前立腺がん、食道がん、胃がん、直腸がんの多重がんを乗り越えた食生活革命 レストラン「アラスカ」会長・望月豊さん
塩も醤油も厳禁!?
2002年の暮れ、早期の前立腺がんが見つかった。
これは針の先で突いたぐらいの小さいがんで、望月さんは軽く受け止めた。翌年3月の手術では転移もなく、退院後、望月さんは日常生活に戻った。
ところがその年の暮れ、こんどは直腸がんが見つかった。ピンポン球ほどの大きさで、相当古いがんだ。調べてみると、胃と食道にもがんができていた。
「3つもがんがあると言われて、“もう終わりか!?”と、青うなってしまったんですよ。ショックは大きかった。前立腺がんを切った後ですからねぇ」
乳がんで亡くなった母親のことが頭に浮かぶ。リンパ浮腫の激痛に苦しみながら、他界した。
思わず、泣きながら娘に、「マミー(妻)より先に死んだら、かわいそうや……」と電話をしていた、という。
「でも、がんだとわかったその晩から、もうあきらめました。もう医者任せでいこうと。のんきだから、『これをしておかなければ』とも思わなかった」
何事においても、「なるようにしかならん」と、くよくよしないほうだと言う。
「だって先のことを考えたって、人生うまくいくわけないんだから。思うようにいかないから、人生じゃないですか」
今、できることをやる。新たな局面にぶつかれば、また対処する。社長時代、その繰り返しで常に困難を乗り切ってきたのだろう。笑顔の多い人だが、時折、こちらの質問を聞いている時に、ぐっと険しい表情を見せる時がある。人当たりのいいキャラクターの下に、人を圧倒するような気迫を秘めている。
2004年2月、東京都立大塚病院副院長、済陽高穂さんの執刀で、直腸20センチと胃の3分の2を切除する手術を受けた。
これは、とても大きな手術だが、望月さんの体力を考えて、あえて1度に行われた、という。食道がんのほうは、後日、内視鏡で取ることになった。
開腹した結果、がん周辺の直腸がひどく弱っていたので、主治医は直腸を予定(10センチ前後)より長く切り取り、強く引っ張り上げてつないだ。手術は6時間に及んだ。
主治医は術後、血だらけの手術着のままICUに向かい、望月さんの耳元で声をかけた。
「望月さーん!」
「……僕、生きてる? 先生?」
望月さんが目を覚まし、か細い声で応える。
「大丈夫! 成功しましたよ」
「よかった。腹が減った……」
アラスカでは���数年前から、ヘルシーメニューを紹介する料理教室を開いている。高血圧や高脂血症、貧血など、毎月テーマが変わる。
済陽さんは、その料理教室を監修している外科医だった。彼は長年、食事療法に取り組んでいる。望月さんに食事の大切さを説明し、こう念を押した。
「次にがんが見つかったら大変です。1~2カ月は塩も醤油も使わないでください。肝臓に転移する可能性が高くなりますからね」
50年ぶりに野菜を食べる

退院後、望月さんは娘の家で療養する。回復は早く、1カ月後、関西に戻ることにした。
この時、手助けを申し出てくれたのは、3女・薫さんの友人で、ホームヘルパーの資格を持つ人だった。彼女はわざわざ主治医に会い、望月さんの食事について詳細にたずねた。以来、有機野菜や新鮮な魚、無添加の調味料を探し求め、望月さんの食事(昼・夜)を作りおきしてくれている。「介護保険の範囲でやりくりしていますから……」と、お金は1銭も取らない、という。彼女はきっと、薫さんを助けたいのだ。
望月さんが前立腺がんになる数年前から、薫さんが専務としてアラスカの実務を担うようになっていた。東京に移り住み、アラスカを立て直すことに全力を傾けている。
望月さんの食生活は、主治医の指示で一変した。こってりした洋食から、野菜と魚中心のあっさりした食事になった。
朝食は、ミキサーにかけたニンジンにレモン汁1個分と蜂蜜を入れて飲む。それと絞りたてのグレープフルーツジュース、リンゴ半個、バナナ1本、バターなしのトーストにカフェオレ。
昼と夜は、作り置きの青菜のおひたしやカボチャの煮物、大根おろし、煮魚などのおかずと御飯。1日2回、ヨーグルトを摂る。酒は1滴も飲まない。
「最初は抵抗ありましたよ。だって、僕は野菜が嫌いで、サラダもあんまり食べませんから。うちの家内はカナダ国籍なんです。だから結婚しても、家庭料理は鶏の唐揚げとかね。たいていは、昼も夜も、店でカレーやスパゲッティ、肉料理などを食べていました。野菜らしい野菜は、50年間、ほとんど食べてませんわ。でもこれ守らんと、また発がんしたら困るから、続けました」
この年の7月、望月さんは、食道がんを内視鏡で取る治療を受けた。
ところが、がんが平べったくて、取りきれそうにない。担当した医師は取るのをあきらめた。この時、望月さんは、悔しそうに顔をゆがめ、涙声で言った。
「これでがんが全部なくなると思ったのに……」
食道がんが消えた
2005年1月、食道の定期検査中に、内視鏡でのぞいていた医師がふっと笑って言った。
「私、目が悪くなったのかしら?おかしいわねぇ……」
傍らの看護師と2人で笑っている。
望月さんの食道がんが消えたのだった。食事療法を始めて9カ月後のことだ。執刀した済陽さんが「よかったですね!」と大喜びで握手してきた。週2~3回は洋食やアルコールを摂ってもいいことになった。
今でも排便のタイミングがつかめないし、病気前より疲れやすい。それでも、友人たちとゴルフができるほどに回復している。
「まあ、あれだけの手術をしましたから、馬力はありません。やっぱり、たまには肉食わんと、元気になりまへんで。でも、今日現在、あんまり食べたいと思わないから、店に来てもステーキは食べませんけどね。だいたい、オリンピックの選手を見てごらんなさい。向こうのやつは元気おまっしゃろ(笑)?そばやうどん食うてるやつは、あきまへんで。栄養過多にならず、平均的に食べなあかんということでしょうね」
「夢」を胸に、摂生の日々

アラスカの若手スタッフと
望月さんはがんを経験しても、何1つ変わらない、という。
「今まで通りですよ。食うもん変わっただけで、人生観は変わってないよ(笑)。この後、どう生きようとも思わんし。ただこのまま、人に迷惑かけないように生きられればいいなぁと」
今年3月、薫さんが社長になり、望月さんは会長に退いた。やり残したことはない、と言い切る。
だが食事療法を忠実に守り、生き抜こうとした原動力には、アラスカの今後を見守りたい、という思いがあるに違いない。
アラスカは6年前から黒字に転じた。目の前の利益を最優先した経営が功を奏した。
「やっとここまでこぎつけました。しかし、生き残るために、人を育てるお金を削ってきたし、失ったものも大きかった。
でも今なら社員たちにアラスカのDNAが残っている。もう1度、『これがアラスカだ。アラスカでないとできない』と言われるブランド力を取り戻してほしい。薫にそれを期待しています」
アラスカが再び“外食産業の星”として輝く日を夢見て、望月さんは摂生の日々を過ごしている。
同じカテゴリーの最新記事
- 病は決して闘うものではなく向き合うもの 急性骨髄性白血病を経験さらに乳がんに(後編)
- 子どもの成長を見守りながら毎日を大事に生きる 30代後半でROS1遺伝子変異の肺がん
- つらさの終わりは必ず来ると伝えたい 直腸がんの転移・再発・ストーマ・尿漏れの6年
- 家族との時間を大切に今このときを生きている 脳腫瘍の中でも悪性度の高い神経膠腫に
- 子どもの誕生が治療中の励みに 潰瘍性大腸炎の定期検査で大腸がん見つかる
- 自分の病気を確定してくれた臨床検査技師を目指す 神経芽腫の晩期合併症と今も闘いながら
- 自分の体験をユーチューバーとして発信 末梢性T細胞リンパ腫に罹患して
- 死への意識は人生を豊かにしてくれた メイクトレーナーとして独立し波に乗ってきたとき乳がん
- 今を楽しんでストレスを減らすことが大事 難治性の多発性骨髄腫と向き合って