がん闘病10年で会得した「老いてはがんに従え」の境地 悪性リンパ腫と共生しながら水彩画の楽しさに目覚める

取材・文:江口敏
発行:2008年3月
更新:2013年8月

再発後に出会った水彩画の楽しさ

作品:タワーブリッジ
テムズ川に架かるタワーブリッジ(ロンドン)を描く
作品:トゥーン城
インターラーケンの最西端に位置するトゥーン城(スイス)
作品:チェスキー・クロムロフ城
チェスキー・クロムロフ城(チェコ)

正直、再発はしたくない、恐ろしいと思っていた。再発を機に、以前読んで感動した、アンドルー・ワイル博士の『癒す心、治る力』を読み返してみた。人間には自らの病気を治癒する力が秘められていることが強調され、「病気による人生の転換を恐れない」「病気を貴重な贈り物とみなす」ことの重要性が説かれていた。佐藤さんは腹を据え、自然治癒力を高める努力をしながら、再発がんと共生していく新しい人生を始めることを、改めて決意した。

万歩計を身につけ、自宅周辺を散歩していたある日、最寄りの田園都市線青葉台駅近くの画材店の店頭に、「水彩スケッチ生徒募集」のポスターを見つけた。講師はNHKテレビの趣味の番組で見たことのある先生であった。小中学校の図工の時間以来、絵筆を握ったことがなかった佐藤さんであったが、ポスターを見た瞬間、「これだ!」と直感した。がんになって以来、路傍の草花や緑の木々に美しさを感じるようになっていた佐藤さんの感性が、水彩スケッチにビビッドに反応したのであった。

「がんにならなければ、おそらく画材店のポスターを見ても、素通りしていたと思います。しかし、私はがんになってから、物の見え方、感じ方がピュアになってきていることを、自覚していました。その感覚を維持するためにも、水彩スケッチにチャレンジしたいと思ったのです。60歳の手習いでしたが、自分の中に眠っていた趣味を発見できた気がします。水彩画を描くようになってから、人生が一段と楽しく、充実してきたように思います」

佐藤さんは今、散歩の途中に美しい景色や草花を見たり、海外旅行で有名な観光地を訪れたとき、その光景を凝視し記憶に鮮明に残してきて、水彩スケッチに描いている。仕事で何回も海外に行っているが、そのときに見た風景はほとんど憶えていない。水彩画を始めてから見た風景はよく憶えており、生き生きと描くことができるのだと言う。

小さなスケッチブックに描かれた、佐藤さんの外国の風景画を拝見すると、淡い色調���絵が温もりをもって訴えかけてくる。がんとともに生きている佐藤さんの、日々よりピュアになっていく心の内が、よく表れている作品である。「がんにならなければ、水彩はやっていなかった」という佐藤さんの言葉を敷衍するならば、その作品はがん患者ならではの透徹した目で描かれ、内にがん患者ならではのやさしさを秘めた作品になっている、と言えるだろう。

骨髄移植か抗がん剤か二者択一を迫られる

写真:03年、役員退任にあたって社員への挨拶をする佐藤さん
03年、役員退任にあたって社員への挨拶をする佐藤さん

平成12年に右頸部、同15年に鼠径部、同16年に左頸部に再発が見つかったが、平成18年の初めころまでは一進一退という感じで、経過観察が続いた。佐藤さんが右頸部のリンパ腫に変化を感じたのは、平成18年6月だった。それでも7月にはスイス旅行をした。8月にCT検査を行うと、従来の3カ所のリンパ腫が大きくなっているのに加えて、新たに6カ所の転移が見つかった。「最初の再発から6年以上経っていましたから、生存期間7~9年ということが頭をよぎりました」と、佐藤さんは振り返る。

主治医から「かなり進行してきたので、新たな治療を考えたほうがいい」と言われ、移植療法と化学療法の選択を迫られた。「完治を望むなら骨髄移植しかないが、50パーセントの死亡リスクがある。QOL(生活の質)を重視するなら、化学療法で生存期間を延ばすことを考えるべきだが、これは延命治療であり完治は期待できない」と二者択一を迫られ、佐藤さんは窮した。即決できる問題ではない。

2人の医師にセカンドオピニオンを求めたが、答は分かれた。いずれの答も納得のいくものであり、佐藤さんの頭はますます混乱した。そんなとき、悪性リンパ腫患者会のグループ「ネクサス」が主催したフォーラム「悪性リンパ腫~最新の治療と最適な選択」に出席し、5人の専門医の講演を聴いた。その帰り道、佐藤さんはいつしか自然体でいくことを心に決めていた。

佐藤さんは、「自分自身の生命を賭けてがんを叩きのめすより、がんとうまく折り合いをつけながら、生きられるところまで生き延びていく。それが私にはいちばん合っていると思ったんです」と、そのときの心境を語る。

平成19年の年明けに、リツキサンという分子標的薬の点滴を4回実施した。1回目は入院したが、2回目からは通院治療だった。その治療の効果があり、左頸部のリンパ腫などはかなり小さくなった。これまで抗がん剤を使っていなかったから効いたのだと、佐藤さんはみている。現在は経過観察中だが、顔色も良く、とてもがん患者とは思えない。

がん闘病10年で学んだ「老いてはがんに従え」

写真:06年、スイス、マッターホルンにて
06年、スイス、マッターホルンにて
写真:04年、イギリス中部にある美しい田園都市コッツウォルズのコートガーデンにて
04年、イギリス中部にある美しい田園都市
コッツウォルズのコートガーデンにて

「今年で10年間がんとともに生きてきたことになります。最初は、がんを追い出そうと思っていました。最近は、がん細胞も自分の身体の一部だと思えるようになり、やっつけるという感じはなくなって、ご機嫌を取りながら共生していくという感じです」

そう言って微笑む佐藤さんが、がん患者の1人として、今いちばん訴えたいことは、がん患者でも普通の生活をしている人が多いということと、普通の生活ができることがいかに嬉しいかということである。

世の中には多くの「がん闘病記」が出回り、がんと壮絶な闘いをした人の記録が注目を浴びている。しかし、がんに対する恐怖ばかりが強調されるのではなく、がんと共生し、がんから生き方を教えられながら生きている人が多いことも知ってほしいと、佐藤さんは力説するのである。

佐藤さんはそのために、今年1月、自らの「がん体験記」を出版した。題して『老いてはガンに従え』(ブイツーソリューション発行)である。

「ある年齢に達すれば、誰でもがんになる可能性があります。がんは何らかの危険を知らせてくれている、と考えることもできます。がんになったら、生き方や生活を見直し、改善することが必要です。そういう意味では、老いてがんになったら、がんと闘うのではなく、がんに従うという受け止め方も大切ではないかと思います」

佐藤さんはがんとの付き合い方においては、「やっと義務教育を終えて、高校に進学する段階で、どうにか上手にがんと共生できるようになったところです。1人前のがん患者になれるのは、まだまだ先でしょう」と言う。ぜひ1人前のがん患者になるまで長生きをしていただきたいと切に思う。

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