多重がんを経験したデジタル印刷のパイオニアが語る「動じない生き方」 想像を絶する術後の後遺症――。悪戦苦闘しながら、ひとつひとつ乗り越えてきた

取材・文:半沢裕子
発行:2009年4月
更新:2019年7月

「以前はただのデブでした」

写真:93年8月、奥さんと一緒に行ったアメリカ旅行

93年8月、奥さんと一緒に行ったアメリカ旅行。90キロ近くあり、「この頃は、街で誰に会っても怖くなかった(笑)」という羽田野さん

そして、何といっても胃がんの手術後、大きく変わったのは食生活だ。

「以前はただのデブでした(笑)」

と羽田野さんは笑うが、がんになる前、楽しみは夜、自宅で浴びるほど飲むことだったという。「晩酌」ではない。夜から夜中にかけて、酌をされずに1人ベッドで本を読みながら、気ままに飲む酒だ。酒の種類はウイスキー。

栄養バランスもあまり考えず、食べ物も好きなものを好きなだけ食べてきた。結果、最も体重が多かったときは92キロあったという。何度かダイエットを試み、がんと診断される直前は80キロ前後まで落とした。それが術後に65キロまで減り、最近やっと数キロ取り戻した。

「今はあまり食べたいとは思わないんです。『食べなくちゃ』という感じで……」

術後は、抗がん剤の投与は受けなかった。「あなたの場合、再発・転移の可能性は五分五分。再発したら難しいだろうし、再発しなければただのおでき。でも、副作用の苦しみは必ずあるから、わざわざ味わう必要はないよ」というように、羽田野さんは医師の言葉を受け取った。それでよかったと思っている。変な健康食品や民間療法に走らず、今現在の標準治療を受け、あとは成り行きにまかせるしかないんじゃないかと。

人生観なんて変わらない

がんになる前と後で、考え方が変わりましたか? という質問に対して、羽田野さんは答えた。

「変わらないですね、前も後も。何も変わらない。人生のスケジュールですか? それも変わらないです。最初からスケジュールなんてなかったですから。
食い物は変わりました。肉体的なところがすごく変わるので、そこは変わらざるを得ないけど、いわゆる人生観、死生観に関しても、変わった点はないですね。
ただ、瞬間瞬間にはありました。『何で私が』から始まって、なぜ生まれてきたかとか、永遠のテーマみたいなものも考えました。でも、今はまったく考えないです。それが生きるってことかな、しょうがないなと。
病気だって、年を取れば増えますよね。ぼくは不摂生だから、これからも病気をすると思いますし。ええ、不摂生ですよ、でたらめに生きている。かかりつけの医師にも『運動するか、薬を飲むか』とか言われますけど、答えは絶対『薬ください』ですから(笑)。
酒も変わらず飲んでいます。酒でおもしろかったのは、胃がん手術後に、主治医から『え、何で飲んでないの? 大丈夫だよ』と言われたこと。言われなかったら、そのままやめていたかも。そうか。不摂生に戻ったのは、先生のせいだな(笑)」

もともと「24時間働いている」といった生活はしていなかったが、術後はもっと気分次第で動くようになり、物事にもあまりカリカリしなくなった。

「年齢的なものもあるでしょうが、半隠居ですね。午前中は自宅でだらだら過ごして、午後からちょっと出社して。ルーティーン・ワークももっていません。無理をすると、腸閉塞を起こしたり、貧血がひどくなったり、何かしら体がトラブるんです。
思えば、がんになる前は、たしかに忙しかった。忙しいと仕事を抱え込める、体力的な余裕があったんですね。今は『無理』と、初めから降りちゃう」

でも、60人も従業員がいたら、今後のことも考えるのでは?

「病気だから、と考えたことはないですね。『自分に何かあったら、どうしよう』と、普段から考えますよ。でも、とくに手は打ってないです。考えているだけ(笑)。
というか、小さい企業だと、手は打てないです。社名(ルナテックには「月の」というほかに「狂気の」という意味もある)に込めたように、ぼくの仕事にはエキセントリックなところがあるし」

だから、昨夏、せっかく29歳の1人息子さんが入社したが、「誰かがこれを継ぐのはむずかしいだろう」と考えているという。

ショックだった「女房の死」

写真:08年夏、14歳の長寿を全うした愛犬「らんこ」

08年夏、14歳の長寿を全うした愛犬「らんこ」

息子さんが入社したのは、じつは奥さんからの強い要請があったため。奥さんといっても、およそ10年前に「複合的な理由から」離婚していた。胃がんが見つかったとき、戻らないかと誘われたが、結局戻ることはなかったという。

その奥さんが、息子さんの入社を見届けたとたん、膠原病で亡くなった。それは、羽田野さんにとって、本当に大きなショックだった。24歳のとき、同い年で結婚したというから、さまざまなものを分かち合う仲だったのだろう。

そして、その葬式から帰った翌日、羽田野さんは血尿を見て驚くのである。

「泌尿器科に行ったら、『精神的なショックでおしっこがとまることはあるが、血尿は出ない。何か傷があるはずだ』と、日にちをおいて、しつこく3回もエコー(超音波)検査をしてくれたんです。すると、『小さなものがある』と。内視鏡で見てみたら、がんがありました」

羽田野さんは少なからずショックを受ける。

「その時は『何で俺が?』と思いました。膀胱がんの大きな原因はタバコでしょ? ぼくはタバコを全く吸わないし、むしろ毛嫌いするほうなのに……」

ただ幸運にも、膀胱がんはとても早期の段階で発見。内視鏡手術で、がんの部分を取り除くことができた。

「先生には、『2年で7割が再発するから、それだけは覚悟しておいて下さい』と言われました。ただ、『ここから転移することは考えられないから』とも言われて……。気持ち的にはずいぶん楽になりましたね。『あ、切りゃいいんだ』と」

とはいえ、妻の死、膀胱がんの発見、さらに14歳を超えた愛犬の死――。昨年はさすがに「へこんでいた」と、友人は言うそうだ。

今回、プライベートの写真を提供してほしいとお願いしたときも、羽田野さんは少しためらい、「写真は全部、彼女のところにあります。行ってないんです。1度行って、探してみましょうかね」 低い声でつぶやいた。

人生は死ぬまでの暇つぶし

写真:08年8月、友人と一緒に行ったイタリア旅行

08年8月、友人と一緒に行ったイタリア旅行。ビールを持って「ニッコリ」

胃がん、膀胱がんと、若くして2度のがん体験を通り抜けてきた羽田野さん。「これだけはやっておきたいと思うことはありますか」と聞いてみた。

「そうですねえ……。逆に整理しなくちゃ、という気持ちです。散らかしたものがいっぱいある。仕事も、ぼくがやってきた部分はできるだけ自動化し、人に渡さなくちゃならない」

ではこれから、どんなふうに生きたいですか? 最後にこう聞いてみた。すると、しばらく考えてから羽田野さんは、

「ぼくは昔、『人生ケセラセラ(なるようになるさ)』でした。でも、この間、テレビを見ていたら、『死ぬまでの暇つぶし』といったヤツがいた。そっちのほうが格好いいな、そっちでいこう、と。格好よく、というのはむずかしいから、因業爺になるかもしれませんけど(笑)」

がんになっても、自分は自分。そんなに簡単に、人間も人生観も変わってたまるものか。豪快な決意のようなものを感じられた。

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