてくれず、2度目も言葉を濁す感じだった。さらに重ねて問うと、こう言われた。
「月単位ではありませんが、年単位で考えてほしい」
ステージ1とはいえ、乳がんは目に見えないがん細胞が全身に回っている可能性がある。
再発がわかってから、仲西さんはこの事実をどう受け止めてきたのだろう。
「最初のころ、主治医の先生がグラフで説明してくださった10数パーセントほどの再発確率に当たってしまったということでしょう。そもそもがん細胞は、自分の体のなかから生まれてきたもの。なるようにしかならない、しょうがないって考えてきました」
記者の不躾な質問にも嫌な顔1つせず、つらさは少しも見せない。
今という時間を楽しみつつ、死の恐怖とも対峙

「石垣島旅行」のアルバムをめくりながらの楽しい解説で、取材というより友人から旅行談を聞いている気分になった。
仲西さん自身がクリエーターだからだろう。風景写真やポートレートのなかにユニークな写真も混じっている。
島にしかないであろうコンビニエンスストア「シーサー」の外観写真や、ガソリンスタンド、乳酸菌飲料、リュウキュウアサギマダラという南国らしいカラフルな蝶の写真もあった。
「植物園の展示で見た蝶が実際に目の前の葉に止まっているんです。これ、同じ蝶だよねって友だちと盛り上がりました」
世界中のどこにもないオリジナルの100枚ほどの写真のなか、なぜか1枚の写真に目を奪われた。竹富島の「西桟橋」という夕日の美しさで知られる観光スポットで撮った1枚だ。
細長い桟橋のまわり3面は碧い海。仲西さんが大きく腕を振り、桟橋の先に向かって元気よく歩く後姿が写っている。明るいトーンだが、深遠な意味が隠されていた。
「病状的にもリアルになってきて、自分なりに最期のイメージを考えるようになりました。この写真を撮ったとき、西桟橋をワーッって全速力で走って行って桟橋の先からえいって海に飛び込んで終わり……みたいな感じがいいなと思いました」
今という時間を精一杯楽しみつつ、仲西さんは死の恐怖とも対峙し続けているのかもしれない。
病人としてではなく、自分らしく生きる――。仲西さんの「自分らしさ」を追求する旅はまだまだ続いていく。
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