自然音の専門家が聴く、がんの声 自然音の専門家・高野昌昭さん
自分自身のがんと話し合わなきゃいけない



各地の小学校を訪問し、音具を披露
がんの治療はホルモン療法中心で進められた。そのかたわら、がんと治療法に関する本を読み漁り、前立腺がんの小線源療法という新しい治療法があることも知った。その分野の専門家に手紙でセカンドオピニオンを求めたものの、はかばかしい返事は得られなかった。
最初の1年間は注射薬リュープリンを投与。PSA値は580から40台まで下がったものの、薬剤耐性ができたことから投与を中止。今年2月に女性ホルモン系の薬剤に切り換えた。だが、これも2カ月ほどで効かなくなり、主治医から他の抗がん剤治療に切り替えることを勧められた。
だが、副作用のこともあって、高野さんは抗がん剤治療に強く抵抗した。結局、腎臓機能が低下しているという理由で、抗がん剤治療は行わないことに。「別の方法を考えましょう」という主治医の言葉に、高野さんはホッと胸をなでおろした。
(それにしても、自分はなぜがんになどなってしまったのか)
人生の紆余曲折を経験した末に、「がんばらない」生き方をしようと決めてきた。自然音を通じて大自然と対話し、調和しながら生きてきたはずだ。その自分が、なぜがんに蝕まれなくてはならないのか。挫折感に苦しむ高野さんに転機が訪れたのは、ある新聞社主催の講演会がきっかけだった。
壇上では、がん患者のために一身を捧げている著名な医師が話をしていた。それなのに、どうしても気持ちがつながらないのはなぜか。そう自問するうちに、違和感の正体がはっきりと見えてきた。
「先生はがん患者ではないし、『12月に死ぬ』と決めているわけでもない。だから違いがあって当然なんだ、とわかったわけです。結局、講演会の途中で帰ってきました。僕は自分自身のがんと話し合わなきゃいけない――そのことに初めて気がついたんですね」
がんに宛てた手紙


高野さんがある試みを思いついたのは、そんな折のことである。「がん君」という書き出しで、自分のがんに宛てて手紙を書き始めたのだ。
「おーい、がんよ、お前何をやってるんだ。俺はこんなことを考えて生きてきたのに、お前はいつのまにそこにいるんだよ」
これが俄然、面白くなった。がんと対話するゲームに、高野さんは寝付かれなくなるほどに熱中した。「がん君」という呼びかけも、いつしか「ミスターP(PSAの意)」へと変わっていった。
「よく『がんと闘ってください』と人は言うよね。僕も『がんは悪い奴だ』と思っていた。でも考えてみたら、僕が死ぬときはがんも死ぬんだな。がんは自分自身���んですよ。いつの間にか僕の油断に乗じて乗り込んできた、要領のいいやり手なわけだ」
「お前もだいぶ疲れただろう。何か言いたいことがあるのか、と手紙の中でがんに聞くわけです。すると、がんが、いろんなことを言うような気がするのね。このつきあいは、もしかしたら治るぞ、と思うんですよ。希望というわけではないけれど」
だが、「ミスターP」が活動をやめたわけではない。最近、胸の軟骨に転移が見つかったが、「つらいので骨シンチの画像は見ていない」という。高野さんに勧められて胸のしこりを触ると、ぶよぶよとした塊が指にふれた。
現在、高野さんは、西洋医学に頼らない方法も試しつつ、がんの治療を続けている。これからも抗がん剤治療を受けるつもりはない、と高野さん。「抗がん剤を使えば、薬でがんをねじふせることになる。それじゃあ、ミスターPが可愛そうですから」
そうは言っても、やはりミスターPには消えてもらわないといけないのでは――そう問いかけると、高野さんはきっぱりとこう言った。
「それは無理です。『お前も大変だろうけど俺も大変なんだよ。だから、もう少し話し合おうじゃないか』と。政治と同じで、がんも話し合いだよ、暴力じゃないんだよ。話し合えないのは、今までのいきさつが歪んでいるからなんだよ。どうして僕の体にミスターPが乗り込んできたのか。その歪みの一番根っこのところをつかまえて、ミスターPと話し合いたいんです。逃げ道かもしれないけど、そうしないと、12月を迎える準備が間に合わないから」
作品がもたらした出会い

現在、高野さんは、音具を使った「音あそびの会」を続けるかたわら、「星のカーテン」の製作を進めている。
「死ぬときは、先祖代々の墓から先祖を連れ出して雲散霧消してやろう、と考えたんです。散骨によって先祖と一緒に行くところはどこか、これはやっぱり空しかないな、と。やきものをやる人には、生前に自分の骨壷を作る人が多い。それなら僕は、自分の作った星空の中に昇天してやろう、と」
高野さんの造形作品は、新しい出会いももたらした。
東急ハンズ主催「第6回ハンズ準大賞」に輝いた、「常滑焼の音のカーテン」という作品がある。常滑焼の無数の小さな陶片を糸につなぎとめたもので、手で触れると陶片がぶつかりあい、シャラシャラと実に繊細な音を立てる。
3年前、埼玉県で開催された自然音コンサートでこの作品に出会った1人のがん患者・北澤幸雄さんが、高野さんのもとを訪れた。
「『音のカーテン』を作ってみたいんですけど、いいですか」
「どうぞおやりください」
この出会いがきっかけとなって、高野さんは北澤さんとともに、NPO法人「とまり木」を設立。不思議な縁によって導かれた2人は、手を携え、支えあいながら、がん患者のサポートを行っている。
「このとまり木にとまってくれって皆に言うのね。いつかは死ぬけど、それまでは……そんなのが、支えですね。こんなに切羽つまっているのに、ある面ものすごく楽しいのね。よくぞ巡り合わせてもらえたなあと。
ミスターPにも言いたい、『お前も一緒に仲間に入れよ、こんなに面白いことがあるんだぞ』と。それでいいんだと思いますよ」
NPO法人 とまり木
〒340-0005 埼玉県草加市中根2-27-8
TEL・FAX048-936-8601
たかの まさあき
1927年東京生まれ。旧制中学を経て1944年海軍航空隊に入隊し、特攻隊員として終戦を迎える。戦後は音響効果の技術者としてフリーランスで活躍。1980年より自然音コンサートを開始し、自然音具の創案・製作・指導を行うかたわら造形作家としても活動している
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