たとえ来月死んでもいい。最期の瞬間まで幸せでいたいと、彼女は抗がん剤を拒否した 次々にがん転移に襲われながらも、自分の生き方と美学を貫く人気芸者・まりこさん
人工肛門はいや!! すぐにでも取ってほしい
どんなに医師が必要性を訴えても、いやなものはいや――自分らしいライフスタイルを死守しようとする、まりこさんの強固な意志には驚かされる。その意志の強さは、人工肛門の取り扱いをめぐっても発揮された。
「本来なら、人工肛門はずっとつけておくべき」と医師は言い、治りきっていない腸に便を通すことに難色を示した。だが、人工肛門をつけたままの生活など、まりこさんには耐えられなかった。
「人工肛門の生活が長くなると、括約筋が弱くなってオムツが必要になるという話も聞いて、とんでもない、と。それに、人工肛門をつけていると帯もつけられない。『転移してもいいから取ってください』と先生に何度もお願いして、人工肛門を取ってもらったんです」
結局、人工肛門をつけていたのは3カ月にも満たなかった。
肝臓に転移したがんの血管内治療を開始
ともあれ、T病院は強制退院させられたものの、肝臓に転移したがんを放置しておくわけにはいかない。まりこさんはインターネットで血管内治療のことを知り、横浜のクリニックに通うことにした。これは肝臓にカテーテルを入れて抗がん剤の注入などを行うというもので、11月末に1回目の治療を実施。がんは縮小し、腫瘍マーカーも一時は正常値に戻るなど、血管内治療は功を奏したかに見えた。
08年2月11日、まりこさんは芸者の仕事を再開。大好きなお座敷を務めることが免疫力アップにつながる、「これぞお座敷療法」と、まりこさんは意気軒昂だった。だが、いったん仕事を始めてしまえば、激務に歯止めがきかなくなるのは目に見えている。5月中旬に2回目の血管内治療を行ったが、がんは勢いを取り戻し、6月に肺転移が発覚。免疫力を高めるためにハリや気功、整体などの代替治療やサプリメントも試したが、病状は一向に好転しなかった。7月に3回目の治療を実施したものの、がんとの終わりの見えない闘いに、まりこさんの心身の疲労は極限に達していた。
紆余曲折を経て……
抗がん剤治療の顛末

08年10月に行われたまつ乃家大宴会
腫瘍マーカーの許容最大値は37。これが1800を超えたところでさすがに不安になり、血管内治療に加えて、11月から都内の病院でゼローダ(一般名カペシタビン)による抗がん剤治療も始めた。3週間薬を服用して1週間休止というサイクルで治療を進めるうちに、腫瘍マーカーの数値はじりじりと下がり始めた。だが、薬を服用しているという安心感から、まりこさんは再び仕事に精を出してしまう。毎月、お客さんをお呼びし、芸者総出で楽しんでもらうまつ乃家大宴会では、お芝居の台本を書き、演出、脚色、振り付けまでこなす。また、長男の女形芸者・栄太朗さんをメインにすえた「栄太朗deランチ」をはじめ、さまざまな催しも企画。
そしてとうとう、09年2月下旬、まりこさんは体調を崩して倒れてしまう。
病状が悪化したきっかけは、抗がん剤の休止期間が終わった後、服用を1週間先延ばしにしたことだった。
「試したかったんです。抗がん剤を飲まなかったらどんなことになるんだろう、と」
抗がん剤の副作用に耐えられなかったわけではない。むしろ、皮膚のかゆみやシミ、シワなど、肌の状態が劣化することのほうがつらかった。このときの心境を、まりこさんはブログにこう書いている。
<抗がん剤飲まないと 本当に 幸せ この幸せ感をどうやって伝えよう? (中略)酷い2日酔いが治った感じ 重たい風邪がスッキリ治った感じ 死ぬ程好きな人が浮気したと思って落ち込んでいたら 相手が男だった感じ?
なんだか 確実に 誰にも伝わっていない……>
<要は もう また抗がん剤を飲むのが嫌だった>
自分の責任をとれるのは自分しかいない

08年10月に行われた屋形船でのお座敷遊びの様子
抗がん剤を勝手に休んだ代償は大きかった。転移したがんは急速に拡大していた。
3月10日、腫瘍マーカーは3101を記録し、12日、緊急に4回目の血管内治療を実施。腫瘍マーカーは700まで下がったが、この頃、まりこさんはある決意を固めていた。
「がん細胞はすごく強くて、治療を続ければ続けるほど、抵抗力をつけてどんどん強くなってしまう。これではいつまでたっても終わらないと思ったから、3月から抗がん剤の服用を止め、丸山ワクチンを始めました。免疫力を高め、自然治癒力を高める方向に舵を切ったんです」
まりこさんは自らの意志で抗がん剤治療を中止。以来、丸山ワクチンを接種するかたわらサプリメントなどを飲み、野菜中心の食事をとりながら自宅での療養生活を続けている。 腫瘍マーカーは再び1300まで上昇。5月17日のCT(コンピュータ断層撮影)検査で、傍大動脈リンパ節への転移が見つかった。
「でも、それも気にしません。体の調子は悪くないですから」
抗がん剤治療を中止し、免疫力を高める治療に舵を切る――口で言うのは簡単だが、実際に決断するには相当な覚悟が必要だったはずだ。なぜ、そんなことが可能だったのだろうか。
「怖いと思うから怖いんですよ。弱いですよ、人間って。みんなが右を向いたら右、左を向いたら左となってしまう。自分の責任をとれるのは自分だけ。だから、薬を飲まなくなったことは、誰にも言わなかったんです」
子どもたちもうっすらとは気づいていたはずだ。だが、母の決断に反対はしなかった。自分たちが1日も早く成長し、母不在のお座敷をしっかり務め上げること――それだけが、母を支える唯一の方法だと理解しきっているかのように。
人間のミラクルな生命力に賭ける
最近、まりこさんは神霊治療を始めたという。神術師に気を入れてもらい、邪霊をはらい、祈りを捧げる。ワラをもつかむ思いで神にすがることを決めたのにはそれなりの理由があった。
まりこさんが入院中、娘のまい可さんがこう言い出したことがあったという。
「お母さんが死んだらみんな悲しむ。私の命をあげるから死なないで」
その言葉にまりこさんは本気で怒り、親子で大泣きした。
「それを聞いてしまった以上、どんなあざとい手を使ってでも、私は生きなきゃいけない。医者の言うことを聞いてるだけじゃ生きていけないから、神様にも頼るんです。毒食らわば皿までで、心から治ると信じて、悪魔に魂を委ねる……のはやめて、神様に魂を委ねました。毎日楽しく生きれば、免疫力も上がる。抗がん剤に頼らず、免疫力を高めて、神を信じると決めた。決めたら、揺らいじゃだめなんです。そうすることで、人間のミラクルな生命力をガーッと呼び起こしたい。私は絶対にまだ死ねないんです」
今は子どもたちにお座敷を任せ、スローライフを満喫しているという。肝臓と肺に痛みを感じたときは大きく深呼吸してゆっくり休めば大丈夫。たとえ来月死んでもいい。どうせいつかは死ぬものなら、心から治ると信じて、最後の瞬間まで幸せに生きたい。まりこさんは言う。
「自分の生きたいように生きると決めたから、すべてが自分の責任。結果がどうであろうと、誰にも文句は言いません」
その言葉にあだで鉄火な江戸前芸者の心意気が透けて見えた。
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