自らの体験を機に、魔法の帽子「ウィッシング・キャップ」を発案 命さえあれば、何でも乗り越えていける

取材・文:吉田燿子
発行:2010年3月
更新:2013年8月

脱毛で感じた当時のウィッグへの違和感

伊佐さんがウィッシング・キャップを考案したのは、化学療法中の脱毛経験がベースになっている。初回の治療退院後10日もすると、抜け毛が気になり始めた。

「あれ? と思い、ちょっと引っ張ってみたら、髪がザバーっと抜けてきた。とうとうきたな、という感じでしたね。いさぎよく剃っちゃおうかなとも思ったんですが、風前の灯のような髪の毛を、切ることも直視することもできない。“バーコード”のおじさまの気持ちがよくわかりましたね(笑)」

数日間で髪はほとんど抜けてしまった。とはいえ、当時のウィッグには違和感があった、と伊佐さん。

「抗がん剤の副作用による脱毛は一過性のもの。そのために、わざわざ高価なウィッグを買うのは治療費のこともあり気が引けました。それに6年前は、ヘアスタイルなど私たち世代の人が違和感なく使えるものはまだ少なかったように思います」

それだけではない。治療のため、痩せたりむくんだりと頭のサイズが月単位、1日単位で変化して合わなくなったり、髪が無いので、汗や蒸れ、締め付け感にも悩まされる。

「職業柄、仕事中はウィッグでなければという人もいると思うが、24時間かぶっているのは難しいと感じました」

とはいえ、髪の抜けた自分の姿を直視できず何かかぶらずにはいられない。そんな理由もあり、帽子を探したのは10月下旬。季節柄、店頭には防寒用の帽子ばかり。暖房の効いた室内で防寒タイプの帽子をかぶっていると、暑過ぎて熱が出たり、汗をかいて不快だったという。

「それ以上に感じたのは、外見の変化に対する精神的ダメージでした。治療中で仕方がないとわかっていても、もみあげや眉毛も抜けてしまった横顔を見ると気分も滅入ってしまって……。外見を整えることで、気持ちがアップしてくる、心が後からついてくる。周囲の人の『普段どおり』『元気にみえる』という言葉も、患者当人にとって大きなエネルギーになる。心のありようは治療に大きく影響すると、本当に実感しました」

患者さんのために服飾の技術を役立てたい

ウィッグをずっとかぶっているのはつらいけど、帽子だけだと生え際が気になる……。それなら、つけ心地のよいお洒落な帽子をかぶるのはどうだろう。

伊佐さん自身の脱毛のしかたもヒントになった。生え際のところに少しだけ残った髪を帽子からのぞかせてみたら、思ったほど不自然ではなかった。それなら、帽子自体に取り外しのできる髪の毛が付けられたら、より自然にみえるのではないか。自らの体験から生まれた着想が、「ウィッシング・キャップ」の原点になったという。

「付け髪が簡単に着脱できる帽子があれば、サッとかぶって買い物にも出やすいし、宅配業者が来ても大丈夫。付け髪は必要なときだけ付ければいいから、その分家では帽子だけでリラックスして過ごせる。患者さんが安心して毎日を快適に過ごせるこんな商品があったら、大いに役に立つのでは……。自分のスキルを活かして同士ともいえるがんサバイバー()の方々のために側面から応援することができるのではないか、と思ったのです」

伊佐さんにとって、ウィッシング・キャップは家族への“遺言”でもあった。伊佐さん自身、実父を3歳のときに白血病で亡くしている。もしかすると、自分の娘も同じように幼くして母を失ってしまうかもしれない。再発の不安の中、自分が生きていたという証しを残しておきたいと痛切に思った。そのことも、ウィッシング・キャップを作り始めた理由の1つだった。

がんサバイバー=がんを克服あるいは長期にわたってがんと共存し、がんとともに生ある限り人間らしく、自分らしく生きようとする人々

「魔法の帽子」ウィッシング・キャップが完成

03年2月に退院し、徐々に体力が回復してくると、伊佐さんは試作品作りに取りかかった。仕事で培った人脈をフル活用して、帽子の素材を探し、協力してくれる製造工場を訪ね歩いた。患者としての視点をもとに、試行錯誤と改良を重ねた。

「帽子は付け髪が直接肌に触れないように工夫したり、サイズ調整機能を付け、裏側も縫い代が肌にあたらないようにしたりと、患者さんにとって最も使いやすい方法を模索しました。抗がん剤治療の副作用で、手がしびれて複雑な操作ができなくなることがある。そのため、できるだけ簡単に扱えるよう工夫しました」

こうして、ついに帽子とテープ状の付け髪を組み合わせたウィッシング・キャップが完成。帽子の素材には伸縮性のあるジャージ・ストレッチ素材を選んだ。通気性や吸汗性が高く、手洗いもできるので、1年中快適に使うことができる。付け髪はショート、セミロング、ロングの3タイプ。前髪もある。これをスナップで帽子にパチンと止めれば、ウィッシング・キャップの出来上がりだ。付け髪は自由にカットできるので、好みのスタイルに仕上げることができる。実際に試着してみると、想像以上に自然でお洒落な仕上がりで、婦人服のプロとしての伊佐さんのこだわりが、随所に活かされていると実感した。

患者さんの喜びの声が挫けそうな自分を支えた

写真:国際福祉機器展HCRにて

2009年10月、東京ビッグサイトで行われた国際福祉機器展HCRにて。右から2人目が伊佐さん

伊佐さんがウィッシング・キャップの特許を出願したのは、03年12月。その後、治療でお世話になった看護師さんの紹介で、05年2月の第19回日本がん看護学会学術集会に出展することができた。このとき参加した看護師さんたちが病院に持ち帰ったカタログをもとに、全国からFAXで注文が入るようになり、カタログやインターネットでの通信販売もスタートさせた。

さらにその後は、神奈川県立がんセンターにて展示販売も開始。築地の国立がん研究センターをはじめ、さまざまな医療機関にカタログを置いてもらうところまで漕ぎつけた。

とはいえ、ここまでの道のりは決して平坦ではなかった。患者さんの口コミで徐々に利用者や販売先が広がるようになったとはいえ、細々と続けてきたというのが正直なところ。やめてしまおうか――、そう思ったことも1度や2度ではないという。

だが、挫けそうになる伊佐さんを支えたのは、患者さんの喜びの声だった。

「落ち込んだときにかぎって患者さんから電話があり、『すごくよかった』と言ってくださったりする。細々とではあるけれど、患者さんの喜んでくださった声をいただくと、やめられなくなってしまうんですね。神奈川県立こども医療センターに伺ったときは、後で子供の患者さんから手紙をもらったんです。『今まではカツラが取れちゃうんじゃないかと心配だったけど、ウィッシング・キャップのおかげで、まったく心配しないでディズニーランドでジェットコースターに乗れました』って。もしかしたら、私のほうが患者さんから元気をもらっているのかもしれません」

伊佐さんの6年間にわたる地道な活動は、昨年、大きなターニングポイントを迎えた。新聞各紙やNHKのニュース番組での取材が相次ぎ、全国から注文が殺到したのだ。

儲けようと思って始めた仕事ではない。でも、ウィッシング・キャップを継続して患者さんに提供していくためには、アマチュア的な仕事から1歩踏み出して、ビジネスとして成立させなければならない――そう、伊佐さんは抱負を語ってくれた。

命さえあれば乗り越えていける

現在、伊佐さんは、患者同士がつながることの重要性を痛感しているという。

「患者さんと接していて思うのは、『話を聞いてほしい』という方が多いこと。この仕事を通じて、誰にも悩みを打ち明けられない患者さん同士が互いに支えあい、つながる機会になればいいな、と思っています」

奇形腫発症から8年。伊佐さんは今、病気についてどう感じているのだろうか。

「ひと言でいえば、がんによって生き直したという感じです。偉くなったり金持ちになったりするために生きているわけじゃない。それに、がんだけを生きているわけでもない。命さえあれば何でも乗り越えていけると思えるようになりました。闘病中の方も、どんな時もあきらめず希望を持って治療に臨んでほしい。微力ながら側面から応援していきたいと思っています」


ウィッシング・キャップの問合せ先
ISAMISAデザインスタジオ
TEL/FAX:042-584-1053
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