自分を救ってくれた歌を通じて、私も誰かのために祈りたい 死力を尽くして自分らしく生きることを選んだ、ゴスペルシンガー・KiKi(ゲーリー清美)さん
37歳のときに乳がんを発症
だが、運命はKiKiさんを放っておいてはくれない。右側の乳房に異常を感じたのは、04年のことである。下着を着ようとした瞬間、コロンとしたしこりが手にふれた。
市内の総合病院でマンモグラフィと生検を実施。危惧したとおり、結果は乳がんだった。入院の2日前、友人の勧めで札幌乳腺クリニックの岡崎稔医師にセカンドオピニオンを求めると、MRI(核磁気共鳴画像法)検査で乳房の別の部位にもう1つのがんが見つかった。急きょ転院し、乳首と乳房の一部を残す温存手術を実施。その後、25回の放射線治療を受けた。
ここでKiKiさんは、ある重要な選択を迫られる。厄介なことに、KiKiさんの乳がんは「トリプルネガティブ」と呼ばれる、がんの中でも治療選択肢が狭められてしまうタイプだった。エストロゲン受容体、プロゲステロン受容体、HER2という3つの因子がすべて陰性のためホルモン療法が効かず、使える抗がん剤の種類も限られる。
「歌い続けたい」というKiKiさんの意志を汲み、主治医は負担の少ない経口タイプの抗がん剤を勧めてくれたが、副作用が歌に及ぼす影響を考えると、どうしても化学療法に踏み切れなかった。
長い苦労の末CDデビューを果たし、レコーディングやライブの予定も控えている。それをキャンセルするのは、プロのミュージシャンとしての責任感が許さなかった。やっと自分らしい生き方ができるようになったのだから、今の自分にできることを精一杯やりたい。それを抗がん剤治療によって制限されるのはどうしてもいやだった。だが、家では就学前の2人の息子が母の帰りを待っている。母親としての責任と、自分の生き方を貫きたいという思い――そのはざまでKiKiさんは揺れた。
喜びの絶頂から絶望のどん底へ

さんざん悩んだ末、抗がん剤治療を受けないことを決意。放射線治療を済ませると、すぐに音楽活動を再開した。
ライブやテレビ番組でがんを公表しながら、精力的にコンサート活動を展開。手術の翌年には、生チョコレートで有名なロイズのCMソング『空へ』を収録した2枚目のCDもリリースした。だが、あと半年で術後5年という08年9月、病魔は再び勢いを盛り返す。
ある日、KiKiさんが乳房再建の相談で美容外科を訪れると、触診した医師はこう言った。
「再建どころじゃありません。早く病院に行きなさい」
一方では、地元のスポンサーに2枚目のCD制作を支援してもらう話が進んでいた。「すぐに病院に来てくれる? 局部再発です」と主治医から電話があったのは、皮肉にもCD制作のゴーサインが出て喜びに沸いた、まさにその瞬間だった。
喜びの絶頂から絶望のどん底へ――あまりに残酷な運命の悪戯に、KiKiさんは電話口でただ号泣するしかなかった。
再び手術。しかし、その3日後には、1年がかりで準備した秋田でのコンサートが控えている。KiKiさんは主治医に頼み込み、局所麻酔の日帰り手術をしてもらうことにした。手術当日に退院し、傷口に血をにじませながら、スーツケースを抱えて秋田に飛んだ。楽屋ではぐったりして動くことができなかったが、本番の幕が上がった瞬間、持てる力のすべてを尽くして歌い切った。
「これが本当にゴスペルなんだ、ゴスペルって生き方なんだな、と思いましたね」
そうKiKiさんは振り返る。
ゴスペルシンガーとして自分らしく生きたい
病気になったことで、KiKiさんのゴスペルに対する思いはどう変わったのか。
「自分の中で、心の立ち位置が変わりましたね。それなりに苦労も経験して、人の痛みを理解できているつもりだったんですが……。心の目で、物事のもっと深いところを見るきっかけになったような気がします」
絶望に沈みがちなKiKiさんの心を救ってくれたゴスペル。苦悩のなかで希望を謳い上げる「福音」としてのゴスペル――そこに込められた祈りの意味が、初めて理解できた気がした。
「自分が希望を持てないのに、ゴスペルを歌うのはあまりにもおこがましい。ゴスペルシンガーである以上、苦しくても希望を持って歌い続けなくてはならない。歌うことが、再び立ちあがるきっかけとなったのです」
手術後、再び25回の放射線治療を実施。再発したことで、主治医からは強く抗がん剤を勧められたが、KiKiさんはもう悩まなかった。
「先生、ご心配なく。私は“がんと共存しながらゴスペルを歌って長生きした症例第1号”になりたいと思います」
抗がん剤を拒否するといっても、闘うことを拒否したわけではない。「どれだけ長く生きるか」よりも「どれだけ深く生きるか」のほうが、自分にとっては価値がある。KiKiさんは抗がん剤で闘うのではなく、死力を尽くして自分らしく生きるという、もう1つの闘い方を選択したのだった。
無論、母として子供たちのために治療に専念することを考えなかったわけではない。一家離散を経験したKiKiさんだけに、家族への思いはひとしおだった。それでも、自分らしい生き方を貫きたいという決意は揺るがなかった。
「歌に生きることが、子供たちに1番よい生き方を見せることになる。だからこそ、悔いなく1日1日を生きていこうと思ったんです」
ゴスペルを歌うことで誰かのために祈りたい


こうして09年2月、待望のCD第3弾『PRAY LIKE THE RAIN』をリリース。現在も闘病を続けながら、ライブ活動やゴスペルの指導を行っている。
とはいえ、治療の後遺症を抱えながら歌うのは容易ではない。歌うにつれ手術痕がすれて痛み、惨めな気持ちになることも少なくないという。
「『病気は自分に与えられた使命』とか、かっこいいことが言えるといいのですが……病気は病気。深い心の傷、痛み、悲しみ、死に向かっていく恐れです。その現実のなかで自分はどう生きようとするのか――それが結果として、病気になったことの意味につながっていくのではないでしょうか」
今は少しでも多くの人に、自分の歌と生き方を知ってほしい、とKiKiさん。今後は東京でのライブやメディア出演にも力を入れ、がんと闘う人たちを励ます活動を行っていきたい、と語る。
「私の歌や生き方を伝えることで、苦悩と絶望のなかにいる人が再び立ちあがるきっかけになれば……。自分を救ってくれたゴスペルで、次は人を励ましたい。一緒にゴスペルを歌う機会があれば、ぜひ声をかけていただきたいのです」
一家離散による苦悩の中で10代・20代を過ごし、30代で乳がんを発症、40代で再発。絶望の淵で希望を見出してきたKiKiさんは、まるでゴスペルの申し子のようにもみえる。ゴスペルの神に選ばれた、真のゴスペルシンガー。魂がほとばしるようなKiKiさんの歌声に耳を傾けていると、そんなことばが浮かんできた。
「自分が何かによって生かされているとすれば、それは“歌を通じて誰かのために祈る”ため。誰かが傷ついていたら、『神様、この人に元気を与えてください』と祈りを込めて歌う。それが、自分自身の力にもなっていると感じます」
21世紀を迎えた今、私たちには遙かに思える「祈り」という行為。それは人間を根底で支える行為なのだということを、KiKiさんのことばは教えてくれる。
「誰かが自分の病気を心配してくれるのは、とてもうれしいこと。でも、もう1歩進んで、『あなたが元気になるように、毎日神様に祈っているからね』と言われたら、どんなにうれしいか。人のために自分の心を捧げることは、とても大切なこと。そういう人間でありたいなあ、と思うのです」
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