「がんになって得をした」と思いたい 開業医(小児科医)/医療過誤原告の会会長 久能恒子さん

取材・文:塚田真紀子
写真:谷本潤一
発行:2003年11月
更新:2019年7月

「余命1年」も怖くなかった

2001年8月には乳がんが見つかった。診断されたその病院で患部だけを小さくくり抜く「乳房温存療法」が受けられないことを知ると、久能さんは即座に、「思い切り取ってください」と医師に言った。術後、乳房を失った悲壮感もなかった、と言う。

「『そんなもん眼中にないよ。それよりもっと大変な任務があるんじゃない?』と思うんです」

「大変な任務」とは、もちろん裁判のことだ。

「娘が亡くなったとき、土の中に自分がずーっと溶け込んでいくようでした。気持ちの中で私は死んでいたのかもしれない。以来、『いのちより娘の無念をはらし、けじめをつけるほうが大事だ』という気持ちがずっとあったんだと思う」

同年12月、胃がんの転移による結腸がんが見つかったときも、久能さんは動じなかった。ちょうど原告側の主張を裏づける新しい鑑定書が出たところで、その喜びが久能さんを強く支えていた。

ところが抗がん剤治療を始めると、全身の皮膚がただれ、足下もおぼつかなくなった。ずっと寝たままで命を永らえるより、短くとも自分らしく動ける時間のほうが大切だ、と久能さんは考えた。そこで、主治医に告げて抗がん剤をやめた。

また“余命”を主治医にたずねてみた。

「先生、私はあと2年ぐらいですか?」

「いや、それは厳しい。よくて1年だろう」

「1年」と聞いても、恐怖感はなかった。

残された時間で、やり残したことをしようと、久能さんは決めた。抗がん剤をやめると、体調はよくなり、気持ちは上向いた。病院での仕事も再開した。

ラケットを持ってイギリスへ

写真:世界医師テニス選手権大会のダブルス部門で優勝!
世界医師テニス選手権大会のダブルス部門で優勝!

やり残したことは三つあった。まず、敗訴した場合の自分のコメントを何かで残しておくこと。二つ目は、自分の裁判で意見書を書いてくれた米・英の医師たちに会い、きちんとお礼を言うこと。最後は、自分の裁判の記録となる本の出版だ。

一つ目は2002年7月、映像で残し始めた主張が、ニュースステーションの特集で取り上げられた。被告側が朝日新聞社の厚生文化事業団の経営する病院であることを思えば、快挙だ。

二つ目については、同年5月、渡米がかなった長女で医師のはるこさんや大阪の弁護士ら総勢10人で旅となった。意見書を書いてくれたワシントン大学のダニエル・マッキール医師らと日米の裁判の違いについて、熱心に議論することができた。

1週間の滞在の別れ際、久能さんは、裁判に協力してくれたことにお礼を述べ、自分ががんであることを打ち明けた。

「実は私はがんです。余命1年と言われました。みなさまにお目にかかるのは、これが最後です」

その言葉に、みんなが泣いた。それを『ウォールストリートジャーナル』が記事にした。その記事が脳外科学で有名なオックスフォード大学のアダムズ医師に送られ、秋には訪英が実現した。

久能さんの身体を心配して、周囲はイギリス行きを止めたが、「動ける間に行くの」と久能さんは躊躇しなかった。それどころか自分のテニスラケットを持参し、チェコに寄って、世界医師テニス選手権大会のダブルスに出場。なんと優勝を飾った。

10月には医療過誤原告の会の会長にも就任した。

ふつうならしないことをする。それが久能さんだ。

家族にも内緒にした異変

がんはじわじわと進行した。

2003年2月の検査で、結腸の一部が糸のように細くなっていることが判明する。3月13日の一審最後の法廷で、久能さん自身の意見を述べることになっていた。

今、手術するわけにはいかない。

もし詰まっても、2日ぐらいは何とかなる。そんなギリギリの選択で、久能さんは家族や弁護士にも内緒にしたまま、3月13日を迎えた。

無事、法廷で30分の陳述を終え、翌日、入院して、手術を受けた。

結腸の細くなったところを取り、大腸の半分が失われた。

写真:原告勝訴の判決に、晴れやかな笑顔を見せる久能恒子さん
原告勝訴の判決に、
晴れやかな笑顔を見せる久能恒子さん
(福岡地裁小倉支部前で)

「やり遂げるべきものがあるために、がんとの付き合いにはむしろ助けられています。

体調は気分に大きく左右されます。嬉しいときは、『あれ?がんでなくなったんじゃない?』と思うぐらい調子がよくなるのに、ストレスで落ち込んだときには、『明日生きているかな?』と思ったりする(笑)。だから、自分に関わる人の温かい気持ち、愛などプラスのものをいっぱい自覚して吸収することが大事です。

『がんになって私は得をした』と思いたい。そう願って行動してきました」

判決の日、原告席に座る久能さんの前に、1冊の本が置かれていた。第三者の目でこの裁判を記録した『いのちの法廷』(伊豆百合子著、日本評論社)だ。裁判で、紹子さんの受けた医療の理不尽さを訴える久能さんに、著者と編集者が共感したのだ。

「最後にやり残したこと」が判決を目前に、形になった。

そして判決の5日後、病院側が控訴を断念し、久能さんたちの全面勝訴が確定した。

自分の死を意識し、悔いのないよう精一杯生きる。それが久能さんの、がんになってからの生き方だ。


久能恒子さん連絡先
〒811-4063福岡県宗像市自由ヶ丘3-11-50
電話:0940-33-5522 FAX:0940-35-3856


1 2

同じカテゴリーの最新記事