「人の心が和む作品」に情熱を傾ける「石創画」の創始者 生かされた命。人に役立つ作品を創るのが生きがい

取材・文:増山育子
発行:2007年12月
更新:2019年7月

手術を延期できないか

手術は10月に予定されていた。手術を控えて入院したその日、江田さんは回診に訪れた外科部長に聞いてみた。

「先生、手術、来月になりませんかねぇ?」

「じゃぁ、来月にしましょうか。かまいませんよ」と外科部長。

「手術がいや、とかではないのですよ。ただ仕事のめどをつけたかったので、急ぐものでないなら、という気持ちで聞いただけです。10月は1日だけの入院でした(笑)」

結局、手術は翌月に持ち越し。 「先生におまかせするタイプの患者」だという江田さんだが、時間ができたことと、知人の紹介もあり、別の医師の意見を聞いてみた。

「予定されている手術は妥当で、担当医の腕も信用できると言われ、『おまかせします』という気持ちで手術を受けることができました」

2005年11月。江田さんは胃と胆のうの全摘手術を受けた。胃の周辺のリンパ節も6カ所切除した。

切除したリンパ節のうちの1つからがん細胞が見つかったが、取ってしまったから心配ない、と告げられた。

大掛かりな手術になったが、江田さんにとっては、病巣部だけ取るよりも胃を全部取ってしまったほうが安心できた。

人の心を和ませる作品を

人の心を和ませる雀の絵
人の心を和ませる雀の絵

「術後は安静だと思っていたけど、早く動いたほうがいいって言われ、痛いけれど、トイレに行くのも歩きましたね」

入院生活は25日間。手術直後は痛みや体力の消耗でなにもできなくても、回復していくと次第に退屈になってくる。

ベッドの上で振り返る今までの生き方。「好きなように生きてきたなぁ」という感慨。「石創画」の創始者として、国内だけでなく海外でも個展を開けば賞賛を受けた、順風満帆のアーティスト人生。 でも、自分は地位や名声がほしかったわけではない。画壇や協会の幹部になることに興味はない。「見た人が喜んでくれる」

関心はその1点だけだった。

「これからは人の役に立つような作品をつくろう」そう思った。

「かわいいものを描いた優しい作品で、見る人の心が和んだなら、自分の芸術は誰かの役に立ったといえるのかなぁ……」

そんな思いを受け止めた息子さんが、江田さんにある本をすすめた。『光の中へ』というタイトルのこの本には、視覚障害者のための芸術鑑賞について書かれていた。

写真:胃がんになって初めて開��た2006年の個展
胃がんになって初めて開いた2006年の個展

江田さんは2005年12月に退院してから半年後、作品を作り始め、2006年12月には個展を開くまでに回復する。

このときの個展の来場者のなかに、視覚障害のある男性がいた。試しに作品をさわってもらうと、とても熱心に確かめている。その嬉しそうな表情が印象的だった。

以前から個展会場では作品にさわる人が見受けられていた。素材が石だから、さわっても問題ない。それならはじめからさわって楽しむという趣旨の絵画展にしようじゃないか、と企画されたのが冒頭の「石創画タッチ展」である。先の『光の中へ』が指南書になった。

低血糖に必須の氷砂糖

「医者が言うには転移の可能性は低いし、術後の治療は必要ないそうです」と、江田さんは放射線治療や抗がん剤治療をしていない。

退院後は3カ月ごとに血液検査とエコーで経過をみている。

今年の11月には術後2年の定期検診だ。

「もちろん、検査の結果、大丈夫ですよといわれるまでは不安です。ぼくのように再発の心配はないと言われていても、不安はつきまとうもので、何もなかったと言われたらほっとしますよ」

江田さんは、あるときから氷砂糖をケースに入れて携帯している。

「検査のため病院に来た日でした。診察室を出た後、やたらと汗が出てくる。なんだか足元もふらつくような気がして……。家には電車を乗り継いで帰らなければならないのですが、今、帰るのは無理そうやと、ロビーのソファでごろんと横になってじーっとしてた。やっぱり診てもらおうと外科に戻ると先生が『危ない、危ない、低血糖の発作や』と。それ以来、氷砂糖を持ち歩いて、あやしいなって感じたら、がりがりかじります」

がんを患ってからというもの、江田さんの日常生活で変わったことは、低血糖に対処するようになったことと、ビタミンB12のサプリメントを摂るようになったことで、ほかは以前とあまり変わらないそうだ。

「たばこも止められないからねぇ。ぼくの場合は胃がんよりたばこのほうが難敵かもしれない(笑)。変わったことといえば食事かな。好物だったてんぷらが食べられなくなった。さすがに揚げ物は無理ですね。あと野菜が多くなったかな」

飲み込むとつかえるような違和感は、はじめのうちつらかった。胃をとってしまってからは、食欲自体はあるものの食事の量が減り、術後に落ちた体重もなかなか戻らない。つまり、体力の低下を招いた。画家はけっこう体力勝負の職業であるから、それは、つらい。

仕事で生かされている

写真:代表作の横に立つ江田さん
代表作の横に立つ江田さん。
好んでモチーフにする能の幽玄の世界

「がんになっても生きているということは、もうちょっと仕事をしろよということかなと解釈しています。自分の仕事を生きがいにできるかどうかは、大切ですよね。自分の仕事が世の中の役に立っている。そういう意識を持てたら、やりがいになりますね」

江田さんが描く世界には慈愛があふれている。小さなもの、か弱いものへの慈しみの心。

「作者が絵の説明をしなくても、作品が一瞬にして訴えかけてくれます。作者である私が亡くなったあとも、作品は生き続けるし、石創画は息子や絵画教室の生徒さんや、見てくださる人たちによって引き継がれていきます」

いのちは、限られたもの。がんの再発があっても仕方ないと思う。がんでなくてもほかの病気になることもあるのだし……。医師は手術をしてがん患者さんのいのちを助ける。画家の自分は何の役に立てるだろうか。

江田さんはそんな自問に答えを出している。自分の作品を見た人のこころが、ひとときでも安らいだら……。精神的なことで役に立てたといえるのではないか。

次回の「石創画タッチ展」のためにいろんなアイデアも浮かび、江田さんは意欲を燃やしている。

「やりたい企画があるので、体力がほしいです。石を削ったり、磨いたりするのは力仕事ですからね。石は重たいですし(笑)。石創画の難点は重いことやね(笑)」


1 2

同じカテゴリーの最新記事