がんになってもやれることはいっぱいある! スキンヘッドでヌード写真を撮った「史上最凶の乳ガン患者」・川上きのぶさん
抗がん剤で一気にきた更年期

抗がん剤治療中の川上さん
退院後の抗がん剤治療は湘南東部総合病院で3週間おきに行われた。そして年賀状に書いたとおり、副作用による抜け毛は日増しにその量を増していった。その現実を目の当たりにして川上さんもショックを受けた。だがそこは川上さんのこと、ただ落ち込んでいるだけではなかった。どうせならもっとすっきりさせようと残った髪もハサミでカットし、さらにバリカンで刈り上げてしまったのである。しかし何日かすると刈り上げたところからまた毛が数ミリほど伸びてくる。そこで川上さんは“掃討”作業と称し、粘着テープを頭に貼ってばりばりと剥がし、生えてきたばかりの髪をすっかり抜いてしまった。こうしてスキンヘッドになった川上さんは洋一さんとも相談して、「つるっぱげや手術のあともネタにして、がんを笑い飛ばすような写真を撮ってほしい」と知り合いのカメラマンに頼んだ。それが件のヌード写真となったのである。
この写真を撮影したのは2度目の抗がん剤治療を受けた後。白血球の数値が落ち、ひどく体調が悪かった頃のことだ。
「撮影のときは感じなかったけれど、その後は更年期がどっときました。節々が痛くなったり、体中がカーッと熱くなったり、あるいは少し鬱っぽくなってご飯を食べているときに急に涙がぽろぽろ出てきたり。患者会に相談したら、抗がん剤のせいじゃないかと言われました。ホルモンのバランスが崩れておかしくなったのだろうと。そういうことが2週間くらい続き、私にはこれが一番つらかったですね。がんでは痛いとかつらいとかの症状は出なかったのに、治療でつらい思いをするなんて不条理だなって感じましたね」
抗がん剤治療中のセックスは大丈夫か

川上さんが陶芸で表現した「乳がん」
そんなこともあって、退院後の抗がん剤治療は3回やる予定だったのが結局2回でやめてしまった。その後の放射線治療が始まったのは2月の中旬からだ。このとき慶応大学病院に毎日通院する川上さんには、治療を受けることとは別にもう1つの目的があった。“がん友達”をつくることだ。
「その頃、あちこちの患者会のサロンにも参加しました。医療界にもの申したり患者を啓発したり、患者会の活���はとても役に立っていると思います。でも、メンタルなことや生活の悩みなどプライベートも含めて支えあえる集まりがあってもいいんじゃないかと考え、最初は自分で患者会をつくろうと思っていたんです。同じ病気の友人・知人が多いほど力強いですからね」
慶応大学病院の放射線科には乳がん患者が多いし、他の病院で手術を受けた患者もくる。「情報を集めるのにもちょうどいい」と言う川上さんは、他の患者に積極的に声をかけ、一緒に食事をしたりしながら病気のことや治療のこと、病院のことなどについて話し合った。そういう“がん友達”が一頃には20、30人にもなった。なかには病気のことはもう忘れたいと離れていった人もいるが、今でもコンスタントに15人くらいと連絡を取り合っている。昨年の10月までは毎月1度集まってもいた。何人かでラジウム温泉に行ったこともある。
川上さんのもとには、そうした友達からメールやファックス、電話、手紙などでさまざまな悩みや不安が寄せられる。川上さんはそれに対し、1人ひとりのことを考えながらできる限り応対してきた。昨年ホームページ上に掲示板を開設してからは、“がん友達”以外の人からも、そういう声が寄せられるようになった。
「放射線や抗がん剤の治療が終わるとみんな普通の日常生活に戻ります。でも病気の前と後とでは精神状態が違うんです。ちょっと腰や肩が痛いと骨転移じゃないかと言ってくる人もいますし、なんでも再発転移と結びつけてしまうんです。もちろん私自身にもそういう不安はあります。私の場合、抗がん剤の副作用で更年期がどっと出ましたが、医師はもちろんそういう副作用があることを知っています。でも、それがどうつらいのか、どう乗り切ればいいのかということまでは、おそらく手が回らないと思います。たとえばホームページの掲示板に、『抗がん剤治療している間にセックスしても大丈夫ですか』という質問が書き込まれたことがあります。抗がん剤が初めての人にはそんなことも不安なんです。『そんなの大丈夫よ』とひとこと言ってくれる人がいればすむことですが、そんなことまでは先生にはもちろん、インターネットでも聞きにくいでしょう。幸いうちの掲示板には、なんでも発言して情報交換できる雰囲気があるようなので、できる限り続けたいです。人のためだけではなく、自分自身の疑問や不安についても考えることができますし」 そう話す川上さんの横にいた洋一さんが言う。
「実際にはもう彼女が患者会のステーションのようになっているんです」
乳がん患者にも個性があるんだ


放射線治療は昨年の3月末で終わった。その後、しばらくの間は何もせずに過ごしていたが、秋頃から再び陶芸作品をつくり始めた。作風は病気する前と変わっていないが、「昔は駄作だと思っていたものがいとおしく感じられたり、見方は少し変わったかも」と言う。
「毎晩あちこちのサイトを見ては落ち込んでいたのに、私のホームページを見て元気になったという患者もたくさんいます。基本的にはあのホームページを見て、こんな乳がん患者もいるんだって、驚いたり笑ったりして楽しんでもらいたい。笑いはがんに効くっていうしね。がんになったからといって、ドラマみたいに健気に生きなくちゃとか頑張らなくてはと思うとかえってつらくなる。乳がん患者だって個性があるんだし、こんな写真を撮っちゃう患者がいたっていい。がんになってもやれることはいっぱいあるんだということを見せたかったのが、ヌードになった理由の1つです。それから、乳がんになったことで婚約を破棄されたとか離婚されたとかいう、ぶっ飛ばしてやりたくなるような話をよく聞きます。乳房=女性としか考えられないような関心のない人でも、ヌードにつられてホームページを見て、乳がんについて考えるようになるかも知れない。それでいいんです」
ヌード写真にしてもホームページの文章や発言にしても表現はいささかカゲキかもしれないが、川上さんのいうことは至極真っ当なことばかりである。そんな川上さんは最後にきっぱり、こういった。
「表現者としてがんになったことはもちろんプラスです。なんでも芸の肥やしっていうでしょ」
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