看護師、患者を経て――患者と医療者をつなぐ架け橋に! 「できない自分」を認めることから生きる心の余裕が生まれた

取材・文:吉田燿子
発行:2010年5月
更新:2013年8月

治療後のつらい時期にディペックスと出合う

写真:治療後、仕事に復帰した射場さん(右から2人目)。職場の仲間と

治療後、仕事に復帰した射場さん(右から2人目)。職場の仲間と

とはいうものの、本当につらいのはそれからだった。

同年9月、治療を終えて職場に復帰。リハビリも兼ねてデスクワークから始めたが、頭がボーッとして仕事の効率が上がらない。体も思うように動かず、体力もすぐに消耗してしまう。

「それまでは、後進の指導などで自分が周囲を助ける側だったのに、今は自分が周囲に迷惑をかけている。そのことが許せなくて……。病気になる前の自分自身とのギャップを、受け入れられませんでした」

こうした状態に加えて夫の仕事が多忙になったこともあり、射場さんは職を辞することを決意する。復帰半年後の07年3月に退職。

体調に気をかけながら、夫や家族、日常生活を大切にした日々にゆとりを感じる一方で、情熱を傾けていた職場を失ったことで、射場さんは虚脱感に苦しめられた。患者さんに対するケアの質を向上させるため、患者さんの苦しみに寄り添える看護師を育てたい。その目標に向かい走り続けた時間が止まったとき、生きる目的も見失ったように思えた。

だが、射場さんが新しい生きがいを探し当てるのに、それほど時間はかからなかった。在職中、射場さんはメーリングリストでディペックスの存在を知り、がん患者の語りをデータベース化してネットで見られるようにするプロジェクトのことを知った。がん体験を経た今、自分にも何か役に立てることがあるのではないか――そう思い、ディペックス・ジャパン立ち上げの手伝いを始めていたのだった。

折しも、抗がん剤治療が終わったばかりのころ、英国ディペックスのワークショップが日本で開催されることになり、射場さんは駆り立てられるような思いで出席。すぐにプロジェクトのメンバーとして日本版Webサイトの立ち上げにかかわることになった。

自分は1人ではない、という気づき

英国ディペックスの設立は08年。運営するWebサイト「ヘルストークオンライン」では、「がん」「心疾患」「神経疾患」など数多くの項目で、患者の語りの動画を見ることができる。では、患者によるがん体験の語りを動画で提供することには、どのような意義があるのか。

「1つには、私自身が同病の友人と話すことで本当に救われたんです。がん患者さんは、『抗がん剤の副作用がこんなにつらいのは自分だけじゃないか』と思いがちです。患者さんは、人によって違う感じ方や体験についての情報を求めている。いろいろなタイプの患者さんの生の体験を聞くことで、『自分は特���ではない、1人ではないんだ』と知り、心の支えを得ることができるのです」

副作用を例にとれば、その症状には個人差があり、年齢や家族構成などの要素によって対処の仕方は変わってくる。どの患者さんにも共通する8割の部分と、そこからこぼれ落ちた2割の部分。その両方を情報として提供しない限り、患者さんの不安を解消することはできない。このため、ディペックスではできるだけさまざまな人々の体験を載せるため、各疾患35~50人の語りを提供しているという。

「治療後の人生を生きるヒントを得ることができるのも、語りのデータベースを見るメリットの1つです。私自身も仕事を辞めた後、新しい目標を見つけるまでに時間がかかった。これからどうやって生きていこうかと迷っていたとき、いろいろな人の話を聞いたことがとても役立ちました。このデータベースでは、患者さん1人ひとりの家庭や仕事、経済状況などを踏まえ、なぜその治療法を選んだかが語られています。多くの人々の思いや人生に触れることで、自分の気持ちに気づき、立ち位置を見出すきっかけになるのではないかと思うのです」

射場さんは全国を駆け回り、乳がん患者51人中50人のインタビューを担当。患者の地元まで出向き、その語りをビデオカメラに収めた。

「1人ひとりが病気とどう向き合い、どう過ごしてきたか。患者さんの語りを聞くことで、自分自身も元気になっていくような気がしました。積極的に話を引き出すというより、語るべきことを持っている方の話に耳を傾ける、そんな貴重な経験をさせていただいています」

射場さんらスタッフの努力が実り、09年12月、初期にインタビューした43名の「乳がんの語り」のWebサイトを公開。診断や治療についてのトピックのほか、「経済的負担」「仕事との関わり」「パートナーとの関係」といった社会的トピック、患者さんの年齢など、幅広い切り口で検索ができる。近い将来、残り8名の体験談が追加され、よりきめ細かい、キーワード検索もできるようになるという。

死は終わりではない永遠に続く命がある

「病気になったことで、死に対する考え方が変わったわけではない。でも、生に対する考え方は変わったかもしれません」

そう射場さんは言う。病気になるまでは、目標に向かって精一杯走り続けることに生きがいを感じてきた。だが、病後は、心と体力の両面で自分の弱さに直面せざるをえなかった。「できない自分を認めたくない」という気持ちから、「できなくてもいい」という気持ちに変わり、自分のペースに合わせて生きる心の余裕が生まれたという。

それとともに、家族との絆も深まっていった。夫と一緒に夕飯をともにし、家の近くの墨田川河畔を散歩する、そんななにげない日常の一瞬に幸福を感じるようになった。

「家族は自分にしか支えられない。1番大事にしたいものを大事にしよう、と思うようになりました。あとどのぐらい生きられるかはわからない。あまり長期的な計画を立てず、目の前にあることを大事にしながら、自分に示された道を歩いていきたいと思うのです」

患者と医療者をつなぐ架け橋をつくりたい

写真:ディペックス・ジャパンの一員とし

射場さんはディペックス・ジャパンの一員として、全国の乳がん患者さん50人を訪ね、自分でカメラをセットしてインタビューを行った

射場さんのように、病によって死との向き合い方は変わらなかった、と言い切る人は珍しい。その理由が、クリスチャンとしての信仰に根ざしたものであることは想像に難くない。では、信仰は、射場さんの死生観にどのような影響を与えたのか。

「信仰を持つ前は『死んだら最後』と思っていたから、死ぬことが不安で怖かった。でも信仰を持つことで、死のあとに続く永遠の命を信じられるようになった。人間は死で終わるのではなく、死によって神様と再会することができる。家族や友人との別れは哀しいけれど、哀しみを超えた希望がある。死は怖いものではないんです。一方で、生きることの苦闘は死ぬ瞬間まで続いていく。神様からなぜ命を与えられているのかは、死の瞬間まで模索しなければならない。その意味では、私の死生観は、信仰によって180度変わった、といえるかもしれません」

医療者でありがん体験者であるからこそ、できることがある。患者と医療者とをつなぐ架け橋をつくること――それが神によって与えられた自分の命の意味ではないか、と射場さんは言う。

現在ディペックス・ジャパンでは、「前立腺がん」や「認知症」のデータベースが作られている。今後は他のがんや進行性の難病などでも語りのデータベースを作ることができれば、と射場さんは抱負を語る。

がん体験を糧として、終わりのないプロジェクトに踏み出した射場さん。前途に大きなエールを送りたい。

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