がん体験者ならではのできることを追求し見つけ出した「再現美容師」という職業 がんと苦闘している患者さんをきれいにしてあげたい

取材・文:吉田燿子
発行:2010年2月
更新:2013年8月

間近に体験した「医療用ウィッグ」の実態

サロンワーク以外に、美容師として自分にできることはないか。美容専門誌で「医療用ウィッグ」の存在を知ったのは、そんな頃のことである。

興味を覚えた菅谷さんは、後にパートナーとなる山崎さんに声をかけ、医療用ウィッグについて調べ始める。美容のディーラーやデパートのかつら売り場、老舗のかつらメーカーなどを回っては、試着を繰り返す日々。デパートでは「医療用ウィッグはない」と言われ、ファッション・ウィッグを試してみたが、頭皮がチクチク刺激されて、とても治療中の患者さんが使えるような代物ではなかった。

また、既製品のウィッグはサイズが合わなかったり、スタイルが気に入らなかったりと、どうしても違和感がついて回る。一方、オーダーメイド・ウィッグは驚くほど高額で、多額の治療費を背負い込む患者さんにとっては高値の花でしかない。

さらに菅谷さんは、患者さんがウィッグを購入するときの心理的な障壁も、間近に体験する。

「患者さんにとって、ウィッグを購入するというのはものすごく勇気がいることなんです。他メーカーの医療用ウィッグを試着しにいったとき、店員さんの心ない言葉に私も傷ついたことがありました」(菅谷さん)

試行錯誤の末、ヘアエピテーゼ協会に出合う

写真:「かつらの学校」

NPO法人日本ヘアエピテーゼ協会が行っている再現美容師を育成する「かつらの学校」

ただウィッグを扱うだけではなく、もっと患者さんの気持ちを理解しなければ――数カ月がかりで調べた末にめぐり合ったのが、NPO法人日本ヘアエピテーゼ協会だった。

菅谷さんと山崎さんは、08年3月からヘアエピテーゼ協会が主宰する「かつらの学校」に通い始め、ウィッグのスタイリングや患者さんのメンタルケアを学ぶ。そして9月、再現美容師の認定試験に合格。横浜市鶴見区にかつらの美容室、コワフュール・ド・コンフェッティをオープンしたのは、その2カ月後のことである。

では、がん患者さん向けの医療用ウィッグには、どのような条件が求められるのだろうか。

「ファッション・ウィッグとは違い、機能面がとても重要になってきます。第1に、髪の量の変化に対応できること。第2に、敏感になった頭皮を守る構造になっていること。また、ウィッグははじめてという方が多いですから、お手入れが楽なことや通気性が良いこと、フィット感などもとても大事なポイントになります。そして何より、患者さんが自分らしさを取り戻せるような、自然なスタイルを実現できるウィッグが理想です」

とはいうものの、実際に仕事を始めてみると、その難しさは想像をはるかに超えていた。開店当初は正直、戸惑うことも多かったという。

来店する患者さんのなかには、病気について話したい人もいれば、触��られたくない人もいる。どこまで病気のことを聞いていいのか、治療にともなう脱毛の経過など、こちらの知識や情報をどこまで提供していいのか――その判断がとても難しいと菅谷さんは語る。なかには、カットされたウィッグをつけた途端、怒りで震えながら泣きだした患者さんもいた。

「再発を経験してナーバスになっていたため、仕上がりに違和感を覚えたとたん、感情が爆発してしまわれたのでしょう。『こんなの似合わない。そう思いませんか!』――そう言われて、私自身、しばらくはショックで何も言えませんでした」

患者さんには、気持ちを吐き出せる場が必要

がんを経験したことで、「相手の気持ちを、自分のこととして捉えられるようになった」と菅谷さん。

「仕事や病気、人との出会いも含めて、今までの経験があったからこそできる仕事。つらいこともあるけれど、この仕事をずっと続けていきたいですね」

そんな菅谷さんにとって、仕事を続ける原動力になっているのは、さまざまな患者さんとの出会いだ。病気と闘いながら真摯に生きる姿を見ていると、こちらが励まされることのほうが多いと、菅谷さんと山崎さんは声を揃える。

「抗がん剤治療を控えたお客さまに、ウィッグで今と同じようなスタイルを作ってさしあげると、『これで大丈夫ね』と、すごく安心されるんです。

それまで、うつむき加減で歩いていた患者さんが、『もう、風が吹いても大丈夫。これで堂々と外を歩けます』と笑顔で帰って行く。その姿をみるのが本当にうれしいですね」

とはいうものの、治療が優先される医療の現場では、がん患者さんの美容の悩みはおざなりにされがちだ。医療用ウィッグの選び方1つとっても、メンタルケアが必要であるにもかかわらず、患者さんに適切なアドバイスやサポートを提供する環境づくりは遅々として進まないのが実情だ。

「脱毛症の方や抗がん剤治療を受けている方のなかには、懇意の美容室にさえ行けない、という方が多い。病気の自分を知られることが怖いんですね。がん患者さんが怖さや不安を訴えることのできる場所って、本当に少ないんです。心配をかけたくないと、髪が抜けたことさえ家族に話せない人もいる。『明るいお母さん』として振舞っている分、家族にはつらい気持ちを打ち明けられない。気持ちを吐き出す場がほしい、という患者さんの気持ちを、私たちは受け止めたいんです」

少しでも重荷を軽くするお手伝いがしたい

写真:医療用ウィッグをカットする菅谷さん
医療用ウィッグをカットする菅谷さん >

コンフェッティの開店1周年を迎え、再現美容師としてたしかな1歩を踏み出した菅谷さん。今後の抱負としてこう語っている。

「抗がん剤治療はお金がかかるので、ウィッグまで手が出ないのが実情です。でも、治療の副作用で外見が変わると、患者さんの生活の質が低くなってしまう。外に出たくない、人に会いたくないと思っていると、気持ちも後ろ向きになり、免疫力も落ちてしまう。自分らしい当り前の生活を取り戻すために、今後も患者さんのメンタルケアに重点をおきながら、治療中の様々な髪の悩みに対応できるサロン作りを目指していきたいと思っています。また現在は、今まで感じたことや経験を活かし、適正価格でスタイリングが自由にできる、医療用ウィッグの研究開発をしているところです」

そして、こういったさまざまな困難を乗り越えてここまで来られた理由の1つには、パートナーである山崎さんの存在も大きい。山崎さんは菅谷さんの元町時代の同僚で、苦楽を共に支え合ってきた20年来の友人でもある。

「菅谷さんは、小さいことは気にせず、とにかく前に突き進む人。純粋で裏表のない、本当にまっすぐな人です」(山崎さん)

「山崎さんは、細やかな気遣いのできる人。包容力があって、ホンワカさせてくれる。私にない部分を持っている人です」(菅谷さん)

2人の言葉には、互いの個性を認め合い、高め合ってきたパートナーへの深い信頼が感じられる。

「患者さんが少しでも元気になって、重荷をここに置いていってほしい」

その思いを裏づけるかのように、明るい店内には、なごやかで優しい時間が流れていた。

1 2

同じカテゴリーの最新記事