「どん底」を味わったから、今、前向きになれる がん患者と家族の会「かざぐるま」代表・結城富美子さん

取材・文:塚田真紀子
撮影:谷本潤一
発行:2005年5月
更新:2019年7月

がん情報2000枚をプリントアウト

現在、イレッサに関しては、間質性肺炎などの副作用死者が588人に上り、2004年12月には米国のFDAが「延命効果はなかった」と発表している。

結城さんの場合、幸い間質性肺炎にはならなかったものの、副作用はきつかった。

まず激しい下痢が2カ月間続いた。そして、にきびのような湿疹が顔に出て、それが頭皮全体に広がっていく。頭皮にびっしりとできた湿疹が膿み、つぶれ、血と浸出液で頭がばりばりになった。痛くて悲惨な状態をスカーフでそっと隠す。一方、身体はどんどん軽くなっていった。肺の腫瘍(6×2センチ)も、小指の先ほどに縮小した。

結城さんは、結婚前から発病の3年前まで、銀行で働いてきた。コンピュータの端末をたたいて為替を送受信する仕事の腕を買われ、出産後もパート契約で働いた。

「五十日(ごとおび)や年末の膨大な仕事をやり遂げるたびに、達成感を感じましたね……」

当時の充実感を思い出すのだろう。それまで取材に緊張気味だった結城さんが、とたんに表情を生き生きとさせる。

6年前、支店長の勧めでパソコンを始め、「宝箱みたい!」と、夢中になる。銀行の経営悪化で退職したあとは、パソコンの専門学校に通った。情報をインターネットで検索するのが当たり前の生活になっていた。

ところが、入院生活では、それができなかった。情報がないと、医師が提案する治療法も、メリットとデメリットを聞いて選択するのがせいぜいだ。情けなかった。

退院後、取り憑かれたように、がん情報を探しては、読み、プリントアウトしていった。背中が痛いので、横になりながらクリックする。寝る間も惜しみ、来る日も来る日も、あたかもそれが自分の“仕事”であるかのように、延々と続けた。気づくと、印刷した紙は2000枚に達していた。

「その作業によって、気持ちを整理し、がんを受け入れていったんでしょうね……」

知識を蓄えると、がんへの恐怖心が消え、「何とかなるよ」と思えるようになった。

“つぶやき”から「かざぐるま」が誕生

写真:退院後、家族と四国へ旅行した
退院後、家族と四国へ旅行した
写真:長男・卓さんの結婚式にて
長男・卓さんの結婚式にて

退院後、車イスで四国や沖縄を旅行している。長男の卓さんらが付き添った。以前の結城さんは、もっぱら家族のために「してあげる」立場だった。いつも自分のことは後回し。それが「病気と闘っているんだから、少しぐらい家族にわがまま言ってもいいんじゃない」と気持ちを切り替えた。

各地の勉強会にもどんどん出かけて行った。日本ホスピス・在宅ケア研究会の神戸での大会にも、松葉杖をついて出か���た。シンポジウムのとき、会場から問題提起した。

「骨転移で寝返りが打てない状態なのに、介護保険を請求したら却下されました」

その場で、「会として、がん患者にも介護保険を適用できるよう申請することになっています」という返事があった。患者や医師ら仲間の輪がどんどん広がっていく。

2003年はじめ、妻を白血病で亡くした「鉄郎さん」のホームページを見つけた。

【心が痛むことこそ、妻とぼくが一緒にあるいた証拠ではないのかと】

鉄郎さんの言葉が、「病気の妻」である結城さんの胸に迫る。自分の家族とダブらせて読んでしまう。【泣きましたぁ】と鉄郎さんにメールし、やりとりが始まった。

その年の12月、国立病院大阪医療センターの「患者情報室」を見学に行った。高齢の女性がボランティアに相談をしている。

「息子が、抗がん剤治療で吐き気があるんです。何を食べさせたらいいんでしょう?」

「うーん、そうですねぇ……」

ボランティアが本を探し始めた。

(そんなの、本に載ってるわけないじゃん)

黙っていられなくなった。

「ねぇ、ねぇ、私、がん患者なんです。あの吐き気はつわりと同じ。さっぱりした酢の物や素麺なら食べられますよ」

女性が納得して笑顔を見せる。やりとりを聞いていた男性が話しかけてきた。

「妻ががんなんですが、元気をなくして、家に閉じこもっています。一度、話をしに来ていただけませんか?」

結城さんはその男性の妻に自分の話をした。すると、憂うつな顔つきだった女性が、たちまちうれしそうな表情を見せ、「私もがんばります」と言った。結城さんはその変貌に驚き、「自分の体験をもっと伝えたい!」と強く感じた、という。

かかりつけの病院に「患者さんの話を聞くボランティアをしたいんですけど」と持ちかけ、翌月から週1回、その春、院内にできた「患者情報センター」で相談活動を始めた。毎回、3~4人が訪れる。鉄郎さんもボランティアのメンバーに加わった。

あるとき、結城さんが彼の前でつぶやいた。

「私、患者会やりたいんですよねー」

「やったら? 立ち上げようよ!」

妻をがんで亡くした上山克彦さん、小嶋紳司さんらも協力し、2004年秋、がん患者と家族の会「かざぐるま」が誕生した。

「がんになっても、楽しいじゃん!」

写真:患者情報室の仲間たちと
患者情報室の仲間たちと
(尼崎市の関西労災病院で)
写真:「かざぐるま」設立集会で体験談を語る
「かざぐるま」設立集会で体験談を語る
(左は司会役の鉄郎さん)

2004年、夫・俊和さんは会社を早期退職した。長女・さやかさんはホームヘルパー1級の資格を取って、グループホームで働き始めた。ずっと結城さんに支えられてきた家族が、今は彼女を支えている。俊和さんは、「罪滅ぼしです(笑)」と笑う。

患者会の活動には、気力も体力も必要だ。結城さんは、ときに “しんどい”と感じることもある。それでも、訪れた人たちの表情がぱっと明るくなるのを見るのが嬉しくて、がんばっている。

「前向きに生きられるのは、“どん底”を見たから。がんだとわかる前の孤独感、激しい不安と痛み。それを思えば、今はずっといいですよ。あと何年生きられるかわからないから、がんばってるんでしょうね。濃密な時間を生きています。きっと、『いい人生だったわね』という思いを残すためにね」

がんを経験したことがきっかけで、結城さんの生き方は大きく変わった。

「昔は、自分だけよければいい、という小さな世界で生きていました。それが、1歩踏み出すことで新しい世界が見えてきた。『がんになっても、楽しいじゃん!』と思えた。患者さんの背中を押してあげたい」

イレッサを1年8カ月のみ、別の抗がん剤治療を経て、再度イレッサを服用中だ。

夫をがんで亡くした堤恵子さんの「かざぐるま」をイメージしたイラスト

「かざぐるま」という名前は、妻を卵巣がんで亡くした小嶋紳司さんがつけた。「風が吹けば気持ちよく羽根を回すように、気力がみなぎれば明るく過ごす。風がなければ羽根を休めるように、立ち止まってゆっくり動く。家族も風になれるように、そっといつも側に寄り添う」という思いが込められている。夫をがんで亡くした堤恵子さんが、「かざぐるま」をイメージした温かいイラストを提供している

「かざぐるま」の設立集会で、司会の鉄郎さんが結城さんに、こう質問した。

「もし、病気が悪くなってきたら……、どうします?」

「考えてないですね。在宅ケアかホスピスか……。まだ答えは出ていません」

結城さんらしい答えだった。

情報はしっかり集めていても、「先のこと」はそのときが来たときに考える。それが、“今を生きる知恵”だと知っているから。そして「今できることをがんばる」。

振り返ると、大きな道ができている。

結城富美子さんのホームページ
fumiのひとりごと…。(フルルkansai)

鉄郎さん(本名・吉田利廣さん)のホームページ
「白血病の妻と共に痔主は行く」


1 2

同じカテゴリーの最新記事