お願いだから1日も早く、ここで手を挙げている私を見つけて 歌手・ボイストレーナー 横内美知代さん

文:吉田燿子
発行:2007年4月
更新:2019年7月

シングルマザーとして生きる闘病生活の厳しさ

再発がんとの闘いは、想像以上に苛酷だった。美知代さんはためらった末、永遠君を乳児院へ預けて治療に専念することにした。

経口抗がん剤と漢方薬、ホルモン剤による治療をスタート。だが、まもなく骨転移の影響で肋骨を骨折してしまう。翌年7月、抗がん剤治療を受けるため都立駒込病院に入院して検査を受けたところ、肝臓と肺にも転移が発見された。

だが、悪いニュースばかりではなかった。折しも、転移性乳がんに効果があるとされる分子標的薬のハーセプチンが、日本でも認可されたばかりだった。1年間にわたるハーセプチンとタキソテールの併用療法の末、徐々に病状は回復。02年4月には乳児院から永遠君を引き取り、念願の母子一緒の暮らしが始まった。 だが、がんや治療でもろくなった骨を抱えながら、1歳半の幼子と暮らすことは容易ではなかった。

親子一緒に眠れば、いつ息子に蹴られて骨折するかしれない。幼い息子と枕を並べることのできない悲哀が胸を刺した。

美知代さんが永遠君を引き取ってすぐ、急性大腸炎にかかり、息子を乳児院に一時預けしたときのことだ。乳児院で水疱瘡が発生し、そのことを理由に1カ月間面会を拒絶された。ところが、通っていた保育園には「1カ月休めば退園」という規則がある。結局、保育園の空きを待って再入園する手はずを整えたものの、それまでの間、疎遠になった父や転勤族の弟の援助を期待することもできない。シングルマザーとして送る闘病生活の厳しさに、美知代さんは暗然とした。

02年6月、放射線治療を開始し、1カ月後にがんが消失。喜んだのもつかの間、翌年4月には肝臓と骨に転移。ハーセプチンとタキソテールの投与でがんは一時的に消えたが、04年4月に骨転移が見つかり、放射線治療を再開。9月、肝転移、12月、首リンパ節に転移。

たび重なる転移と闘いながら、美知代さんは4年の歳月を永遠君と一緒に過ごした。

「わずかな期間だったけれど、永遠と一緒に過ごすことができた。だからこそ、ここまでがんばって来れたと思うんです」

闘病中の親子への24時間支援のため『永遠へ』をCD化

写真:見舞いにきた永遠君と
入院中の母・美知代さんを見舞いにきた永遠君との1コマ

闘病と育児に孤軍奮闘する美知代さんに再び転機が訪れたのは、04年春のことである。

がん患者生活サービス会社『VOL-NEXT』を経営する曽我千春さんの推薦で、大手かつらメーカー、スヴェンソンのインターネット動画CMに出演することになったのだ。

「正直言ってCMに出たときは、『闘病している人たちを励まそう』なんて気持ちはこれっぽっちもなかったですね。でも『永遠君に横内さんのステージ姿を見せてあげてください』と曽我さんに言われて、ホロッときたんです。『お母さんって何する人?』と息子に聞くと、『痛い痛いって言ってる人』と言うんですね。ああ、これはいけないなって」

CM中では、親友のミュージシャン石原慎一さんから贈られた歌『永遠へ』を熱唱した。これをきっかけに、美知代さんの活動は社会的な広がりを見せていく。

「『永遠へ』をCD化し、闘病中の親子への24時間支援を要請する活動の第1歩としたい」――美知代さんの思いは読売新聞紙上で紹介され、250万円もの募金が集まった。翌05年のバレンタインデーに、CD『出逢い そして永遠に』を発売。それは、多くの人々の善意によって実現した、1つの奇跡といってもよかった。

「死ぬ間際まで、永遠と一緒にいたかったのに」

写真:ステージで歌う横内美知代さん
写真:息子の永遠君と手をつないで

2006年9月2日に行われた「リレー・フォー・ライフ・ジャパン2006」でステージで歌う横内美知代さん。子の永遠君と手をつないで

現在、美知代さんは入院治療を受けるかたわら、ライブなどで支援要請活動を行っている。24時間対応の保育施設を併設した病院を全国につくるための支援を求めて、2006年8月は日本テレビ系列『24時間テレビ 愛は地球を救う』に出演。9月に筑波で開催された『リレー・フォー・ライフ・ジャパン2006』でも歌を披露した。

とはいうものの、病状の進行もあって、今は永遠君と離れ離れだ。2006年の春、美知代さんはついに永遠君を手放す決心をした。今年7歳になる永遠君は、弟夫婦に引き取られてこの春から小学校に通うことになっている。

「いや、連れてかないで、と思いましたよ。でも、体がもうだめでしたからねえ。子供を手放そうと覚悟したときのことは、一生忘れない。死ぬ間際まで一緒にいたかったのに」

今は右脇に転移したがんが神経を侵し、右手の麻痺が続いている状態だ。痛みで眠れない夜もあるが、ブログへの書き込みは欠かさず続けている。

「『子供を育てられなくなった親はこんなにつらいんです』、『子供が熱を出したと聞けば、病院にいても寝られないんです』と発信し続ければ、『闘病しながら子育てしている人を助けよう』と思ってもらえるかもしれない。だからこそ、今の気持ちを発信していくことが私の役目だと思うんですよ。

最近、永遠に会うと説教されるんです。『ママはお歌を歌わないの。病院にいたら歌えないから、元気にならなきゃね』と(笑)。でも、彼の中では必死の我慢がベースにあるんです。子供は母親がどんな状態か、全部わかっている。だからこそ、親と離れ離れになっても我慢ができるんですよ。でも、そういう親子の切ない気持ちを、周りの人はもっと理解するべきだと思う。子供がどんなに我慢しているか、体が自由にならない親がどんなにつらいか……。『お願いだから1日も早く、ここで手を挙げている私を見つけて』って感じです。冬山で遭難して助けを求めて叫んでいるのに、まだ見つけてもらえていない状態なので」

現実を受けて立ち生きることに「勝っていく」

写真:「リレー・フォー・ジャパン2006」で永遠君との楽しいひととき
「リレー・フォー・ジャパン2006」で永遠君との楽しいひととき
『永遠へ ガンを抱えた母から、まだ幼い我が子への手紙』

『永遠へ ガンを抱えた母から、まだ幼い我が子への手紙』(ソニー・マガジンズ)

「永遠が成人するまで、あと13年はがんばりたい」と美知代さんは語る。一方で、「無理に『希望を持たなきゃ』と考える必要はない」、とも。これからどうやって生きていこうか、と考えながら手探りで前に進んでいく。そのなかの1つに治療がある、という生き方ができればベストだと言う。

「帯津先生の教えに、『生老病死はすべての人に平等にやって来る』という言葉がある。どんな人にも老いや病気は来るし、死は必然であって防ぎようはない――そのことを基本としながら闘病すれば、そんなに苦しいことはないと思うんです。死を拒絶し続けると、検査結果にも一喜一憂して、『死にたくない、死にたくない』と毎日泣き暮らしてしまう。

もちろん、『心の持ちよう』ってあると思うんですよ。私を応援してくれる人たちのなかでは、『横内美知代は死んではいけないもの』になっている。そういうパワーのおかげでいいほうに向かっていくんだろうな、とは思うんです。

でも、ベースにあるのは『人は死ぬ』っていうこと。その日がいつ来るかは誰にもわからないけれど、その日が『ああ、負けちゃった』という日ではないということ。その日を迎えるまでにどう生きたかということが、私は勝負だと思う。だからこそ、今できることに次から次へと挑戦していく。それが生きることに『勝っていく』ことであり、イコール、がんにも『勝っていく』ということではないかなって。

だから、『病気に打ち勝たなきゃいけない』とは思わないんです。現実を受けて立ち、それを成功させていくことは喜びでもあるし、生きる証でもある――そんな感じですよね。わかります?」


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