今できることをやっておきたい 胃がんの手術から16カ月後に、サハラマラソン237キロを走り抜く・多田慎一さん

取材・文:崎谷武彦
発行:2004年8月
更新:2019年7月

がん患者ではなく、ただのけが人だ

写真:手術直後

手術直後の数日間、ベッドから立ち上がるのは大変だった。手術から2日目、初めてベッドの上に起き上がることができた

ともあれ、多田さんはこうして2002年の12月5日に入院し、11日に外科手術を受けて胃の3分の2を切除した。切除されたがん細胞は500円玉ほどの大きさだった。幸いごく初期のがんで、術後に行った検査の結果を見て医師は「転移の可能性もなく、完治です」と言いきった。

もちろん多田さんもまったく不安がなかったわけではない。ただ手術前も死への恐怖を感じたことはなく、体にメスを入れることへの漠然とした不安があっただけだ。

だから「完治した」と医師から言われたら、多田さんは「自分はがん患者ではない、ただのけが人だ」と考えるようになった。

入院中は少しでも早く退院することを目標にしていた。その目標を達成するために、治療の補助として自分でできる三つの課題を設定した。歩くこと、ゆっくり食べること、イライラしないこと、だ。

「歩いたほうが内臓の動きがよくなり、回復が早いそうで、手術後2日目から歩くように先生から指示されました。だから1周75メートルある病棟の廊下を、今日は何周と目標を決め、毎日歩きました。でも、調子が悪かったり疲れを感じたりしたときは、目標に達しないうちに歩くのをやめたこともあります。自分の疲れを察知したら無理をしないというのは、ランニングで培った習慣かもしれません」

こうして順調に回復していき、手術から2週間後のクリスマスには無事退院となった。その間、歩く距離を少しずつ長くしてきた結果、退院直前の数日間はなんと病棟内の廊下と階段合わせて、毎日5キロも散歩していたほどである。しかも退院したその翌日からは、ジョギングまで再開している。「ジョギングといっても超スローペースですよ」と多田さんは言うが、とにかく前向きなのだ。

できることはできるうちにやっておく

写真:砂丘で

気温は40度を超えることもある。コースの一部には砂丘もあり、足がめり込んだ

退院という目標を達成したあと��、すぐ次の目標を自らに課している。ビール(炭酸)を飲めるようにすることと、フルマラソンを4時間以内で走ることだ。

「手術後はどういうわけかアルコールをあまり飲みたいと思わなくなりました。それでも退院2カ月後には友人と二人でワインを2本空けても全然問題ありませんでした。炭酸を飲むと胃が脹れて苦しくなるのでビールは控えていましたが、コップに1センチくらいから始めて少しずつ増やしていって、2003年の9月にはもう普通に飲めるようになっていました」

その間に何度か腹痛に苦しんだりしたこともあった。退院前に栄養士からなるべく控えたほうがいいと指導されていた消化の悪い食物を食べたり、ゆっくり食べるということをついうっかり忘れてしまったりしたときは、経験したことのない強烈な苦しみにのたうち回ったほどだ。

それでも徐々に体力が戻ってくるのを感じ、多田さんは再び決意する。「やはりサハラにいこう」と。

「退院後、順調に体力が回復してきて、さあどうしようと思ったわけです。この体力とリフレッシュ休暇の2週間をどう生かすかという視点でね。なぜサハラなのかということは自分でもよく分かりません。旅、山、ランニングというそれまで自分が楽しんできた三つの遊びを同時に味わえそうな気がしたのかもしれません。少なくともレース中は持参した食糧を食べることになりますから、消化の悪いものを食べて調子を悪くしたりする心配はない、ということもありました。でも一番大きかったのは、体力に多少不安があっても、今できることはできるうちにやっておこうという気持ちが強かったことです。こういう考え方をするようになったのは、病気をしてからですね」

泣きながら走ったラスト100メートル

写真:テント村
レース中は毎日次のテント村がその日のゴールになる
写真:朝、調理中の多田さん
朝、調理中の多田さん
写真:ゴール直後、参加した日本人の仲間六人で一緒に撮影
ゴール直後、参加した日本人の仲間六人で一緒に撮影

がんを体験してから思うようになったことがもう一つある。きっかけは手術後2日目、検査のために車椅子で移動中、わずかな段差も傷に響くのを体感したことだ。

「これで私も弱者の視点を持つことができるようになりました。それに入院中は多くの方から優しさや思いやりをいただきました。だから私も人に対して優しさや思いやりを持たなければいけない、実践しなければいけないと思うようになったのです」

そんな思いを抱きながら多田さんはサハラマラソン参加への準備を着々と進めていった。食糧も含めて7日分の装備をそろえるとどれくらいの重さになるのか、どうすれば量を減らせるか、砂漠で走るにはどんな服装がいいのか、等々。2002年の夏には一人で南アルプスに6泊7日し、装備や食糧などをいろいろテストした。

「レースそのものよりむしろ準備に費やしたエネルギーのほうが大きかったかもしれません」

もちろんサハラに行くことは主治医にも相談した。主治医は一言「おもしろい人ですね」といっただけだった。これで最終的に多田さんの気持ちも固まった。2003年11月には退院後初めてフルマラソンを走った。タイムは病気前の水準にほぼ戻っていた。その間、出張中に腹具合が悪くなり、不安がよぎったこともある。だが、多田さんの心にもう迷いはなかった。

2004年4月、パリ経由でモロッコに入り、11日午前9時30分、“世界一過酷なレース”のスタートが告げられた。

7日間、237キロ。多田さんは完走した。順位は参加者約600人中、350位。途中、体調が悪くなることもなく、楽しみながら走ることができたという。それでもゴールしたときは、手術後の16カ月間のことが頭をよぎり、「この瞬間のために準備をしてきて本当によかった」という思いがこみ上げてきて顔がくしゃくしゃになってしまった。

「一番苦しかったのは最後の100メートルでした。つい調子にのって全速力でダッシュしてしまったものですから」

ジャングルでのレースも検討中

手術から16カ月でサハラマラソンを完走した多田さんは今、体重も病気前の57キロに戻っている。念のために半年に1回、検診は受けているが、がんは完治したということで、退院後も抗がん剤などは一切服用していない。民間療法は「信用していないし嫌い」だから、1度もしたことがない。早寝・早起き、3食の時間帯を一定にするなどの規則正しい生活、食品栄養バランス、適度な運動を基本にしている。

「神奈川県の自然公園指導員として月に1回、丹沢で登山客の案内やゴミ拾いをしています。視覚障害者のランニングの伴走を務めることもあります。人間それぞれ自分の足りないところは誰かが補ってくれているのですから、お互い助け合うことが大切でしょ」

そんな多田さんは、サハラマラソンに“挑戦した”という意識は持っていない。

「私の場合、行動の意思決定をするときの判断基準は、楽しいかどうかということだけ。チリの砂漠やブラジル・アマゾンのジャングルでも似たような7日間のレースがあるので、それに参加することを検討しています」

山頂を目差して登り続け、ゴールを目差して走り続けてきた多田さん。その生き方は病気をしてからも少しも変わっていない。

1 2

同じカテゴリーの最新記事