どんなに追い込まれたときにも、ユーモア精神と心に余裕を 3つのがんを乗り越えつつある教育・経営コンサルタントが語る「がんとの付き合い方」

取材・文:江口敏
発行:2008年9月
更新:2019年7月

歯茎からの血で発見された咽頭がん

食道がんになる前の50歳代半ばに、「これまでに飲み過ぎた」と反省し、酒はほとんど止めていた。しかし、たばこは止めなかった。慶應大学病院入院中も、3日に2箱は喫っていた。医師も看護師も「止めなさい」とは言わなかった。角さんは「慶應病院はエライ」と言うが、それもそのはずである。角さんが喫っているたばこは、アリゾナ・インディアンが作っている、無添加のナチュラルたばこなのだ。慶應大学病院で世話になった女医さんから勧められて、ナチュラルたばこに移行していたのである。角さんはこれを「健康たばこ」と呼んでいる。そんなこともあって、角さんは食道がんを克服してから、健康的な日々を送っていた。しかし、心の片隅に「いつどこにがんができても、不思議ではない」という覚悟は、常に持っていた。それはがん経験者としての思いでもあったが、情報システムをいかに経営に結びつけるかという、一種の危機管理のシステム作りを行ってきたプロとしての自覚でもあった。

先輩から「仕事が順調に来すぎているときこそ、ぬか喜びは禁物だ」と、システム設計の哲学を教わったことがある。角さんはその哲学を、自分自身の体調にも当てはめていたのである。

食道がんの治療から約5年が過ぎ、65歳になろうとしていた。がんの予兆はなかった。胃と食道は大丈夫だと確信があった。たばこを喫い続けているから、肺がんには人一倍気遣っているが、その気配もなかった。しかし、角さんは「何もなくハッピーだけれど、本当にそうだろうか。できていてもおかしくはない」という意識を拭い去ることはできなかった。

ある日、歯茎から血が出た。ペッと洗面台に吐いて流せば、それで済む程度の血であったが、角さんには見過ごせなかった。すぐに行きつけの歯科医に診てもらった。口腔をのぞいたとたん、医師が「あっ」という声を上げ、顔色を変えたことを、角さんは見逃さなかった。「私は昔から、医師の表情を見て判断するんですよ」という角さんは、「これはかなり……」と直感した。日大歯学科出身の医師はすぐに日大病院歯科へ行くようアドバイスした。

日大歯科へ行くと、医師が3人がかりでのどの奥をノギスで計り、「これはかなりの腫瘍です。悪性でしょう。ここでは治療できませんから、すぐに耳鼻咽喉���へ行ってください。急ぎますよ!」と急かした。

騎士のような仮面を付け放射線治療に挑む

写真:咽頭がん治療での放射線照射
咽頭がん治療での放射線照射
(頸頭部は仮面ごと固定されて微動だにできない)

そこで情報システムのプロとしての第6感が働いた。角さんは「日大病院でなくても、慶應病院でもいいですか」と訊いた。慶應大学病院のほうがこれまでの経緯がわかっており、話が通しやすいと考えたのである。

日大病院に紹介状を書いてもらって、慶応大学病院の耳鼻咽喉科に向かったが、ここでも角さんの脳が閃いた。「耳鼻咽喉科にワンノブゼムの患者として並ぶより、行きつけの放射線科に直接行ったほうがいい」と。放射線科の主治医はすぐに咽頭がんの医師を紹介してくれた。危機管理のプロの頭脳が、いかにしたら最短距離で目的地にたどり着けるかを、判断したのであった。

咽頭がんは2~3期、つまり早期がんから進行がんに移行する段階にあった。耳鼻咽喉科と放射線科で、角さんの治療について話し合われた。手術を避けるとすれば、放射線しかないが、角さんは食道がんの治療の際、すでに限度まで放射線を照射されていた。やるとすれば小線源照射しかないと診断された。国立病院東京医療センターで小線源照射の可能性を探った。最悪の結論だった。

「私の腫瘍が4センチのボーダーラインより大きく、頭蓋骨を傷つける可能性があったために、小線源照射は無理と判断されました。その結論を聞いたときは、私の人生もこれで終わりかと思いました」

しかし、慶應大学病院では“針の穴にらくだを通す”道を探ってくれた。食道がんの治療のとき、のどには放射線を当てていなかった。細心の注意を払って、のどに集中的に放射線を当てれば、治療できるかもしれない。相談された角さんは、「それで行きましょう」と了解を出した。顔を中世の騎士のような仮面で覆われて、固定されて放射線照射を受けた。少しでも動いたら、局所以外に放射線が当たり、致命傷になるからである。また、食道がん治療の際に使ったシスプラチン、5-FUに代わって、咽頭に適応のある、新しいタキソテールという抗がん剤を投与された。

平成17年11月初めから12月半ば過ぎまで入院し、咽頭がんの治療に専念した。限界まで照射された放射線により、激しい口内炎、あごのただれが起きたが、奇跡的にと言うべきか、咽頭がんはきれいに消えた。治療を終えて2年半になるが、経過は順調で、「身体をいたわりつつ、好きなゴルフ、釣りを楽しんでいます」と言う。

ユーモア精神を忘れず常に心に余裕を持つ

写真:紫陽花がきれいな庭でくつろぐ角さん夫婦とペットたち
紫陽花がきれいな庭でくつろぐ角さん夫婦とペットたち

角さんは去る5月、医療文化社より『僕は元気なガン患者』と題するがん闘病記を出版した。胃がん、食道がん、咽頭がんと3つのがんを乗り越える過程では、つらいこと、苦しいことがあったが、角さんは「僕は元気ながん患者」だと言い、実際にがん患者とは思えない張りのある声で67歳の今を生きている。

本は理路整然とした闘病の過程が綴られている。取材をして、その秘密がわかった。角さんは2度目の闘病生活から、多くの知人に対して、毎日A4用紙1枚分の闘病日記をメールで送っていたのである。そのユーモアにあふれ、真実を鋭く衝いた文章は、ときには医師や看護師さんにも好評であった。それを中心にして1冊の本としてまとめられたのが、今回の闘病記である。

実は角さんは現役のころから、提案にしろ、報告にしろ、常にA4用紙1枚の、短からず長からず、客観的にほどよくまとまった文章にして提出したり、配布したりしていた。それは「角メモ」と呼ばれ、そのまとめ方の秀逸さは、さすが情報システムのプロと、日立社内はもちろん、角さん周辺では有名な話であった。角メモのファンが350人ほどいたと言う。角さんは一種の危機管理のメモとして、闘病記を綴ったのであった。

物事を客観視して見ることができる角さんが、3度のがんを総括して語る。

がんは風邪と一緒で、早期発見、早期治療すれば、必ず治ります。また、3度のがんを体験してみて、どんなに追い込まれたときにも、ユーモア精神と心に余裕を持つことが大切なことを痛切に感じます。
さらにもう1つ付け加えるならば、禅に傾倒していた親父が言っていたことですが、いつ死んでもいいと覚悟しておくことですね」

最後に、庭に張り出したウッドデッキで、奥さんと愛犬、愛猫とともに写真を撮らせていただいた。バックに紫色の紫陽花が、角さんの生き方を象徴するように、静謐な佇まいをみせて咲いていた。

編集部注 これも角さんの思いで、実際は必ずしもそうとは断定できません。

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